第25話「嫁だからだ!!」

 ~~~新堂助しんどうたすく~~~




 窮地に追い込まれていた俺の眼前に、御子神みこがみが迫った。

 引っぱたかれるのかと思いきや、ぶちゅりと情熱的なキスをされた。


「………………っ!?」


 な、な、ななななな……!?

 何がどうしてこうなった!? 

 なんで御子神とキスしてんだ!?


 俺は大混乱していた。


 テレビドラマのラブシーンからすら目を反らすような、今どき天然記念物クラスにウブいやつと、こんな白昼堂々キスをしている。

 しかも全異世界中のお茶の間で大人気、視聴者数が億どころか兆でも足りないかもしれない『嫁Tueee.net』の生放送の真っ最中にだ。


「ちょっ……待てっておい!」

 肩を押して体を離した。

「とにかく落ち着けよ! な? みこが──」


「うるさい黙れ!」


 しかし御子神は強情だった。

 俺の説得に耳を貸さず、腕ごと押し込むようにキスを迫った。


「み……いぃいぃいっ!?」


 御子神、と言おうした口を口で塞がれた。

 まさかの2度目に動揺してる隙に足をかけられ、地面に押し倒された。

 マウントをとった御子神は、さらに攻勢を強めてくる。



「おおーとっとっとぉ! 出た出た出たあ! 今日も今日とて出ましたよおー! 3回戦目にしてもはやお約束のこのシーン! むつみ合い絡み合う百合っ子たち! アロー、アロー! 全異世界の良い子も悪い子も見てますかあ!? 破廉恥!? ノンノン! これはただのキスではないのです! 相手を取り込み力にするための儀式なのです! そこにいやらしさは何もない! 徹頭徹尾、戦いのためのものなのです! もしいやらしさを感じたとしたなら、それはあなたがいやらしいのです! あなたの頭を形作るピンク色の脳細胞が自然に率直に発露したからなのです! ──はい、あなたの隣の人の顔を見て! 今すぐ! はい! ちょっとでも動揺したそぶりをしたなら、有無を言わさず拘束! そのまま家族会議に突入してくださあい!」


 女性アナウンサーのゼッカ大黒おおぐろが、くだらないことを言って自分でウケてる。



「御子神、ほらヤバいって! みんなに見られてるって!」


 学校のみんなとか、ご近所さんとか、ゆずりはさんにだって。


「そ……そんなの知ったことか!」


 とか言いつつ、御子神の顔は真っ赤だ。声も微かに震えてる。


「だいたい貴様が悪いのだ! この程度の相手に動揺しおって!」

 御子神はぷんぷんしていた。

「『俺の嫁になれ』とかどや顔で抜かしておきながら、あんなに格好よか……格好つけておきながらっ、なんだその体たらくは! 対戦相手とのほんのちょっとの能力差ごときで怖気づきおって!」


「お、俺は別に……っ!」


 胸ぐらを掴まれた。

 強く強くにらまれた。


「なんにもなかったと言えるか!? ビビらなかったと言えるか!? 一歩も下がらなかったと言えるか!? なあ新堂! 貴様の誇りに賭けて、なにもなかったと言えるのか!?」


 御子神の双眸が、俺をとらえて離さない。

 熱く激しい光を宿した虹彩が、まるで小さな太陽みたいに見える。


 言葉に詰まった俺に、三度みたび御子神は唇を押し付けてきた。


「う……むぅううううっ!?」


 ピンク色の舌先が、歯列を割って入り込んで来た。

 吸われ、絡みとられた。

 ぬめぬめ蠢くものが、俺の口腔を犯した。


 ──ヤ……バい……っ。


 チリチリと灼けつくような何かが、俺の脳髄を駆け巡る。

 リビドーが、体の内で弾ける。

 倫理観が、羞恥心が溶けていって──。


 キスをやめられなくなった。


 何秒も、何十秒も。

 呼吸すら忘れ、唇を重ねた。

 互いを激しく求め合った。


「……ぷはあっ!」


 窒息寸前、御子神が口を離した。


「──文句あるのか!?」  


「……ありまひぇん」


 強引にねじ伏せられた。


「ようう……っし! 1085勝……1085敗だ!」


 御子神は満足げに唇を拭った。


「いつから勝負になってたんだよ……」 


 快感の余韻に身を震わせながら横たわる俺を、御子神は思い切りデコピンした。


いでっ、なにすんだよ!」


 涙目でおでこを押さえた。


「ふん! 負け惜しみを言うな!」


「ヒザキなにがしが通じない!? それがどうした! 貴様は貴様だろうが! 他の引き出しがいくらでもあるだろうが! 私と母上と、その他数えきれぬほどの大勢に教えられてきたくせに! 共に強く育ってきたくせに! 何を知らんぷりしているのだ! 忘れたふりをしているのだ! ひとりで立っているふりをしているのだ! 恩知らずめ! ──おい新堂! 言ってみろ! 貴様は何によって形作られている!?」


「俺が……何に……っ?」


 胸の内に問いかける。

 答えはすぐに返ってきた。

 怒涛のように奔流のように、それは一瞬で全身を満たした。


 俺を育ててくれたもの。

 御子神、御子神のお袋さん。妙子、妙子の親父さんとお袋さん、千草ちぐさちゃん。小鳥遊たかなしのおばさん。世羅せら教授。シンタぃ。ギィの爺ちゃん。マリーさん。桃華とうかさん。黒子くろこさん。ハチ子。タバサねえ。道場のみんな。その他大勢の友達。ついでに親父。 

 

 ──ドクン。

 

 心臓が鳴った。


 お袋の姿が脳裏をよぎった。

 いつまでも若くて、ちょっとするとJKみたいに見えるお袋。

 それを密かに自慢にしているお袋。

 ドレッサーに密かにセーラー服をしまっているお袋。

 

 あの人がどれだけ苦労してきたかを知っている。

 泥に塗れ血に染まり、俺を守ってきたのかを知っている。

 ITの俺を、多元世界人までもが狙う存在を、どうやって守ってきたのかを知っている。


 歩法。

 身のこなし。

 拳の握り方。

 小さな俺に教えてくれたいくつもの事柄。

 その意味を知っている。


「俺は……っ」


 ゾクリと背筋が震えた。


「俺は、俺を愛する人たちのおかげで生きてる……!」


 確信が身を震わせた。


 御子神は目を細めた。


「……そうだ、貴様の中にすべては息づいている。それを繰り出せばいいだけだ。私と戦った時のように」


 呆然とする俺の頬に、ぺちりと手を当てた。


「忘れていただけなんだ。その体が速すぎるから。魔法が便利すぎるから。銃を持つ者が銃に頼りきりになるように。ナイフを持つ者がナイフに頼りきりになるように。貴様はバランスを欠いていた」


 思い出させてやる、御子神は続けた。


「本来の貴様はそうではない。それを思い出させてやる。貴様の中に入って、内から教えてやる」


 それって……


「……隷従の儀式を結ぼうってことか?」


「……」


 沈黙イコール答えだ。


「聞けよ。そもそもが、おまえには全然向かない儀式なんだよ。心も体も束縛されて、首に首輪をつけられて……そんなの、おまえが一番嫌がる行為じゃないかっ。だから俺は……おまえにだけは……っ」


「……安全なところにいるのは性に合わん」


 御子神は優しく笑った。


「それに……貴様になら構わん」


 静かに穏やかに、決意を語った。


「どんな破廉恥な願いだろうと、邪で不躾な申し付けだろうと、それを貴様が望むなら、私はすべて受け入れよう。唇を重ねよう。純潔すら捧げよう。なぜなら私は──」  


 ──貴様の、嫁だからだ。


「……っ」


 二の句も継げなかった。


 御子神の献身に。

 ひたむきなまなざしに見惚れた。



「──てめえらあ!」


 真上からライデンが降ってきた。


「真剣勝負の最中になに乳繰りあってやがる!」 


 ほっぽっておかれたことで怒っている。

 怒りを爪にこめ、思い切り振りかぶった。


「下郎が……っ」


 御子神は振り返りもしなかった。

 柔らかく瑞々しい唇で、技の名を紡いだ。


「──秘剣、神太刀かむたち


 力の波が背後に収束し、ズドンと爆発した。

 正確にライデンの腹を捉えた。 

 カウンターでヒットしたせいか、さっきより遠くへぶっ飛んでいく。


「おまえマジかよ……、はは……っ」


 思わず笑っちまった。


 あんな化け物を後ろも見ずにぶっ飛ばすとか。

 俺の嫁はどんだけTueeeんだよって話だよ。



 ──最初に叫んだのは御子神だった。


「貴様は貴様だ! 私が唯一認めた男だ! 逃げるな! 臆するな! 勝ちたいと強く願え!」


 胸に手を当て叫んだ。


「私のことなら気にするな! 一切の気がね気遣いは不要だ! なしたいようになすがいい! 煮るなり焼くなり好きにするがいい! 貴様が負けるのを私は望まん! 貴様のためならすべてを投げ打つ用意がある! だから新堂……!」


 ──負けじと俺も叫んだ。


「ありがとよ御子神! いまならわかる! 小さい頃からそばにいて、共に傷つき育ったおまえだからこそ、俺の異変に気づけたんだって!」


 至近距離で見つめ合った。


「一緒に戦おう! 拳を握り、剣をとり! それこそおまえの望み通りに! 多元世界マルチユニヴァースのすべてが相手だ! 神様の遊ぶ石舞台! 意志持つ植物のうろつく巨大庭園! 敵は膨大で強大だが、おまえとなら戦える! 絶対勝てる! だから御子神……!」


「──私を奴隷にしろ!」

「──俺の奴隷になれ!」

 

 同時に叫んだ。

 ぎゅっと体を抱きしめた。

 後頭部を抱えこむように引きこんだ。

 唇を押し付けた。 

 呪文を、唱えた──。  


隷従せよオ・ベイ!!」

我、受諾せりゲア・ベア!!」


 南国の海中を思わせるような明るい光が、俺たちを包んだ。


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