2話


 さくら先輩は僕とみなもを家まで送ってくれた。車を降りると、

「ふたりとも付き合ってくれてありがとうな」

 彼女は下ろしたウインドウ越しから言葉をかける。

「こちらこそありがとうございました」

 みなもは丁寧に頭を下げた。

「そうちゃん。今日はあったかくして寝ろよ」

 さくらは僕のことを心配して、優しい言葉をかけてくれた。

「そうします」

 礼を言うと、さくらは颯爽と車で去って行った。

「そうちゃん、本当に大丈夫? 車の中でもずっと顔が青かったよ」

 みなもは心配そうに僕を見つめた。

「うん。大丈夫」

 そう言うが、頭がうまく働かず、どこか上の空だ。

「なんかあったら、すぐに家にくるんだよ? お祓いしてあげるから」

 みなもは僕の家の隣にある鷹取神社の鳥居を指差した。彼女の一言で心が少しだけ軽くなった。

「ありがとう。なんかあったら相談するよ」

「うん。じゃあ、また明日ね」

 みなもは手を振って、鳥居の下をくぐった。僕はその後ろ姿を見送って、自分の家に入った。

(今日起こったことは何かの偶然だ。もう忘れてしまおう)

 玄関で靴を脱いでいると、一葉が出迎えてくれた。彼女は僕の妹で、昔は仲良く一緒にに遊んでいたが、大きくなるにつれて、だんだんと態度も大きくなり、僕よりヒステリックになってしまい、中学3年生になった今、かつての仲の良さは失われてしまった。

「こんな遅くにどこ行ってたの?」

 一葉は不機嫌な態度で僕に詰問した。

「べつに。どこに行ったっていいだろ」

「明日の朝食当番、お兄ちゃんなんだからね」

「わかってるよ」

「カズハはもう寝るから」

 一葉はさっさと自分の部屋に戻って行った。

 全く、妹ってやつは可愛くないな。先に寝てりゃいいのに。まあ、いいや。とっとと風呂に入って寝よう。風呂は命の洗濯だって誰かが言ってたもんな。


 とは言いつつも、あんなことがあった手前、一人でお風呂はちょっと怖い。脱衣所で服を脱ぎながら、一瞬、みなもに連絡しようかとよぎったが、すぐに首を振る。小さい頃なら、みなもと一緒にお風呂に入ってふざけたりすることができたのに、17歳になってしまった今ではそんなことできない。一緒にお風呂の意味合いがまったく異なってしまう。たぶん、風営法ってやつに引っかかって、逮捕されてしまうだろう。知らんけど。

 そんな薄ピンク色な妄想をしていると、ひとりでいる怖さも薄れてくる。性欲は偉大だ。『どんな恐怖も性欲には勝てないのである』アリストテレスが言ってそうな格言だ。

 脱ぎ捨てた服を洗濯機に放り込み、風呂場に入って浴槽に真っ直ぐ飛び込んだ。体が温まるにつれて、思考も前向きになってくる。やはりさっき見た幽霊は何かの見間違いだったのだ。正体は枯れ尾花かなにかだったのだ。

「あーあ」

 すっかり気分が良くなった僕は、頭を洗おうとして、浴槽から上がり、シャワーをひねりだそうとした瞬間、異変を感じ取った。なんだ? シャンプーの置いてある場所がいつもと違うのか? あたりを見回すと、鏡越しにさっきの幽霊がジッと僕を見つめていた。

「ぎゃああああああ!!」

 僕は驚きのあまり、ひっくり返り、体をあらゆる場所に打ち付けてしまう。いやもう無理無理無理。

「ちょっと落ち着いてよ」

 幽霊は僕の反応が大きすぎて困惑していた。

「こんな状況で、落ち着いていられるか!?」

 ……ってあれ? さっきより声がはっきりと聞き取れる。コイツ、さっきはボソボソと喋ってて何言ってるかわからなかったのに。

「だから落ち着いてってば!」

 幽霊は諭すように言った。

「落ち着いたらどうするんだ? 僕を祟るのか? 呪い殺すのか?」

「そんなことはしないわよ!」

 幽霊は勢いあまってツバを飛ばした。

「って、そんなことはどうでもよくて……今日から君に取り憑くことにしたから。よろしく」

 幽霊は恥じらいながら言った。

「は? どういうこと?」

 僕はあまりに唐突な言葉が飲み込めなかった。

「その……遊んでほしいの……」

「遊んでほしい?」

 コイツはさっき僕のことを呪い殺そうとしていた幽霊である。あからさまに敵意むき出しの相手とどう仲良くなれというのだ?

「私と友達になって欲しいのよ」

「はあ……」

 僕は生返事をした。思い返せば、館では『ワタシモ……シ……デ……ホシイ……』って言ってたけど……。

「さっき館で、『わたしもいっしょにあそんでほしい』って言ってたのか?」

「そうよ」

 幽霊は頷いた。

「それなのに、いきなり逃げ出すから、ここまで追いかけてきたのよ」

 言われて背中が寒くなる。彼女の執念というか、執着心はすざまじいものがあるっぽいな。いわゆる地縛霊ってやつか?

 彼女の姿をよく観察してみると、見た目的に同い年ぐらいで、かわいいというよりは美人な顔立ちだ。黒くて光沢のある長い髪に、凛とした瞳に自信のようなものを感じ取れる。やはり幽霊であるために、足元辺りからうっすら消えているが、スタイルが良くて、目線が胸ばかりに行ってしまう。頭につけてる白い三角のアレがなければ幽霊だとはとても思えない。館での姿は僕の見間違いだったのだろうか。

 つーか、幽霊とはいえ女の子と一緒にお風呂ってやばいな。これって実は美人局で、後でヤクザが入ってきたりするんじゃないか? それか、警察が踏み込んできて、風営法ってやつで逮捕されるんじゃ無いか? いやいや、コイツ、幽霊じゃん。

「私は去年殺されたのよ。まだ高校に入学してすぐだったのに。まだまだ青春が始まったばかりだというのに、ひどい話じゃない?」

 そう言って彼女はおよよと涙を流しはじめた。彼女の泣き姿を見て、同情の念が湧かないほどの人非人ではない。

 だんだんと可哀想に思えてきた。

「……じゃあ、君はその失われた青春に未練があって成仏できないってこと?」

「そういうことよ」

 アテナは目尻を拭った。

 突然、ドンドンと風呂場の外から大きな音が響いてきた。

「お兄ちゃん!? どうしたの!?」

 ガタンという音とともに、風呂場の扉が開かれ、妹が顔をのぞかせる。

「おわっ、びっくりした!」

「びっくりしたのはこっちだよ! お兄ちゃんの叫び声で飛び起きたんだから!」

「だって幽霊が出たんだよ!?」

 僕は幽霊を指差すが、

「はあ? どこにもいないじゃん。ちょっと何言ってるかわからない」

「なんでだよ、はっきりと見えるだろう?」

 僕が言うと、妹は僕をキッと睨みつけた。

「そんなことより、前隠してよ」

 妹に言われて、自分が全裸だったことを思い出し、慌ててタオルで隠した。リンゴを食べて自分が全裸だと気づいたアダムとイブも、僕と同じ気持ちだったに違いない。

「頭がおかしくなったの?」

「なってないよ!」

 僕の言葉に妹は舌打ちをした。

「なんか知らないけど、お兄ちゃんがなんかあったら、病院に連れて行くのはカズハなんだよ?」

「だから、よく見てみろって、そこに幽霊がいるだろ!?」

 妹は僕の指差した方をジロジロと観察するが、本当に見えていないらしい。なんでわかってくれないかなぁ?

「まあいいや。とっとと風呂入って寝てよ。明日の朝ごはんのフレンチトースト、クソみたいな味だったら許さないからね」

 妹はそう言って、ピシャリと扉を締めた。

「可愛らしい妹さんじゃない」

 嵐の如く去った妹を見て、幽霊は言った。

「どこがだよ」

 この幽霊は目が腐っているのだろうか?

「朝ごはんは君が作ってるんだ?」

 幽霊は興味ありげに訊いてきた。

「まあな。両親が仕事で家をあけることが多いんだ。だから、家事は妹と分担してるんだ」

 そうは言っても、最近は僕がほとんどやってるけど。

「なかなか大変そうね」

 幽霊は僕に同情し、優しい表情を浮かべた。

「そうなんだよ。アイツはさ、洗濯物にいちいち細かい文句つけてくるし、下着は自分で洗うからとか言いながら一週間ぐらい放置するし、昨日なんか晩御飯に……」

 って、幽霊に愚痴をこぼしている場合か。

「そうじゃなくて、君が幽霊になった経緯はわかったけど、どうして僕に取り憑こうとするんだよ?」

「君じゃなきゃだめだからよ」

 幽霊は即答するが、質問の答えになっていない。

「あのさ、あの時、ほかにみなもやさくら先輩が居たじゃないか。どうしてその2人には取り憑かなかったんだよ?」

 訊くと、幽霊は答えづらそうに、トーンを落とした。

「それは……さくらって人はなんか怖そうだったし、もう片方は幽霊の本能というか……ただならぬ気配を感じたからよ」

 なるほど、みなもは除霊の腕がピカイチだから、その力を感じ取ったのだろう。

「だからって僕に取り憑く理由になってないじゃないか」

 正直、どんな見た目をしていようと幽霊に取り憑かれるなんて、怖いから嫌だ。なんか不幸なことが起こりそうだし、それに、呪い殺されるかもしれない。

「君は……カッコいいし。イケメンだから」

 幽霊はそう言って顔を赤らめた。

「僕は別にカッコよくないよ! イケメンでもないし!」

 自分で言ってて悲しくなる。僕の顔はどちらかというと老け顔である。中学生の時に美容院に行ったら、お仕事何されてるんですかと言われたぐらいに老けている。

「頼むから他の人に取り憑いてくれよ。幽霊に取り憑かれるなんて、怖いんだよ」

「だから、君の顔が好みだからっ! お願いだから取り憑かせて!」

 幽霊のあまりのしつこさに心が折れそうになるが、ピンチのあまり脳みそが冴えて、対抗策を思いつく。

「オッケー。わかった。今からみなもを呼んで、お前を成仏させてやる」

 僕は風呂場を出て、洗面台に置いてあるスマホを取ろうとした。みなもよ、こんな時間にすまない。幼馴染のピンチなんだ。今度パフェでも何でも奢ってやるから、助けてくれ。

「ああっ。ちょっと待ってってば!」

 幽霊は僕を引き止めようとするが、僕が画面ロックを外し、通話アプリを開こうとしたところで、

「あっ、わかった。そういうことするなら、私にも考えがあるわ」

 さっきの狼狽はどこへやら。幽霊ははいはいと頷きながら、口を開いた。

「あなたを呪い殺します」

 幽霊は僕を指差して言い切った。全身の血の気が引いたのがわかった。

「ちょっと待てよ。それとこれとは話が違うぜ?」

 一転、劣勢に立たされた僕は説得を試みようとするが、幽霊は聞く耳をもたない。

「いいえ、違いません。あなたを呪い殺して、わたしも成仏します」

 なに言ってるんだと言いたいが、言葉になる前に、幽霊の髪の毛は逆立ち、目が血走り始めた。

煉精化気れんせいかき……煉気化神れんきかしん……」

 呪文を唱えながら、僕に向かって手を伸ばした。これはアカン。

「わかった! わかったから! 何でもするから、命だけは助けてくれ!」

 僕が懇願すると、

「最初からそう言ってればいいのよ」

 幽霊は満足そうに頷いて、元の姿に戻った。

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