ニンジャ・ミーツ・ガール

不二本キヨナリ

第1話「暗殺」

 その夜、その路地には、ビル風さえも進入を躊躇ちゅうちょしたにちがいない。


「いまのあなたは、自信がありそう」


 死体が転がっているからだ。

 小柄な人間の焼死体である。犯人の炎は、いまだ名残なごり惜しそうに死肉を舐め回している。


「わたしを殺す自信が」


 路地に染み入るような声だった。その主の姿が、火明かりに暴かれることはない。


「……さっき、そう言った」


 一方、低く応じた声の主は、仄明ほのあかるく照らし出されている。

 頭巾に鉢金はちがね上衣うわぎに袴、手甲脚絆てっこうきゃはん足袋草鞋たびわらじ――濃紺の忍者装束をまとった青年であった。

 といっても、いまはちょっと老けて見えた。眉間には深い皺が寄っているし、こめかみには血管が浮き出ているからだ。

 青年は激怒しているのであった。


「そうだよね?」


 死体を這っていた火が消えて、路地に闇が戻る。


「あなたは、依頼をけたアサニンだものね?」


 アサニン――忍者アサシンたる天堂五十郎てんどうごじゅうろうの眉間の皺が増え、こめかみに浮かんだ血管がひくつき、歯がきしみ、握った拳が震えた。


 彼はいた!

 

 あの依頼さえ!

 あの依頼さえ請けなければ、こんな目にわずに済んだのに……!


 ・

 ・

 ・


 さかのぼること数時間! 


「ようこそおいでくださいました。鈴木と申します。このとおり、すすめられる椅子もないありさまで、たいへん申し訳ございません」


 天堂五十郎は、東京都新宿区歌舞伎町にある雑居ビルの一室を訪れていた。

 その部屋はコンクリート打ちっぱなしで、什器じゅうきといえば一組の事務机と椅子とタブレット端末だけ、壁にマジックミラーをしつらえれば、警察の取調室のできあがりといった風情であった。五十郎が濃紺のジャージを着て、バックパックを背負っている一方、『鈴木』と名乗った壮年の男が紺色のスーツ姿であるのも、その印象に拍車をかける。

 いずれにせよ、この依頼のためだけに用意された部屋にちがいなかった。


「天堂五十郎です。お構いなく。早速ですが、仕事の話をうかがいたい。難度が高い仕事とお見受けしましたが?」

国立忍学校こくりつにんがっこうを首席で卒業され、史上最短、史上最年少でアサニンギルドのランキング入りを果たされた天堂さんには、どうということもないかもしれません」


 鈴木は社交辞令を交えながらタブレット端末を操作し、壁に一枚の写真を投影した。

 老若男女ろうにゃくなんにょの行き交う雑踏ざっとうで隠し撮りされた写真で、中央にはスーツ姿の中年男性が写っている。端では猫が見切れていて、尻尾だけが残像を焼きつけている。


「ターゲットは、この写真の人物です」


 鈴木は世間話をするような調子で言った。五十郎は写真を見たまま聞いている。


「ターゲットは『祇園ぎおん』と呼ばれております。平日の午後六時三十分頃に、ある路地を通り抜けることが確認されております。そこで祇園を暗殺していただきたいのです。報酬は二千万円。引き受けてくださいますか?」

「二千万……なるほど?」


 五十郎は鈴木に視線を戻しながら、自分を褒めてやりたい気持ちでいっぱいだった。驚きをおくびにも出さず、ただ復唱したかのように「二千万」と口にすることができたからだ。しかも「なるほど?」と付け加えることで、「わかっている」感の演出にさえ成功した。

 それにつけても二千万! これまで五十郎がこなしてきた仕事とは、文字どおり桁がちがう報酬だ。難しい暗殺ならこれくらいが普通なのだろうか? 五十郎にはわからない。ほかのアサニンと交流がないからだ。

 さりとて、鈴木に直接「なぜそんなに高いんですか?」などとたずねるわけにもゆかぬ。なめられるからだ。

 そこで五十郎は、いつものように『忍法五車ごしゃの術』で理由を探ることにした。


素晴すばらしいお話でした」

「え?」

「要点が簡潔にまとめられていて、たいへんわかりやすかったです。これほどの大仕事ともなれば、あれもこれも説明したほうがいいかもしれないと気を配るあまり、長話になってしまいがちですが、その陥穽かんせいにはまることもなく完璧にこなされた……感服いたしました」

「いや、まあ……恐縮です」


 鈴木ははにかんで、右手で後頭部をかく。

 五十郎は手応えを感じた。これぞ、日常会話に使える忍法こと『忍法五車の術』のひとつ、『喜車きしゃの術』である! 相手をおだてて喜ばせることで、口のチャックを緩ませるのだ。

 五十郎は畳みかける! 不可視の巨大なろくろを回しながら!


「しかも、ランカーアサニンとはいえ若輩者のぼくを買い叩こうとされず、最初から二千万を提示された……器が大きい!」

「それほどでも……ありますかね!?」


 鈴木ははにかんで、身をよじる! 五十郎の目が光る!


「ありますとも! それほどの鈴木さんが、二千万を賭けて暗殺を依頼されるなんて……」


 五十郎は声の調子を落として、ささやいた。


「祇園とのあいだに、一体どんなご事情が?」


 暗殺の理由を問うたのだ。

 五十郎は理由を問われたときの反応で、その依頼人が信用に値するか否かを見極めるようにしていた。正直に言う依頼人は信用してもよい――その人間性の良し悪しは別として。

 答えなかったり、嘘をいたりした場合は要注意だ。偽の依頼で五十郎をおびきだし、殺そうとしている可能性や、真の依頼人ではない可能性――つまり、正体を隠したい真の依頼人に頼まれて、代わりに依頼をしている人間(依頼代行業者と呼ばれている)の可能性がある。前者はもちろん、ギルドは後者も問題視している。フェアではないからだ。

 しかし、鈴木はそのどちらとも判断しがたい反応を示した。彼はえりを正すと、揉み手をしながら申し訳なさそうにいった。


「いや、それはですね、その……報酬に免じて、ご勘弁願えますと幸甚こうじんで……

 こんなことを申しあげたくはございませんが、その、天堂さんは国立忍学校出身の忍者であらせられますから……万にひとつのことがあった場合、警察の捜査をまぬがれず……ご存知のとおり、警察にも忍者はおりますから……

 いえ、もちろん、天堂さんが警察の忍者におくれを取るとは思っておりませんが、警察には服部半蔵家中のもおりますし……多勢に無勢とも申します」


 要するに、五十郎が暗殺に失敗し、警察に逮捕されたときの情報漏洩リスクを回避したいというのであった。結局のところ、五十郎を信用していないというわけだ。

 もっとも、それで腐る五十郎ではない。国立忍学校(通称『忍学にんがく』)出身のアサニンという理由で白眼視はくがんしされるのはいつものことだし、依頼を成功させれば信用されることを、よく心得ているからだ。

 さて、鈴木は正直ではある。高額報酬の理由も理解できないものではない。しかし、暗殺の理由を答えてはいない。とはいえ、『忍法五車の術』で聞き出せないこともある――暗証番号とか、好きな女子の名前とかだ。

 そこで五十郎は、鈴木を信用してよいかどうかの判断を保留し、新たに生まれた疑問を口にした。


「それなら、わたしのような忍学出身者――ではなく、に依頼すればよいのでは? 法の網の外にいる彼らなら、万にひとつどころか、なにがあろうと逮捕すらされないではないですか」

「これは手厳しいご質問で……」


 鈴木は、亀のように首をすくめて見せてから話しはじめた。


「……ここだけの話、この仕事。すでに数人の天然者が失敗しております」


 この話は、五十郎にとって驚くにはあたいしなかった。アサニンギルドのマッチングサイト『草結くさむすび』を介して鈴木からコンタクトがあったとき、鈴木のマイページを閲覧していたからだ。

 『草結び』の依頼人のマイページには、過去の依頼件数、そのうち成功した件数、失敗した件数、キャンセルした・された件数、高評価・低評価コメントが掲載されている。これらのデータはギルドが管理・検閲しており、改竄かいざんや露骨な印象操作はできない。

 それによると、鈴木はこれまでに十数回、アサニンに仕事を依頼していて、そのうちの半分は失敗に終わっており、残る半分はアサニンにキャンセルされていた。

 ただ、キャンセルに付き物の低評価コメントはなかったので、五十郎は、仕事の難度が高いためキャンセルが多いのだろうと考えた。キャンセル後に「仕事が難しすぎた」という低評価コメントを付けるアサニンはいない。自分は無能だと宣伝しているのと一緒だからだ。

 五十郎は改めて、壁に投影された写真を見た。中央に写っているスーツ姿の中年男性は、隠し撮りにまるで気づいていないようだ。筋肉の付き方や歩様からしても、忍者とは思われぬ。


「……つまり、祇園のに返り討ちにされたということですか?」

「おそらくは……」


 鈴木は神妙に続ける。


「上位ランカーにも打診したのですが、断られました。失敗がかさんできたからでしょう。すでに上位に君臨している彼らには、あえて難しい仕事を請ける理由はありませんからね。

 どうしたものか困り果てていたとき、アサニンギルドのマイページにポップアップしてきたのです。『今年度のニューランカー』が……見れば、国立忍学校を首席で卒業してから、わずか一年でランキング入りを果たしたというではありませんか。

 そう、あなたのことですよ、天堂五十郎さん!」


 鈴木は天の恵みにあずかる農民のように、あるいは、大いなる福音ふくいんをもたらされた信徒のように両腕を広げ、五十郎をあおぎ見た!


「先に申しあげたとおり、この暗殺は上位ランカーさえ忌避きひする難度を誇っております。いわんや、中位・下位のランカーをや……

 しかし、ランキング入りしたばかりの忍者なら? その実力は未知数です。ことによると、上位ランカーすらしのぐかもしれない……トップランカーの種かもしれない!

 国立忍学校の首席ともなれば、その可能性は十分にございます! つまり、天堂五十郎さん――!」


 溜め!


「――わたしはあなたの可能性に賭けたいのです!」


 握った拳をスイングさせ残心しながら、鈴木はそう締め括った。


「……なるほど」


 おれを信用していないくせに、その可能性に賭けたいとは、調子のいいことだ――


 五十郎は鼻白みかけたが、鈴木の回答に合理性と熱を認めないわけにはゆかなかった。どうやら鈴木は、本当に五十郎に期待はしているらしい。

 それはそれとして、いまひとつ確認しなければならないことがあった。鈴木はアサニンギルドの上位ランカーにも打診したという。


「『七草』にも打診したのですか?」


 もし『七草』も断った暗殺であれば、俄然がぜん、その成功の価値は高まる。ゆえに五十郎は大真面目に聞いたのだが、鈴木はきょとんとしていた。


「『七草』? ……七草がゆのことですか?」

「七草がゆ……? ……それではありません」

「では……『七草』ですか? そう呼ばれるようになったなら、富も名声も思うがまま、できないことなどないとかいう……」


 五十郎が頷いて見せると、鈴木は肩を竦めて笑った。


「ご冗談でしょう、天堂さん。確かに、アサニンギルドにも『七草』がおわすという噂を聞いたことはございますが、わたしなどが『七草』の正体を存じておるはずもございますまい。ただ――」

「ただ?」

「ほとんどのランカーに打診いたしましたから……そのなかに、『七草』もいらっしゃったかもしれませんね」


 世のなか、そう都合のよいことばかりではない。五十郎は、思わず溜め息をついた。それを聞きつけてか、鈴木が問うた。


「しかし、なぜそんなことを聞かれるのですか?」

「『七草』を目指しているからです」


 こういうとき、五十郎は包み隠さず己の意思を表明することにしていた。それが自らの背を押すことになるからだ。


「な、『七草』を!?」


 こういうとき、笑われることも五十郎は知っていた。

 案の定、鈴木は噴き出したが、五十郎の顔の筋肉がひとつとして動かないのを見て、本気であることを悟ったらしい。咳払いをすると、取引先に気をつかってか、つぎの質問をした。


「いや……いいですよね? 『七草』……富も名声も思うがまま、できないこともないらしいですものね……その、天堂さんは、どうして『七草』を目指されて? なにか、『七草』になってやりたいことでも……?」


 五十郎は答えた。


「『七草』と称されるくらいにならないと、割に合いませんからね……忍学を卒業したからには」




 午後六時二十八分。

 五十郎は濃紺のスーツに身を包み、東京都中央区銀座の裏通りの雑踏にまぎれていた。

 裏通りといっても、百貨店や有名ブランドの旗艦店などがのきを連ねる表通りに対して「裏」と呼ばれているだけで、薄暗かったり、後ろ暗かったりするわけではない。防犯カメラが忍ばされた、レトロな外灯から漏れる穏やかな光のもと、清潔感のある飲食店や宝飾店やギャラリーなどが健全な賑わいを呼んでいる。

 五十郎は、そんな裏通りの一本を歩いていた。数メートル先を歩く、今夜のターゲット――祇園を追って。

 五十郎は鈴木の事務所を辞したあと、アサニンギルドのデータベースで祇園の顔写真を検索したが、『銀座に勤める会社員の何某なにがし』という情報しか出てこなかった。表の顔だろう。裏の顔はギルドでさえ掴んでいないということだ。

 その祇園はいま、きらびやかな店のなかに吸い込まれてゆく通行人の向こうで、雑居ビルの狭間はざまの闇へと足を踏み入れた。

 鈴木が暗殺現場に指定した『ある路地』だ。それは、碁盤目状の銀座の裏通り同士を繋ぐ、地図で見れば雑居ビル間の隙間と見分けがつかないような路地のひとつであった。

 五十郎はあとを追う。通行人を壁にして、防犯カメラの視線からのがれながら。

 路地を覗くと祇園の背が見えたが、彼は突き当たりにある直角の左カーブを曲がって、すぐに五十郎の視界から消えた。

 この路地はクランク型になっている。祇園が曲がった先にはまっすぐな路地があり、その突き当たりに直角の右カーブがあって、隣の裏通りに通じているのだ。このうち『まっすぐな路地』は、裏通りから見えない。当然、防犯カメラもない。暗殺現場にはもってこいというわけだ。

 五十郎は一陣の風となって路地に殺到し、突き当たりにある直角の左カーブを曲がった。そのまま『まっすぐな路地』を歩く祇園の背後に迫って、首の骨を折る。


「!?」


 そのつもりだった。しかし、叶わなかった。なんとなれば、『まっすぐな路地』に祇園がいなかったからだ。


 すわ、尾行がばれていたのか!? だとしたら、ここにいるのはまずい!


 五十郎は危機感を覚えたが、すぐに杞憂きゆうであることがわかった。


「え?」


 というのも、五十郎の視界の端で動くものがあったからだ。それは『まっすぐな路地』に面した雑居ビルの勝手口のドアをあけ、漏れ出る光のなかに「お疲れさまです」と言いながら消えてゆく祇園そのひとであった。


「え?」


 そして勝手口のドアは閉められた。光は絶え、路地に闇が戻った。


「え?」


 五十郎は右手の甲を見た。右手にインプラントされた情報端末i窓あいまっどが浮かび上がらせた現在時刻は、何度まばたきしても午後六時三十分だった。いま、三十一分になった。

 依頼人の鈴木は、『平日の午後六時三十分頃に、ある路地を通り抜けることが確認されております』と言った。時刻はまちがってはいない。

 しかるに、祇園は路地を通り抜けなかった!

 それも、たまたま今夜だけ通り抜けなかったわけではない。祇園は『お疲れさまです』と言っていたではないか。あの雑居ビルを日常的に訪問している証! おそらく、あの雑居ビルの一階には祇園の勤務先か取引先が入居しているのだろう。そうであれば、平日の決まった時間に勝手口から入るというルーチンにも説明がつく。

 ! ただの『銀座に勤める会社員の何某』だ!


「ば、ばかな……」


 では『祇園』はどこに? それ以前に誰なのか?


「クソッ!」


 五十郎は右手を虚空に叩きつけるように振り下ろし、時刻表示をかき消した。

 そのとき、見えたものがある。

 いや、見ていたものがある。

 それはひとりの少女と、一匹の黒猫であった。

 少女は五十郎を見ていた。ビル風にワンピースの裾をもてあそばれてなお、五十郎を見ていた。その目の色は、好奇でも恐怖でもない。何色も宿していない。

 五十郎は肩越しに背後を見た。なにもなかった。

 改めてまえを見る。少女はこちらを見ている。

 五十郎はその少女に見覚えがあるような気がした。

 あのとき、鈴木に見せられた写真――雑踏で隠し撮りされた写真には、老「若」男「女」が――端には見切れた尾の残像――……


「……ま、まさか……」


 五十郎はのけぞりながらうめいた。


「まさか、おまえが! !?」


 少女は頷きもせず、


「うん」


 と答えた。

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