第6話

 神凪と書かれた家の庭に車を停め、梶野はもう一度家の周囲を見渡した。もう先程までのように誰かが連なっているということも無く、のどかな田園風景が広がるばかりで悪い夢を見たのかと思うほどだ。

 怯える梶野に、構わず岡崎と西園寺は自分の荷物を下ろす。数泊すると聞いていたからなのか二人の荷物は多く、気軽に来たというようなものでもなかった。

「まれびと信仰が息衝く村での奇祭……うーん! オカルティックです! 最高ですね先輩!」

「あまり人様の家の敷地で騒ぐものではなくてよ、はしたがないわ。……でもそうね、あれを見てからだと奇祭というのも楽しみになる気持ちはわかるわ」

「お、お二人は怖くないんですか、さっきの……!」

「まあ怖い目には色々あってきましたからねえ、私は。あれくらいはなんでもありませんよ、正直車に直接触ったりされなかっただけ全然マシと言いますか……」

「わたくしは少し驚いたけれど、概ね綾の言うことに同意だわ。こちらに直接的な関わりをもとうとしてこなかっただけ、善良は善良よ。その善良さがどこまで続くのか、わたくしは甚だ疑問だけれど」

「お、オカルト研究部の方は慣れっこなんですか……私には到底無理です……」

「一つ訂正しておくわね、わたくしはオカルト研究部の部員ではなくてよ。ただの協力者であり、物珍しそうなものに首を突っ込んだだけの部外者よ。そこは間違えないで頂戴」

「は、はい、すいません……」

 凛とした西園寺の物言いに梶野が少し小さくなる。先輩、依頼人を怖がらせないでくださいと岡崎が小さく怒ったその背後でがらがらと引き戸が開いた音がした。

 三人が振り返ると、首から小さな鍵をかけた妙齢の女性が玄関と思しき引き戸からこちらを伺っている。白髪染めのせいなのか、うっすらと茶色の交じった黒髪を一つにまとめてゆったりとした服に身を包むその女性はどこか梶野の面影を感じる。

 ーーお母さん。

 梶野のさほど大きくもない呟きに、女性の顔がぱっと明るくなった。そして履物を十分に足に引っ掛けないまま、岡崎と西園寺の方へと近づいてきた。

 その様子には敵意も、妙な信仰心も見られず単なる親子の感動的な再会と言うに相応しい格好であった。

「梨奈! 帰ってきてくれて嬉しいわ、お友達まで一緒で!」

「お母さん、久しぶり。……えっと、このお二人は友人というかなんというか、えっと……」

「ぜ、ゼミの先輩なんです! ね、西園寺先輩! こちらは大学院に通ってらっしゃって私達のチューターをしている方です!」

「え、ええ、そうですわ! わたくし、このお二人のチューターをしております、西園寺久音莉と申します。この度は梶野さんのお誕生日をお祝いする席にお招き頂きまして、誠にありがとうございます。大変嬉しく思いますわ」

「あ、申し遅れました、岡崎綾と申します! 梶野さんのお誕生日を祝われるとのことで、お誘いいただきありがとうございます!」

「まあ、まあ! 引っ込み思案な梨奈にこんなに素敵な先輩が出来ていたなんて、私ちっとも知らないで。お友達だなんて言って恥ずかしいわ、ごめんなさいね」

「いえ! あ、ええと、お名前をお伺いしてもよろしいですか?」

「ああ、嬉しさで忘れていたわね、ごめんなさい。私は神凪咲穂、梨奈の母親です」

 おっとりという形容詞がぴったりな咲穂は、頬に手を当てながらにこにこと笑いかける。その様子に嘘や敵意は全く見られない。良き母親と言った印象を受ける。

 梶野は久しぶりだからなのか少し緊張しているようだが、母親に対して悪い感情はないらしい。手土産などを手渡して近況報告を軽く交わすなど二人の仲は良好そうだった。

 特にこの二人の間で何か確執があるわけではなさそうだ。岡崎と西園寺は目配せをしてから、自身の持ってきた手土産を差し出しつつ咲穂の案内で神凪家の中へと入った。

 外見は田舎にある重々しい日本家屋と言った感じだったが、内装は綺麗にリフォームされており現代的な間取りになっているらしい。咲穂は岡崎達を玄関のすぐ左側の大広間へと通し、寛いでねと声をかける。

「何も無い田舎だけれどゆっくりしていって頂戴ね」

「お気遣いありがとうございます、あっ、お布団まで! お声がけいただければ寝袋持ってきたのに」

「お客様に寝袋だなんて失礼なことは出来ないわ、それに久々のお客様をもてなすのも楽しいから気にしないでいいのよ。梨奈、お茶をお二人にお出しするの手伝ってくれる?」

「あ、うん」

 梶野は頷き、咲穂と共にキッチンがあるらしい奥の方へと歩いていく。時折聞こえるのは親子水入らずの会話で、時折咲穂が梶野の体調を気遣う言葉も聞こえる。

 ーーお腹の調子はあれから悪くない?

 ーーうん、平気だよお母さん。心配しないで。

 ーーそれならいいけど、あの時は大変だったから。

 そんな会話が岡崎の耳に止まり、西園寺へこっそりと話しかける。

「梶野さん、お体弱いんですかね?」

「そう言えばそんな会話が聞こえるわね。運転免許が取得できている以上、ある程度健康だと思うけれど虚弱体質なのかしら」

「後で聞いてみます? あ、もちろん咲穂さんがいないところで」

「そうね、不躾な質問ではあるけれど、体がどこか悪いなら祭りが行われるまでの間、療養して頂かないと困るものね」

「そうですよう、せっかくの奇祭が取りやめになったりしたら大変ですもん!」

「貴女ね……そういう所どうかと思うわよ、わたくし。笑太郎……ああ、ニコシマと呼んだ方が良かったのね、彼もきっとそう思ってるわ」

「えー、そんなことは無いと思うんですけどねえ」

 そんなことを小声で話している内に、梶野と咲穂が赤い茶の入ったピッチャーとグラス、それから桜餅を持ってきた。和菓子屋が村の中にあるのかはさておき、美味しそうなそれらに岡崎が目を輝かせていると、くすくすと嬉しそうに咲穂が笑う。

「長い時間の運転疲れたでしょうから、甘いものでも召し上がって。こちらはざくろ茶を用意しているわ、女性おふたりだから美容にいいものの方がいいかと思って」

「お気遣い痛み入りますわ、ですがこんな言い方をしてはなんですがざくろ茶を入手するのは大変だったのでは? わたくし達にはお構いなく……」

「いいのよ、さっき言ったでしょう? おもてなしをするのが楽しいの、だからお食事も腕によりをかけるから楽しみにしていてね」

「まあ、それは楽しみですわ! 咲穂さんがそう仰るならわたくし達も楽しませていただきますわ、ねえ岡崎さん」

「はい! 数日間よろしくお願いします!」

 元気よく返事をし、岡崎は我先にと桜餅へと手を伸ばす。そんな彼女の手をはしたない、と一度軽く叩いてから西園寺はざくろ茶へと口をつけた。

 甘酸っぱい独特の味のするお茶は、運転で疲れた体に染み渡るようで心地が良かった。それは梶野や岡崎も同じだったようで、お茶を一口飲んでほっとした顔をしている。

 少しの間歓談に花を咲かせていた四人だったが、咲穂がああそう言えばと何かを思い出したかのようにこんなことを口にした。

「午後六時以降は外には出ないでちょうだいね」

「六時ですか、随分早い時間ですね?」

「ここは山の中だから。野生動物なんかが出て危ないのよ、夏場ならもう少し遅くても大丈夫かもしれないけれど」

「なるほど、それは確かにそうですね。熊なんかも冬眠から覚める時期ですもんね」

「ええ。この辺りでは子供にそれを教えるのにすかわて様の使いが来るぞ、なんて言ったりもしていたわね」

「そう言えばすかわて様というのは、この村独特の神様ですか? 外では聞かないものでして……」

「そうね、この村で信仰されている土地神様のような物ね。五穀豊穣を司ると言われているわ、気になるなら教会があるから行ってみるといいんじゃないかしら。きっと私なんかより詳しく教えてくださるわ」

 教会。その不穏な響きに岡崎の体が微かに動いた。オカルティック! そう叫びたくなるのを我慢し、西園寺と共にそうですかと相槌を打ったが、これはなにか情報が得られるに違いない。

 西園寺も同じことを思ったようで、ちらりと岡崎の方へ視線を投げて軽く頷く。岡崎もそれに頷き返し、二人の間で共通目的地として教会が決まったのであった。

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