第40話
カッターを手にした岡崎は、なんの躊躇いもなく左手の人差し指をカッターの先で引っ掻いた。傷口からはじわじわと血液が滲み、指の先で玉を作る。
まだ完全には閉じられていない人形の背に指をねじ込み、血液を中の綿へと吸わせてから指を引き抜く。まだ血が溢れる指をそのままに、ほかの人形二つにも同じように血を染み込ませてから彼女は指を咥えて止血をした。
「こんなもんですかね、血液を入れたら流石に効くでしょう!」
「貴女ね、急に指を切るんじゃないわよ! 衛生的に良くないでしょう!」
「そうは言われましても、善は急げと言いますから。時間はあまりないんじゃないですか? 先輩ももう怖い思いしたくないでしょう?」
「それはそうだけれど……」
「先輩は中に何入れます? 髪ですか、爪ですか?」
「……楽しそうに聞いてこないでちょうだい、髪にするわよ」
「ニコシマ先輩はどうするんです?」
「俺も髪だな、爪切りもないし。俺はお前と違って痛い思いするのは嫌だからな」
島部はその言葉の後、数本髪を引き抜いた。西園寺は数本の毛先を一センチほど切り、人形の中に押し込む。背を閉じきってはいないが、これで身代わりが完成した。
それぞれが自分の身代わりを持ち、席を立つ。図書館内でいきなり手芸を始めた三人は悪い意味で目立っていたらしく、椅子が床に擦れ合う音だけでちらちらと視線が投げて寄越されているのに嫌でも気付いた。
西園寺はそれに気付かないふりをしながら、頭を抱えたくなるのをこらえつつも図書館を後にした。図書館から駐車場に停めた車へと向かう途中。三人の耳に異様な声が聞こえた。
それは突如、どことも言えない場所から聞こえてきた。非常に不明瞭な人の声が鼓膜を引っ掻く。
その声は徐々に鮮明になってゆき、怨嗟のような言葉を繰り返している。
「痛い」
「助けて」
「早く」
「どうして俺が」
「お前がくるから」
「お前のせいだ」
「許さない」
「呪ってやる」
「償え」
「同じ目にあえばいい」
どこか水の絡んだようなその声は、鮮明になってもどこか唸るような低い声だった。
その声は、昨日聞いた明星と名乗った少年のそれと酷似していた。
一度幻覚を見ているだけ、耐性がついたのか今度は誰も声を漏らすことはなかった。岡崎は周囲を見渡し、何も見えないことを確認してからすっと目を細めた。
「今度は幻聴ですか、しっかり呪われてますねえ」
「これも四茂野の呪いか」
「こんなのが行く先々で起こるのは本当に迷惑ですわ、早く何とかしますわよ」
「何とかするついでに、ちょっとばかし寄りたいところがあるんですけどいいです?」
「寄りたいところ? どこだ」
「市役所です、少し確認したいことがありまして」
「まあ俺は構わねえが、西園寺先輩はどうなんすか」
「綾が必要だと感じるのであれば仕方がないわね、いいわ、行きましょう」
「市役所で聞きたいことさえ聞いたら、四茂野へ行きましょう! さっき、明星くんには三回訪れないといけないって回答がありましたが、市役所の返答次第では今回で何とかなるかもしれません!」
岡崎はにっこりと笑って、車の後部座席へと乗り込む。続きを促そうとした西園寺だったが、綾が車の中へ入ってしまったのであれば仕方がない。続いて反対側の後部座席へと乗り込み、シートベルトをしめた。
島部も運転席へと乗り込み、車はゆっくりと発進する。人の少ない道路から国道へ出て、法定速度を守って車は進んでいく。
市役所まではしばらくかかるだろう。西園寺はまたスナック菓子を口へと放り込んでいる岡崎へ、先程の続きを促した。
「どういうことと言われましても、うーん、まずあの村がどういう形で成り立っているかから話しますね」
「ええ、貴女の話しやすいように話してちょうだい」
「まずですね、あの村が禁足地であったことは確かだと思います。平安時代から、少なくとも明治、大正まではあそこにちゃんと村があったんじゃないかと私は見ています」
「先生が禁足地って知ってたからか」
「はい、そうです。ですが、昭和に入って戦争が始まると同時にあの昔話と重なるようなことがあったんだと思います」
「昔話と重なること? 具体的に何があったと貴女は見ているのかしら?」
「先生は言ってたじゃないですか、一際異質だった場所を祀っているって。昔の人が異質だと思うのは、地形的にそこにあるのが不自然なものだと思うんですよ」
「続けてちょうだい」
「山の中にあって不自然じゃない、けれど異質に見える地形。多分ですが、地下に伸びる洞窟のようなものがあったんじゃないでしょうか。そこを敵の爆弾から逃れるための防空壕替わりに使っていた時に、土地神様の怒りに触れてしまって、あそこが異空間になってしまったとしたら説明がつくと思いませんか?」
「……現実的には考えにくいわね、貴女の説は」
「でもそうじゃないと考えられないんですよね、プロバイダ未契約の件もそれなら説明がつきます。そもそもこの世に存在していないなら、プロバイダなんて必要ないんですから。現に死者からの書き込みでもプロバイダは未契約って表示されたことがあるんですよね、オカルト掲示板って」
「まあプロバイダは何をするにしても絶対契約するもんだからな。プロバイダ未契約のままネットを使うこと自体出来ないはずだから、岡崎の言ってることはまあ正しいな」
島部はちらりと後部座席に視線を投げ、そんな相槌を打った。岡崎はそれにうんうんと自信ありげに頷いて、飽きもせずにスナック菓子を貪っている。
軽い咀嚼音を立てる岡崎の方を横目で見ながら、西園寺は足を組んで思考しているのか言葉を発しない。にわかに信じ難い話ではあるが、岡崎の言ったことは整合性が取れているといえなくもない。
土地神などという科学的でない点を除けば、概ね納得はできるものだ。オカルト的な物を好むとは言えど、ここまでオカルト的なものを信じていいかは悩ましいところだ。西園寺が悩むのも頷ける。
そうやって西園寺が岡崎の一説に対して何を言うべきか考えている間に、彼らを乗せた車は市役所の駐車場へと到着していた。
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