第3話 おれに近づくな



「課長、資料まとめましたのでご確認お願いいたします」

「ああ、そこ置いといてくれ」

 頼んでいた資料作成が終わったようで、部下がおれに声をかけてきた。

 確認を依頼されたが内容は大体頭に入っている。

 昨夜の夢で確認済みだ。

 別にこんな資料を夢のなかで見るまでもない話だが、夢の内容を選べないのがたまにきずだな。

 それでも、先を知ることができるというのは強力なアドバンテージだと思い知った。

 あのとき部長が言ってたことも納得できる。




 おれが予知夢のおかげで交通事故を回避できたあの夜から、5年過ぎた。

 後から聞いた話によると飲酒運転だったらしい。

 あの日はさすがに出歩くことが恐ろしく、仮病を使って会社を休み一日中家にこもっていた。

 半信半疑のままなにをするでもなくその日を終え、興奮状態だった頭もすっかり冷めてぐっすり眠ってしまった。

 眠りが深かったのか、夢を見ることもなかった。

 朝目が覚めて、いつもの気だるい日常が戻ってきたと感じた。

 一昨日の夢はなんだったのか。

 本当に単なる夢だっただけか。

 いや、そもそも夢を見たこと自体、夢だったんじゃないか。

 今まで鮮明に覚えていたあの夜の夢の光景が一気にぼやけていき、昔見たドラマのワンシーンくらいの、非現実的でどうでもいい記憶に思えてきた。

 思い出すのも馬鹿らしい。

 そんなふうに思えてしまうほどに急速に冷めていき、日常に戻ろうと出社するために身支度を始めるが——————

『——昨夜未明、飲酒運転でコンビニに突っ込んで店員に怪我などさせた疑いで男が逮捕されました。』

 再加熱する。

 ラジオ感覚で点けていたテレビのニュースから近所のコンビニで事故が発生したことを聞きテレビ画面に釘付けになった。

 これだ、間違いない。

 震えが止まらなかった。

 たまたまだ、と自分を諌めることはもうしなかった。

 他人が聞けばまだ偶然の域を出ていないのではないかと、そう考える人間も多いだろう。

 しかしあの日、おれは靄を掴んでいたんだ。

 これはなんだと気になって仕方なかったが、このニュースを見ておれは答えを得た気がした。

 これを活かすも殺すもおれ次第・・・。

 あんなに気持ちが高揚した状態で通勤したのは初めてだった。





「・・・課長?」

「ん、ああ悪い悪い、目を通しておくよ。」

 おれがぼうっと資料の表紙を眺めているだけだったのを訝しんだ部下が、見てくれないんですかといわんばかりに覗き込んできたので適当に返事をした。

 万年平社員だったおれも、未来を見れるようになれば5年で中間管理職になれた。

 そう、だがまだ課長止まりだ。

 おれからすれば大躍進だがもっと優秀な人間であれば、この力を使いこなしてもっと成り上がることもできるのだろう。

 いや、そもそも会社勤めである必要もないかもしれない。

 そこが10年もサラリーマンをやっている男の、哀れな雇われ根性というやつだろうか。

 平々凡々な男には、もっと人智を超えた強力な予知夢が必要なんだ。

 つまりは、おれの人生を根底から変えるにはおれの予知夢は弱過ぎた。

 見れる未来は大体24時間先まで。

 どこの時間帯を見れるかは夢の気まぐれ。

 どれくらいの時間見れるかも規則性はない。

 これが、5年間予知夢を見続けたおれが確認できたこの力の制限だ。

 この制限のなかで最大限予知夢を活かす方法を、おれは思いつかなかった。

 いや、思いついても実行はできなかった。

 毎日競馬や競艇、ギャンブルの類に没頭していれば、いつかは大勝ちできる情報を予知夢で見て大博打を行い、見事大金をせしめることもできるかもしれない。

 だが、今の日常を大きくかえて実行するのはなんとも気が咎めた。

 この力が本物だと確信はあったのだが、それに身を委ねて全てを賭ける気にはならなかったのだ。

 リスクをとることを嫌う、なんとも現代的な人間だな。

 自嘲気味に頭の中で悪態づいた。

 しかしそれでもおれの、未来を見たいという渇望に呼応してくれるこの予知夢は、確実におれの人生を好転させてくれていた。

 仕事のミスは激減したし、重要な判断の一助にもなるし、今の妻と結婚できたのも予知夢のおかげだ。

 そもそもおれが今生きているのは、あの夜の事故を回避できたからに他ならない。

 順調だ。

 未来が見えるとはなんと凄まじい武器だろう。

 これからの人生、何も不安がることはない。

 懸念があるとすれば・・・。




「課長、私からもよろしいでしょうか?」

「おう、どうした。」


 別の部下から相談された。


「明日の午前中に同席いただく先方へのプレゼン資料ですが、どちらのパターンでいくか悩んでおりまして・・・見やすさとか構成とか、ご意見伺ってもよろしいでしょうか。」

「明日の午前中・・・10時とかだったか?なら・・・ギリギリ大丈夫か・・・。」

「はい?」

「ああいや、こっちの話。そうだなあ、すまんが家で読ませてもらっていいか?明日の朝イチで返事するよ。」

「かしこまりました。お手数ですがよろしくお願いします。」


 読むには読むが、おれが返事を先送りにしたのは予知夢をアテにしたからだ。

 そう、おそらく10時の予知夢なら問題ない。

 運がよければまだ見れるはずだ。

 先ほど話した懸念の件に戻るが、最近どんどん見れる未来が近づいてきたのだ。

 あまり先の予知夢を見なくなってきた。

 最初は話した通り、24時間先までは見れたのだがここ最近は翌日の午前中が関の山になっていた。

 この能力にも寿命があるのか。

 それに気づいたとき、後悔した。

 なぜもっと劇的な変化を望まなかったのか。

 やりようはあったはずだ。

 直近の未来しか見せなくなった夢のなかのおれ自身につかみかかりたくなる衝動に駆られることもしばしばあった。

 近づくな。

 もっと離れろ。




 その日の夜、夢を見た。

 いつも通り、翌日の予知夢だった。

 しかしその内容はおれの期待していた光景ではなかった。

 プレゼンしている最中、もしくはプレゼン後に手応えがわかる何かが見られればと思っていたのだが、夢のおれは会社から得意先に向かうため外回りに出る瞬間だった。

 二重に裏切られた気分だ。

 プレゼンの手応えがわからなかったこと。

 また見れる未来が近づいてきていたこと。

 なぜ思い通りにならない?

 どうしてお前はもっと未来にいかない?

 会社を出て姿が小さくなっていくおれ自身を、おれは強烈な憎しみを持って睨みつけていた。

 ふと、夢のおれは立ち止まってこちらを振り向き——————

 目があった、気がした。

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