女帝の影に潜む者~スパイはいらないと死刑宣告されたスパイマスター、九人の優秀な部下を引き連れ帝国入り~

水本隼乃亮

第1話 死刑宣告

 エーゲス大陸に存在する国々を結ぶ街道がいくつも交錯する土地に位置するジュラ王国。その位置関係上「移民の国」と謳われるジュラ王国の王宮の一室には、高価な服に身を包んだ者が何人も集まっている。王国内でも力を持つ貴族たちが一堂に会し、御前会議を行っていた。


「…それでは、情報省から報告です」


 中央に置かれた円卓の周りに、多種多様な、しかし一様に恰幅の良い貴族たちが座っていた。大きな扉から最も離れた場所には、その場にいる者よりも一際豪華な服と大きな王冠を着用している者がどっかりと座っている。


「我がジュラ王国の北に存在する大国、ゲラリウス帝国とその西に存在するオーリュ王国の戦線は未だに膠着状態。恐らく一年程はこの戦線に動きはないでしょう。また、部下の情報によると、その影響からゲラリウス帝国の支配下にある属州では反乱の兆しが伺えます」


 そう淡々と報告をするのは、中年男性ばかりのこの部屋では一際浮く青年と言っても差し支えのない男だった。

 全身を黒の服で包み、整った顔には濃い隈がぶら下がっている。

 この辺りでは珍しい黒い髪と瞳を持った男を、部屋中の貴族たちは鋭い視線で見ていた。


「そうか。それならば来月にはゲラリウスに攻め入るとしよう」


 野太い声でそう言ったのは、王の左手に座る筋肉質の男であった。頬に二つの切り傷がある彼の言葉に、貴族たちは同意するように頷く。

 

「恐れながら、ラーリュ侯爵閣下。時期尚早であると愚考します」


 たった一人、全身黒ずくめの青年以外は。


「…なんだと?」


 男――ラーリュ侯爵は周りの貴族たちが思わず震えあがる程の低い声でそう言った。

 しかし、当の青年はどこ吹く風だ。動じている様子が全く見受けられない。


「部下の調べでは戦争中であるゲラリウス帝国ですが、今だ我らがジュラ王国との国境に二千もの兵を張り付けております。このままかの国と戦闘状態に入れば、恐らく簡単に打ち負かされるでしょう」

「―――!」


 飄々と反論する青年の言葉に、ラーリュ侯爵は人の顔程あるのではないかと思える拳を円卓に叩きつけた。


「いい加減にしろ! シュヴァルツ卿、貴様はいつまで及び腰なのだ! ゲラリウスの弱兵どもを蹴散らし、このジュラ王国の版図を広げるのが陛下の悲願。だと言うのに貴様は口を開けば時期尚早時期尚早!」


 軍務長官という、いわばジュラ王国の軍のトップに座するラーリュ侯爵の迫力ある言葉は、当事者ではない同席する貴族でさえも怯えてしまう程。

 しかし、シュヴァルツ卿と呼ばれた青年の表情は微動だにしない。


「仕方のないことかと」

「仕方ないだぁ!? ジュラ王国の兵力は陛下直属の軍と我ら貴族の軍を集めれば三千は優に越える! いいか、三千と二千だ。どちらが勝つかは明白だろうが! それにゲラリウス帝国はオーリュ王国と戦争の真っ只中。二正面で戦う奴らに援軍など来るはずもないのだぞ!」

「恐れながら、ゲラリウス帝国の兵は精強です。部下の情報によると、オーリュ王国との戦線でも半数以下の兵士で戦い互角との情報。しかもゲラリウス帝国は国境に砦を有しております。少なくとも五倍の兵は必要かと」

「貴様ァ!ジュラ王国の兵たちが軟弱とでも言うつもりか!」

「いえ、そのようなことは決して」


 ラーリュ侯爵はあまりの怒りに青筋を立て、肩で息をする。しかし、シュヴァルツ卿は平然とした顔だ。怒り、焦燥、そういった表情が一切見受けられない。

 その余裕の態度が、ラーリュ侯爵の怒りを更に加速させる。


「貴様!陛下に拾われた恩を忘れたか!」

「恐れながら、陛下に拾われたのは私の祖父ですし、祖父を召し仕えたのは先々代です。私は私の職務を全うしているだけかと」


 その言葉に、ラーリュ侯爵は今度こそ両手で円卓を叩いた。大きい音が響き、部屋は沈黙に支配される。


「…シュヴァルツ卿は虚偽の報告をしている」

「―――は?」


 しんと静まり帰った部屋でそう口を開いたのはラーリュ侯爵だった。彼は先ほどまでの怒りを忘れたかのような静かな口調でそう言った。

 その言葉に、今まで動じなかったシュヴァルツ卿の表情が崩れる。


「近衛兵、奴は反逆者だ! 拘束しろ!」

「な、は、は!?」


 困惑して立ち尽くすシュヴァルツ卿のもとへ、近衛兵二人が近寄り、後ろ手を縛った。


「ば、馬鹿な! 離してください!」

「黙れ。貴様の妄言はもう聞き飽きた」


 ラーリュ侯爵はそう言って、一つの紙を取り出した。


「ここ数年、シュヴァルツ卿からの情報には疑問が残る」

「なにを……」

「そう思った私は、手の者を砦に送り込ませた。結果、砦にいるゲラリウス帝国兵は五百に満たない、と」


 ラーリュ侯爵のその言葉に、貴族たちの間にどよめきが起こる。

 

「それは敵の策略です! 私たちの油断を誘い出すための―!」

「黙れ!砦にいる兵が五百なんだぞ! 二千の兵がいない時点で貴様の言葉は聞くに足りん!」


 シュヴァルツ卿の言葉を遮って怒声を浴びせるラーリュ侯爵。彼の言葉に、貴族たちは非難の視線でシュヴァルツ卿を刺す。

 ジュラ王国の歴史は戦争ばかりだ。ここ数十年は戦争と無縁の歴史を持つが、どの貴族も先祖は様々な戦場で武勲を挙げている。その子孫である彼らが、戦いに飢えていない訳がない。そんな彼らが戦争を妨げる要因であるシュヴァルツ卿を嫌うのも当然の流れだった。


「そもそも、貴様の諜報活動は本当に正しいのか!?」

「あ、当たり前です! 何を馬鹿な事を……」

「俺たちは貴様の言う部下の顔すら知らない、本当はいないものたちのために国民の税を使っているのではないだろうな!?」


 シュヴァルツ卿の役目は諜報活動―つまり、スパイ行動だ。他の国に間者を送り情報を集め、また自国に潜入する敵国の間者を始末する。

 情報省の長官としてジュラ王家に代々仕えているシュヴァルツ一族だったが、彼らの配下の顔は、貴族だけでなく国王も知らなかった。


「それは、以前にも説明した通り構成員の顔を貴方たちが知ることになれば様々なリスクが……」

「それは俺たちを信頼していないということか!」

「そのような事は決して……」

「黙れ黙れ! 貴様は私腹を肥やしたいがために、いもしない者のために税から支払われる金を騙し取っている!」

「な、何を馬鹿な事を」


 無茶苦茶だ、あり得ない。ラーリュ侯爵の馬鹿げた言葉にシュヴァルツ卿の顔に思わず冷笑が浮かぶ。

 しかし、周りを見渡すと他の貴族も、その顔を怒りに染めていた。

 その瞬間、シュヴァルツ卿の顔が青くなる。

 ――この流れは、マズイ。


「分かったぞ! 貴様、帝国に裏切ったな!」

「は、はぁ!?」

「そうであれば貴様が嘘をついた辻褄が合う! ゲラリウス帝国は今オーリュ王国との戦争の真っ最中。貴様を使ってその背中を刺せないようにしているのだろう!」

「ば、馬鹿なっ! それこそ妄言だ!」

「黙れ売国奴が!」

「ラーリュ侯の言う通りだ! その裏切者を殺せ!」


 シュヴァルツ卿は必死の形相で弁明するも、この流れを止めることは出来ない。いつしか、部屋中の貴族たちは口を揃えてシュヴァルツ卿を罵倒し始めた。


「黙れ」


 その声が響いた瞬間、シュヴァルツ卿への罵詈雑言がぴたりとやむ。何故なら、声の主は現国王、ヘリウス・アリダウス・ジュラのもの。この場だけでなく国で最も偉く尊い存在の声に従わない者はいない。

 その瞬間、シュヴァルツ卿は拘束を逃れ、ヘリウスの下へ近寄る。


「へ、陛下。私が裏切っているなどという事実はございません。これらは全てラーリュ侯の妄言、事実無根の話でございます。だからどうか……」


 縋るようにそう言うシュヴァルツ卿を、ヘリウスは冷ややかな目で見下ろす。


「残念だ、シュヴァルツ卿」

「な……!」


 その瞬間、シュヴァルツ卿を襲ったのは絶望。今の今まで目の前の人物のために身を粉にして働き、時には命の危機に瀕しながらも彼のために仮想敵国の情報を集めてきた自分の働きが崩れ去っていく。


「シュヴァルツ一族は三代にわたって、我ら王家に仕えてくれた。その恩に報いるために、国外追放が妥当と考えたが…」

「ま、まさか…」


 ヘリウスのその思わせぶりの言葉に、ラーリュ侯の顔に笑顔が浮かぶ。

 それを見て、シュヴァルツ卿は察した。


(はめられた!あの戦馬鹿、元々今日俺をこうするつもりで――!)

「貴様は我が国の防諜を担当するという理由で、ジュラ王国の深くまで知り尽くしている。知り過ぎた貴様を易々と他国に行かせる訳にはいかん。……貴様を、死刑に処する」


 ヘリウスがそう言うと、部屋にいた近衛兵全員がシュヴァルツ卿を再度拘束するために動き出す。


「そもそも、こそこそと相手を探ることなど、騎士のやり方ではない。騎士とは、正面から堂々と互いの誇りを掛けて戦う者のこと。貴様のような鼠風情、我が国に相応しくない」


 ヘリウスがそう言った瞬間、シュヴァルツ卿の表情が変わった。


「…最悪だ」


 先ほどまでの、死を宣告された哀れな青年の表情から一転、全てを見下し全てを軽蔑しているような、そんな冷たい表情になる。

 近衛兵に両手を縄で拘束されつつも、シュヴァルツ卿は抵抗をしない。

 そんな不気味な様子を、ラーリュ侯は困惑した顔で見つめていた。


「最悪だ最悪だ。俺はこんな奴に仕えていたなんてな」

「き、貴様! 陛下に向かって―!」


 王であるヘリウスに向かってそう言いのけるシュヴァルツ卿。そんな彼に対するラーリュ侯の怒りが頂天に達するよりも早く、事態は急変した。


「最悪だ、いい職場だったんだがなぁ…」


 シュヴァルツ卿はそう言うと、袖の中に隠し持っていたナイフで器用に両手を拘束するナイフを切った。


「なっ!」


 それを目の前で見ていた近衛兵が驚いている隙に、シュヴァルツ卿は首から下げる首飾りに手をかざす。

 その瞬間、部屋を真っ白な光が包んだ。


「うぉ…! この光はなんだ…!?」

「魔道具か!? 前が見えん!」

「あばよ、脳が筋肉で出来ちまってる阿呆ども。俺無しでも精々上手くやりな」


 その冷たい声とともに、光が消えうせる。

 貴族たちは数回瞬きをし、視界が回復したことを確認すると、目を疑った。


「シュ、シュヴァルツ卿は何処に行った!?」


 先ほどまで間違いなくそこにいたはずのシュヴァルツ卿が消えていたのだ。

 屈辱的な捨て台詞に青筋を立てたラーリュ侯は目の前の椅子を蹴飛ばす。


「探せ! シュヴァルツ卿……ジークハルト・シュヴァルツはジュラ王国に仇なす鼠だ! 見つけ次第殺すんだ!」


 怒りのままに近衛兵にそう命じるラーリュ侯であったが、結局それ以降彼を殺すどころか、姿を見る事すら叶わなかったのだった。

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