ファムファタールの函庭
石田空
イントロダクション
都市伝説と初カレ
バリバリバリッと音が響いた。
男子高校生の体が、まるで痙攣しているかのように、手足がバラバラに反応する。やがて、焼き肉屋の店舗前を通ったときのような燻ったにおいが辺り一面を漂う。
「
女子高生の声が震えていた。
同じ制服のふたりはつい最近付き合いはじめたばかりの、真新しい制服と同じく、初々しいカップルだった。まだ爛れた関係になるほどのことはなにもしていない、一緒にいるだけで幸せを感じているような、ごくごく普通の。
コンシェルジュの声が響いた。
『大変申し訳ございません。当館は七日間の間、全入口において電気を通し、いかなる侵入者も防いでおります。そしてそれに触れた場合は、たとえ参加者であったとしても感電してしまいます。扉に触れる必要がある場合は、どうぞコンシェルジュにお伝えくださいますようお願いします』
「あ……あ……」
コンシェルジュの言葉は少女の心に届かない。ただ彼女は右から左に受け流すので精一杯だった。とうとう操り手のいなくなった人形のように、ぶつりと膝を折って崩れる。
まるで言葉を失ったかのように、彼女は嗚咽だけを漏らしながら、頬を涙が伝うがままにしていた。
少女が泣いている中、ノソリと寄ってきた長い影に気付き、肩を跳ねさせた。
大柄の男は二メートルはある背丈に加え、髪はワックスで固めてあり、余計に身長を高く見せていた。おまけに贅肉が微塵もなく、ライダージャケットにライダーパンツの出で立ちで、死んだ魚のような目で翔太を見下ろしたのだ。
「あぁあ、丸焦げぇ~。このテンポで七日間なんてホントに持つのぉ? 全滅しない~?」
間延びした気怠げな声に、少女は体を震わせた。
彼の声は、人ひとりが今死んだものとは思えないような、現実味をいまいち感じさせないものだった。現在彼氏が死んだばかりの少女に聞かせていいものではない。
「
その彼女に声をかけたのは、メガネをかけ、シャツにデニムというラフな出で立ちの青年だった。
他にもくたびれたスーツの男、学ランの華奢な性根、派手なカラースーツの美丈夫、上質なスーツにピカピカの革靴の男が、コンシェルジュの前に並んでいた。
格好も年齢も属性も、この場にいる誰ひとりとして被らない……それこそ被っていたのは、今先立ってしまった少年と、彼の死に泣いている少女だけだろう。
青年に声をかけられた少女は、気丈に振り返り、ようやく立ち上がった。
「……はい。心配してくださりありがとうございます」
健気な声に聞こえた。ただそれが本心かは、この場にいる誰もわからない。
『それでは……どうぞ皆様残り七日間、指令を達成して生き残ってください』
コンシェルジュの声だけが、館内に響き渡った。
****
明空
「ふわぁ……」
「どうしたの、望海。眠そうだね。ネット見過ぎでしょ?」
「ネットじゃないよう、小説書いてたんだよう」
「小説? 望海そんな趣味あったっけ?」
ふたりは小学生時代からの幼馴染だが、美羽はどちらかというと人付き合いに価値を見出すほうなのに対して、望海は小説や映画など、物語というものに価値を見出すタイプだった。
そのせいでいつも一緒にいる訳ではないし、趣味もちっとも合わないが、気だけは合ったために、ふたりが鉢合うとその場で会話が弾んだ。
望海はスマホで「じゃーん」と見せてくれた。
「『ファムファタールの
「えー、全然高尚じゃないよう。そういえば望海は知らなかったっけ? 『ファムファタールの函庭』って都市伝説。SNSじゃ噂で持ちきりだけど」
「そうなの? 知らない」
「あれかあ。写真系SNSだと流行らない感じかあ。文章系SNSじゃ噂になってるのになあ。じゃあ出られない部屋って知ってる? 前にも見せてあげたよねえ?」
「なんか望海そういう小説好きだよねえ……それは読ませてもらったから知ってる」
出られない部屋とは、条件をクリアしないと出られない部屋の通称である。カップル一組をその部屋に突っ込み、書き手の好きな条件を設定した部屋で条件をクリアしようとするふたりを見守るネタであり、カップルのイチャイチャを眺めるネタもあれば、どちらかひとりを殺さないと出られないという殺伐としたネタもあり、書き手の想像力やカップルになにを求めるかで雰囲気は変わってくる。
「でもそれ都市伝説なの?」
「だから『ファムファタールの函庭』は違うんだってば。あのね、噂によると、男七人に対して女ひとりが大きな家に閉じ込められるんだって。洋館な場合もあれば、豪華旅館の場合もあるし、温泉宿とか、妓楼跡とか、もういろいろ。そして参加者全員に指令書が配られるの」
「指令書? 出られない部屋みたいにひとつの条件をクリアするんではなくて?」
「そうそう。ひとりにつき、ひとつの指令書。それを制限時間内に達成しないと、脱出できないの」
「ふうん……」
美羽も皆と遊んでいて、脱出ゲームなり人狼ゲームなりは嗜んでいるため、そういうものかと思っていたら。望海は「それなんだけど」と人差し指を差した。
「このゲームのクリアの鍵はファムファタールなんだよ!」
「……そのファムファタールってなに?」
「ファムファタールはフランス語で『運命の女』って意味があるんだよ。その人に運命握られてしまったせいで結果不幸になってしまうことが多いから、『魔性の女』とも訳されることが多いけど。で、指令なんだけど、そのほとんどはひとりでクリアするのが無理だから、誰かと協力関係にならないと無理なんだ」
「ふーん……でもそれってさあ、皆で『指令書見せ合いっこしよう』じゃ無理なの?」
「それがねえ。指令内容によっては『制限時間内に指令書内容を見せないように』とか『人の指令内容を妨害しろ』とか書かれてるから、全員で指令を達成しようっていうのは無理なんだあ」
「たしかに……指令書見せたら脱出できないんだったら、そりゃ見せられないんだ」
「そうそう。そして、ファムファタールだけは、全員と協力関係になれる指令書が配られているから、誰と一緒にクリアしようかって、乙女ゲーム感覚で指令に挑めるって訳なんだよなあ」
「ふーん……そういう小説を望海は書いてるんだ?」
「そりゃ書いてるけど。でも別に私が言い出しっぺじゃないよ?」
「えっ?」
美羽が驚いていると、望海はスマホをタップして、文章SNSの検索内容を見せてくれた。
【私の友達がファムファタールの函庭で命を落としました。脱出方法を記述しておきます……】
【ファムファタールの函庭だけど……】
【私のお兄ちゃんがファムファタールの函庭で……】
ひとつだけだったら、創作の一種かなと思ってスルーするだろうが、同じような文面がこれでもかと並んでいたら、その都市伝説は本当ではないかと錯覚してくる。
「知らなかった……でもこれって嘘? 本当?」
「きさらぎ駅だって、誰かが匿名掲示板で書かれた嘘だったじゃない。でも皆がさもあるように振る舞っていたら、だんだんあるように思えてきたから、ファムファタールの函庭も、あるって書き続けてたら、あるように感じるものかもよ。でも面白そうじゃない。ホラー系リアル乙女ゲーム」
「知らない人と一緒に閉じ込められても、乙女ゲームみたいにときめかないと思うよ。逆に命の危険を感じる」
「わっかんないじゃなーい! だってもしイケメンばっかりと一緒に閉じ込められたら!」
「でも望海のしてる乙女ゲームのイケメン、揃いも揃って死ぬじゃない。嫌だよ」
美羽は望海に勧められるがままに、彼女の好きな乙女ゲームをプレイさせてもらったことがあるが、まあ出てくるイケメン出てくるイケメンが信用ならなかったために「これって少女マンガみたいな恋を楽しむものじゃなかったの? 怖い男からひたすら逃げ回ってただけだったよ?」と首を捻って返したことがある。このふたりは一緒に脱出ゲームや人狼ゲームを楽しむことはあれども、それ以外の趣味はとことん合わなかった。
ふたりはスマホを見たりしながらも、どうにか教室の掃き掃除を終えた。他の掃除当番と一緒にゴミを回収し、ゴミ捨て係がゴミを捨てに行ったのを見計らって掃除道具入れに箒やモップを片付けていたとき。
「みゅう~」
美羽を愛称で呼ぶ声が響いた。
灰色のブレザーを着た少年は、短い髪をワックスで遊ばせているおしゃれな男子であった。途端に美羽は「翔太! 掃除終わったよ!」と手を振った。
「それじゃあ、掃除終わったから帰るね」
「うん、バイバイまた明日ー……たしかに美羽はファムファタールの函庭に行っても、翔太くんがいるから、なにも起こらないよねえ……」
美羽は鞄を背負って望海と別れると、廊下で待っていた翔太と一緒に仲良く帰って行った。
ふたりはつい最近付き合い出したばかりで、最近になってようやくファーストキスを済ませたばかりのカップルだった。
まだふたりで一緒にいたらそれだけで幸せという、大きな欲がない関係。ふたりとも塾やら習い事やら部活やらがあるため、週に二回しか一緒に帰れることがなく、翔太の自転車に美羽の鞄も入れて一緒に帰る時間は、休みの日にデートする以上に貴重で尊い時間だった。
「それでね……そんなホラーな都市伝説があるんだってさ」
「ふーん……俺もその都市伝説読んだことあるけど。閉じ込められて指令が達成できなかったら死ぬっていうのがなあ……」
「ええ? 死ぬの? 望海はそこまで言ってなかったけど」
そういえば、美羽が見せてもらったSNSの文面にも、ファムファタールの函庭に閉じ込められて死んだみたいな文章があったが、あれが嘘か本当かは美羽にもわからなかった。
翔太は困ったように首を傾げた。
「まあ、都市伝説だしいいんじゃないか? ホラー映画のキャラクターだって、今はそんなのがいるって感じになってるけど、実在はしないだろ?」
「それもそうだね。いないものを怖がってもね」
なにげない会話だった。ふたりにとっての尊い時間だった。
──そしてそれは、ふたりになんの前振りもなしに終わりを迎えるのである。
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