カフェ店主は名探偵?!

天海透香

カフェ探偵はお絵描き中

第1話 舞い込む依頼

 磨かれたチョコレート色のカウンターに肘をついて、通りを横切る人や車の流れをぼんやりと眺めていた。

 カフェ・一善いちぜんは今日も暇だ。

 

「お客さん、来ないねぇ」


 あたし・花堂琴理はなどうことりは隣にいるこのカフェの店主に向かって呟いた。

 店主は端正な顔を僅かに曇らせてPC画面を睨んでいる。

 額に落ちるサラサラした黒髪が影を作り、何やら悩ましい風情だ。

 腕を組んだまま微動だにしないところを見ると、どうやら煮詰まっているらしい。


「大丈夫。珈琲は売り切れだ。表にclosedの看板を出しておいたよ」


 店主から滅茶苦茶な答えが返って来た。


「ちょっと、貴兄たかにい!やる気あんの?あたしの学費、そんなんで払っていけるの?!」


貴兄はその切長の目でチラッとあたしを見る。


「僕の本業は小説だからね。こっちを頑張れば必然的に収入に繋がるというわけだ。だからそれまでカフェは休業…」


「それで不安だからカフェやってるんでしょ!こうしてあたしも店番してるんだから、さっさと店を開ける!」


 あたしがものすごい形相で睨むと、貴兄たかにいは渋々立ち上がってドアの看板をopenに換えに行った。


 これだからもう、この人は!


 --この店の店主である貴兄、花堂貴見はなどうたかみは十歳離れたあたしの兄だ。

 と言っても血は繋がっていない。


 両親は結婚当初子供ができず、当時三歳だった貴兄を養子に引き取った。その七年後に、思いがけず女の子を授かる。それがあたしだ。だから、あたしと貴兄は血は繋がっていない十も歳の離れた兄妹なのだ。

 ところがあたしが八歳、貴兄が十八歳の時に両親は交通事故に遭い、帰らぬ人となってしまった。

 以来、ずっとあたしを育ててくれたのは貴兄だ。私は十四歳になり、若く見られるけど貴兄は二十四だ。貴兄は兄であると同時に、あたしの親の役目も果たしてくれている。そんな貴兄には感謝しかない、はずなのだけど…。

 そう素直に言えない悩みの種が、あたしにはあった。


 看板をopenにした途端、カランとドアベルを鳴らしてお客さんが入って来た。

 ほらっ、お客さん待ってたじゃない!私は慌てて営業用の声を作った。


「いらっしゃいませ!」

「いらっしゃいませ」


貴兄も営業用の歯切れのいい声で、短く言う。こう言うところは息の合った店員とマスターにしか見えないと思う。

 入ってきたのは、町内会長の中田さんだった。70代半ばの中田さんは定年退職後ずっと町内会町内会長を務めていで、町内の情報を漏れなく持ってくる常連さんだ。


「なんだ、中田さんですか」


 貴兄は露骨にぞんざいな態度になる。


「そう嫌な顔しなさんな。これでもopenの札が出るまで待っててやったんだからさ。琴理ちゃん、今日もかわいいね!ブレンドお願い」


 後半はあたしに向けて相好を崩して言った。これでもあたしは看板娘なのだ。


「かしこまりました!中田のおじさま」


思いっきり営業用の声と笑顔で、兄が遠慮なく無愛想なのをカバーする。


「琴理ちゃんの笑顔を見ると、今日もがんばろうって思えるね。どう?うちの息子の嫁に来てくれる気ない?」


 あたしは笑って軽く流して、ふと横の貴兄を見た。

 貴兄は本気でムッとした顔をして中田さんを睨んでいる。


「琴理はまだ中学三年です。中田さんの息子さんは38歳でしたよね?失礼ですが、その年齢まで独身とは何か理由が?そんな訳ありの人物に妹を嫁にやるわけにはいきませんッ」


 だんだん激してきて、最後にダンッとカウンターを叩いた。

 中田さんとあたしは顔を見合わせた。

 マズイ。


「いやっ、冗談だからっ!マスター、落ち着いて」

「そうだよ、お兄ちゃん!ただのジョークだよ!中田さんたらおっかしー!あはははは!」


「タチの悪い冗談ですね」


 二人で必死でフォローすると、貴兄はなんとか落ち着いてくれたようだ。

 中田さんとあたしはホッと息を吐いた。

以前同じような冗談で、貴兄はトレンチを一枚へし折ったことがある。 


 そうなのだ。

 この兄は、妹のあたしを溺愛していると言っていい。

 父親代わりに育ててくれた恩はとっても感じているけど、最近ますます激しくなるこの頑固親父化現象に少々頭を悩ませている今日この頃なのだ……。


「ところで中田さん、今日は何をしに?」

 貴兄が尋ねる。

「喫茶店に珈琲飲みに来ちゃいけないのか?と言いたいとこだけど、実は頼み事があってさ…」

「探偵の依頼は売り切れです」

「は?」

「ですから、探偵はお断りしています、といつも言っていますよね?」

「いやぁ、そこをなんとか!先生!」

貴兄は渋い顔をしている。

「あのですね、確かに僕は推理小説を書いていますよ。だけどあれはあくまで小説なんです。探偵が颯爽と事件を解決してるように見えるでしょうが、作者の自作自演なんです。だから僕自身推理ができるわけでもなんでもなくて…」

「まぁまぁ、いつものように話だけ聞いてよ。来年の町内会役員、見逃してあげるからさ」

「……」


 痛いところを突かれて、貴兄は口を噤んだ。

 中田さんは勢いを得て、一気に話し始めた。


「最近町内でタチの悪い悪戯が相次いでるんだよね。高級車とか、家のドアとかにペンキで落書きすんの。安藤さん、中村さん、宮崎さん、五反田さん、川崎さんがやられて、まだ続くんじゃないかって住民が気味悪がってる。町内会としては夜のパトロールを増やしたりして警戒してるんだけどね」


「落書きだけですか?」


 私は思わず口を挟んだ。


「そうなんだよ。だから警察も少しは動いてくれてるけど、あんまり熱心じゃなくてね。でもやられた方にしてみると、ちょっとドキッとするような落書きもあってね」


「写真、あります?」


 貴兄が口を開いた。


「あるある。ほら、これ」


 中田さんがスマホを操作して見せてくれたそこには、ぶちまけられた血のような真っ赤な塗料のかかったドアの写真があった。

 まるで殺人事件の現場のようだ。

 それが二枚続く。


「あとはこれ」


 次は、車に同じように赤い飛沫が飛び散っている写真。


「なるほど、ちょっとグロテスクですね」


「それと、これはちょっと違うんだけど…」


 次に中田さんは、表札が赤い○印で囲われている写真を続けて3枚見せてくれた。

 貴兄は中田さんのスマホを受け取ると、何度か写真を行ったり来たりして見ていた。


「中田さん、現場に案内してもらえます?」


「もうきれいにしちゃってると思うけど、いいの?」


「結構ですよ」


 貴兄は黒のサロンをシュッと解き、カウンターの上に置いた。

 そうして私は、今開けたばかりの店にまたclosedの看板を出すハメになったのだった

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