4話


「だからって、どうして僕についてくるんだよ!? ひとりで行けばいいじゃないか!?」

 せっかく学校に行こうとしたのに、アテナに玄関先で引き留められたから、鬱陶しいったらありゃしない。

「だって1人じゃ寂しいじゃない!」

 アテナはいつのまにか制服に着替えていた。

「つーか。幽霊のくせに着替えてるし」

「ちょっと、それって差別発言よ。幽霊でも着替えられるんだから」

 アテナはキッと僕のことを睨みつける。僕は、昨日の呪われそうになった出来事を思い出し、すぐに目を逸らした。ここは逆に考えて、幽霊がいつも同じ格好をしているわけではないと知れてよかったと思おう。だけど、頭の白い三角のやつは外さないのかと聞きたいところだが、そんなことよりも……

「っていうか、同じ高校じゃないか!」

「そうよ。漱石と同じあすなろ高校よ」

 アテナは制服を見せびらかすために、くるりと一回りした。

「まともに通ってないから、今のあいだに青春を取り戻さないとね」

 アテナの姿を見て、思い当たる節がひとつ出てきた。

「そういえば、一年前ぐらいに亡くなった生徒のために全校集会で黙祷を捧げたけど、それって、アテナのこと?」

「そうそう、みんな黙祷を捧げてくれて嬉しかったわ。みんなの想いって案外届くものなのよ」

 アテナの言葉で完全に思い出した。

 彼女が死亡したというニュースはクラス中で噂になっていたが、テスト期間が近かったこともあり、瞬く間にトレンドがテストの話題になった。

 僕は当時の彼女の姿を一度だけ見たことがあった。その時にとても清楚で、美人で、僕には近付き難いなと一目で感じた。つまり、住む世界が違うという印象を受けた。しかし、幽霊として目の前で話していると、話は変わってくる。普通の女の子というか、わりとフランクでいい奴な印象だ。

 僕はアテナと同じクラスじゃなかったので、彼女が殺されたことに同情する気持ちはそこまでなかったけど、目の前で幽霊としているのなら、話は変わってくる。

「……まあ、ついてくるのはかまわないけど、学校についたら、僕に話しかけるなよ」

「どうして?」

「さっきの妹の反応を見ただろう? お前と話してるところ見られたら、頭のおかしい奴扱いされてしまう」

「そんなことで私を無視するなんて酷いじゃない!」

 アテナはプンプンと怒っているが、正直、怒っている意味がわからない。

「お前のせいで精神病院に連れて行かれたらどうするんだよ? もし入院にでもなれば、鉄格子のついている療養所に連れて行かれるぜ?」

 僕が幽霊と話していたと言えば言うほど、入院期間が長くなるだろう。

「まあ、それはそうね。私も困るし」

 アテナは怒りの矛先をおさめて、ケロッとした。どうして彼女が困るのかはわからないけど、すぐに認めてくれる素直さは嫌いではない。

「はやく行こうよ」

 アテナは扉の前に立って、僕を急かした。

 僕は靴を履こうとすると、蹴躓いてしまい。体勢を崩してしまった。

「おわっ」

 目の前にはアテナがいる。ヤバい。このままだとアテナを巻き込んで倒れてしまう。彼女は体勢を崩した僕に驚いて、

「ちょっと」

 彼女が目を瞑った瞬間がスローモーションに見えた。反射的に腕を伸ばすが、腕の先にアテナの胸がある。——これは不可抗力だ。故意に触ったわけではないから、セクハラじゃない——刹那の間にそう思ったが、しかし、彼女は幽霊である。僕は彼女を身体をすりぬけ、思い切り床に腕を打ちつけた。

「ちょっと大丈夫?」

 アテナが心配そうに倒れた僕を見つめる。

「大丈夫だよ」

 クソっ。アテナが幽霊じゃなければ、胸に触ることができたのに……幽霊が嫌いな理由が一つ増えた。


§


 玄関を出ると、7月の熱気に包まれ、汗が一瞬で吹き出す。表通りには人々が、着崩した制服やクールビズのスーツを着て歩いている。こんな日であろうと、地球はまわり、社会が営まれていることに、首を傾げたくなる。コイツらアホなんじゃないか?

「さっさと行きましょうよ」

 アテナは我慢のできない子どものように僕を急かした。こちとら毎日、クソ暑い中をうんざりしながら通っているのに、彼女は何を楽しそうにしているのか全く理解できない。

「高校に行くのがそんなに楽しみか?」

 僕はアテナに訊いた。

「だって、高校といえば青春じゃない! 青春といえば高校生活って相場が決まってるのよ!」

「青春ね……」

 僕は皮肉を言われたような気分になった。

「なんか反応が薄いわね」

「僕はアテナみたいに、前向きな性格じゃないからね。その考え方が眩しすぎるよ」

 僕は彼女のように、何でもかんでも素直に楽しめるような人間じゃない。

 ——僕が小学生の頃は優秀な生徒だった。知識を蓄えるのが好きで、テストは常に90点以上だった。親から与えられた百科事典を読むのが好きで、『漫画でよくわかるシリーズ』が一番の愛読書だった。それで社会や科学の仕組みを知って、世界の全てがキラキラして見えた。まだ小学生の自分がこれほど簡単に理解できるのだから、中学校や高校は、もっとすごいことを教えてくれるのだとワクワクしていた。僕より大きい大人たちは、人類が生きている意味や真理とか宇宙の秘密を知っているすごい存在なんだと思っていた。全てには数学的な“答え”があるものなのだと思っていた。

 しかし、中学、高校と上がるにつれて、勉強は単語が難しい専門用語に入れ替わっただけで、基礎の部分は変わらないという事実に気づき、人の生きる意味や、真理や、宇宙の秘密を知れると期待していた僕は深く失望した。大人たちは難しい言葉を振り回しているだけで、人類はおろか自分の生きる意味すらわかっていないのだ。世界は次第に色褪せていった。

 僕は何を期待していたのだろうか……今となってはわからない。ただ、目の前の現実は、いつかテレビで見たトロッコ問題——暴走するトロッコの先に5人の作業員がいる。自分がレバーを操作して進行方向を変えれば5人は助かるが、今度は切り替えた先にいる1人の作業員が犠牲になる——のように、5人を殺すか、1人を殺すか、そんな単純明快な2択ですら、数学のように“答え”がない。“答え”がないのが現実なのだ。

 青春も同じだ。僕にとって青春に答えなんてない。答えのないままに、高校生活を送っていたら、気づけば、傍観者に追いやられていた。

「何か勘違いしてるみたいだけど、私はポジティブな性格じゃないわよ?」

 アテナは僕に言った。

「私はもともとネガティヴでもポジティブでもどちらでもない性格だったと思うけど、もう死んじゃってお化けになってるんだから、失敗しようが、死んでるからどうでもいいのよ。だったら、何でもかんでも楽しまなきゃ損じゃない。でも、ヤケクソになってるわけじゃないのよ。ただ、幽霊として俯瞰で見るのを楽しんでいるだけにすぎないの」

「そうかい」

 まあ、確かに、俯瞰で見る楽しさはわからないでもないけど。

 アテナは不意に、僕の胸に手を伸ばした。透過する手は、スッと僕の胸の中に入ってくる。

「うおっ。いきなりなんだよ?」

 僕は驚いた。手が入ってきているのに、胸の辺りが無感覚で、逆に気持ち悪い。

「今、漱石が何を考えてるかわかるわ」

 アテナは僕の狼狽ぶりをみて、悪戯っぽく微笑んだ。

「はあ?」

 彼女の言葉に、さらに動揺してしまう。

「こんな美少女と、一緒に登校できて嬉しいなって思ってるでしょ?」

 なんじゃコイツ。

「アホか! 自画自賛すんな! はやく行くぞ!」

「図星だ。顔が赤いもん」

 アテナは勝ち誇った顔をした。

「うるせい。暑いからだよ」

 周りを見ると、通行人がチラチラと僕を見ている。……また、やっちまった。そのままイタい奴を貫き通した方が、むしろ清々しいのかもしれないが、僕にそんな勇気はない。

 逃げるように速足で歩き始めた。

「あっ、ちょっと待ってよ」

 アテナも後ろからついてきた。

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