Act.2.5 習慣、感心、黄菫
1
その日、バイトから帰宅したまどかは瑞枝に出してもらった夕飯を食べてそのままテーブルに突っ伏していた。ちょっとだけ、とお風呂に入るまで腹休めにしたつもりだったがついうとうとしてしまった。
少しだけですよ、と瑞枝の柔らかい声が聞こえた気がした。
***
瑞枝は日ごと家事を上達させて、主夫然としている。
まどかにとって至れり尽くせりともいえる状況ではある現状は実際のところどうなのか悩ましいものであることに変わりはない。
最初はあくまで私はお客であり居候というスタンスを貫こうとしていたようにみえたが、一緒に過ごして入るとただ何もしないというのも暇らしい。
もともと何をして生きていたのか、まどかは今のところ瑞枝に詳しく聞いたことはなかった。瑞枝から話してくれる以上の事は分不相応というか過干渉といおうか、まどかにとって瑞枝は受けた呪いを解いてもらう代わりに探し物を手伝う、という間柄でしかなかったからそれ以上何かをしたりしてもらったりするのは限度を超えているのではないだろうかと思えたのだ。
暇だからまどかが大学とアルバイトに行っている間は家の事をしよう、といいだして本はないのかと部屋の中を眺めたあと図書館の場所を聞き出したのが始まりだった。図書館からどうやったのか(これも詳しく聞くことは憚られた)まどかの図書館利用カードを利用して本を借りてきて開いていた。本当は他人に貸出するべきではないカードだけれど、どうやって利用したのだろう。
料理や小説、街の歴史の本だったりとジャンルは多岐にわたっていてそれが一層、瑞枝の暇という時間を持て余している現状をうまく表していた。
「図書館で読んできてもいいんですよ」
「図書館のスペースを借りてないというわけではありませんよ。ただ、面倒なので借りてくる方が何かといいですね」
何が面倒で、何が何かといいのかはまったく察っせないが、今はまどかの家に居る方がいいというのなら家に居てもらって構わないし、防犯を考えてもまどかとしては助かるのだ。
帰宅して誰かいてくれることに慣れた今は、ドアを開けて返事があるとホッとするものだ。
瑞枝が人の形をとれる妖怪、年齢は不詳、怒ったら怖い、ということ以外問題はない。約束が守られなければ、まどかが呪いで死ぬのか瑞枝が看取ってくれるのかという違いくらいだろう。
「ところで、台所の勝手については今うかがっても?」
講義がなくなった土曜日に、瑞枝はちょっと様子を窺いながらまどかに聞いた。まどかは講義を復習していたところで、朝食の後軽く掃除をしたあとからだから一時間半ほど勉強していた事にはなる。手を止めて、予想外の言葉にぱっと顔をあげた。我が家にやってきた人の姿をした妖怪が、料理を! とちょっとした好奇心が湧いた。
「え! 何か料理でも始めますか? そっか、確かにお昼は作り置きだと味気ないですよね」
瑞枝がまどかの部屋に居るようになって、二週間もしないがその間、自分用のお弁当と一緒に瑞枝のお昼ご飯は用意していて、夜はバイトが終われば即帰って夕飯を作るようにしていた。レパートリーが少ないから飽きが来たのだろうかと少し不甲斐なさを感じながら、まどかは聞いた。
「いえ、作り置いてもらってもらっているものはおいしく頂いてますが。何かできないものかな、と。時間もありあまってますから、現代の事でも知識として有している分に損はないでしょう」
「いいですよ。なら、食材とか買えるようにお金も置いておきましょうか」
言って、まどかは小銭入れと今月の食費用にと分けていた封筒を出す。今月の予算を伝えて、この中でやりくりできるようにしてもらえるなら使ってもらって構わない、と伝えた。
まどかは食費の一部を小銭入れにいれて瑞枝に渡すとそれを袖のところにいれながらしみじみといった。
人間に視えるようになるのもちょっと手間なのですが、とため息をつきながら。
「まあ、私の分は山にでも分けてもらいに行くとして。考えてみます、人間は本当に面倒くさいですね」
「あはは。あ、で台所ですよね」
山に? と不思議に思ったものの、それよりも瑞枝の口はたまに人間への嫌味が飛び出てくるからおっかなびっくりだ。そのわりに、まどかは大切にされている気もするから不思議な気持ちになる。
話しの腰を折ってしまったが台所の説明だったと立ち上がって台所へ行く。後ろから瑞枝がついて来て、やはり辺りを見回した。まどかの居ない昼間に見ているだろうに、まだ見慣れないらしい。
「そうですね。初め来た時は驚きました。薪、竈もないからどうしているのだろうかと」
「外食はちょっと……余程の事でない限りは控えてます。説明します」
コンロの使い方、道具や調味料の場所、冷蔵庫、瑞枝は調理に使用するおおよその事は知識として持っていて、簡単に説明するだけで理解した様子だった。
「一通りやってみましょうか? お昼ご飯には早いですけど」
時計を覗けば、正午まであと三十分ほどある。ついでならやって見せるのも悪くない、まどかの料理の腕はともかくとして、普段はこんな感じで使っていますよ、と見せておくのは瑞枝にとってもいいだろう。
「そうですね。お願いしてもいいですか?」
「チャーハンでいいですか、スープもつけます」
「お任せします。まどかの予定もあるでしょうし」
冷蔵庫を覗いた時、瑞枝は気遣うように言った。一人のご飯なら、さほど手間は掛けない。チャーハンだって、ご飯とチャーハンの素と玉子を使うくらいで、料理の予定は全くない。その日の口が欲しがっているものと冷蔵庫にあるものが、合致するかしないかだけ。
瑞枝は、使うものはどれだろうかと棚を開けて、フライパンを指差してみたりしている。まどかはそうそうそれそれ、と使うものをあちこちからとりだして、調理を始めた。調理器具についても固定で使用している訳ではないから臨機応変に使ってもらって構わないと伝えて置く。人によってはこの調理器具は固定で、というものがあるのかもしれないから、その辺りは注意が必要だが私に限ってはそうではないから初めから伝えて置くことで、諍いにもならないだろう。
チャーハンを作ろうとしているこのフライパンでさえ、炒めものや時にはパスタを茹でる工程からソースをあえてしまうまでをこなしている。
「まあ、こんな感じで」
「おおかた理解しました」
「あ、単純に温めたいだけなら電子レンジもあるので」
ついでにレンジの使い方も伝えて置く。ついでにいつもならお弁当用にしている冷凍した作り置きをチンしてしまおう。冷凍庫からタッパーを取り出して、蓋を開けてセットしてあたため開始ボタンを押すのだとやって見せた。蓋をしたままだと爆発するものもあるという自戒も込めて。
これでまどかが居ない間でも温かいものも食べられるだろう。今の今まで忘れていて申し訳なかったなとまどかは反省する。
出来たチャーハンを皿に移してそれを瑞枝にも渡す。あっちに持っていって食べましょう、とリビングのテーブルを差した。はいはいとふたつ持って行く。まどかはワカメのスープをいれたカップとスプーンをお盆に乗せてその後に続いた。
「そうそう、実のところ私は小食ですのでね」
いって皿の半分より少し多めのところにスプーンを入れてさっと取り分を分けると、小さな傘のストラップに化けている藍を皿の側に置いた。ぱっちりと目が開いて「俺も食べていいんです?」と起き上がった。傘の柄は彼にとって人間の足にあたるらしい。トントンとバランスをとって、ストラップの大きさの傘がわっさわっさと軽く開いたり閉じたりしている。どこからそのご飯を吸収しようというのか、大変みものであるとまどかの興味がそちらに移る。
「私より食欲が旺盛な人が何を言いますか」
「いやー、だって俺の事どうとも思ってないかと」
「雨の日は重宝していますよ」
「雨の日以外にも物理攻撃にだいたい使われてますが、俺の気のせいでしたかね」
「そうではありませんか?」
「あっはっはー、それではいっただきまーす!」
藍は話を切り上げて食べ始めることにしたようだった、あまり深く掘り下げられなくてよかったとは思うが、まどかも実際のところ瑞枝が藍を傘としてではなく投げてあの妖怪を貫通させていたところをみているので詳しくは知らないふりをするしかなかった。
藍が言うなり柄の部分をにょっきり伸ばしてスプーンを取った。傘がスプーンを使う発想がなく、そのスプーンは瑞枝用に出した物だったが瑞枝は気に留めた風でもなく何か考え事をしているらしく手は正座した足の上だった。まどかがその唐傘お化けの食事シーンをまだ気になりつつもスプーンをもうひとつ取りに行く。持ってきて瑞枝に渡すと「おや、藍の次で良かったのですが」とやはり普段はこんな感じなのかと思わせる言葉が返ってきた。
「いいんですよ、使ったら洗えばいいですし。藍も一緒に食べた方がおいしいでしょう」
「もっぐもっぐ、そうだな、まあ、メシ食ってる時はどうしても無防備だからな」
「ゆっくり食事するというのもここ最近慣れてきたところですし」
「妖怪ってご飯食べないんですか? 人間を食べるんです?」
「人間を食べるのは一部ですよ。木の実や果実も食べますし、後はそうですね、仙人が霞を食っているというあれも、実のところ霞ではなく正確にはその辺りに溢れている生気だったり人間の悪い気だったりしますね」
瑞枝と藍が来てからというもの、随分にぎやかになったものだと思う。
一人だったら、毎朝あの林の陰鬱とした空気に辟易していただろうし、あの黒い泥みたいな妖怪に食われてたんだろうと考えると、二人はまどかにとっては命の恩人だし、そうして呪いをきちんと解いてもらうためには瑞枝との約束を果たさねばならない。まだ詳しいことは聞いていないが、何かを探しているというのは確実で、それを探し回らなければならない日々が始まるのかもしれない。
そうなると、大学のことが半端になってしまわないか不安だが、瑞枝の現代生活の知識も粗方整えば探し物が始まって、そうなってからでないとどこまで生活リズムが崩れるのかはわからないものだ。楽観している訳ではないけれど、さほど悲観もしていない。それは年長者としての威厳か、瑞枝の見せる焦りのない悠々とした態度のせいかもしれない。
***
そういうこともあったなあ、とむにゃむにゃしているとヒンヤリした空気が上から降ってきた。とてもとても冷たいその空気は、怒りを含んでいた。
「ヒャッ!?」
「まどか~。お風呂は入ろうねってさっき言った時、あなた返事しましたよね? 明日はお休みですか?」
「講義有ります、お風呂頂きます!」
笑顔で怒っている瑞枝をまどかがみることにも慣れてきた。慣れてきたが、減らず口を叩けるまではいかない。後がない追い詰められた動物と同様に、ただただ従うのみだ。
ピッと背筋を伸ばしてまどかはテーブルに手をついてすくっと立ち上がり部屋に行って着替えを抱えて脱衣所に向かう。その姿をじっとりと見ていた瑞枝が、パタン、と脱衣所のドアが閉まったと同時にふっと息を吐いて表情が緩んだのを、まどかは知らないし藍も見て見ぬふりをした。
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