第3話
「ラント!」
「これはお嬢様、今日もお疲れ様でございます」
「ラントもね!」
朝食後、塩田に向かった私は、執事のラントを見つけると声をかけた。
ラントはお祖父様の代から仕えてくれている執事で、お父様が公爵を継いだ頃には家長になっていた。塩田の管理も一緒に担ってくれている。今や青い綺麗な髪には白髪が混じっている。それもまたブルー岩塩のようで素敵だけど。
他のお屋敷の使用人は働き口を紹介して皆出て行ってしまったけど、ラントとルーナだけは残ってくれた。大好きな二人なので私は嬉しかった。
「お嬢様、また旦那さまと喧嘩されましたね?」
「喧嘩って……あれはお父様が悪いのよ……って、お父様、ここに来たの?」
「はい、先程。お嬢様が後から来るだろうとも仰ってました。随分しょんぼりされていましたよ」
ラントの話に、私は空笑いしつつ、話題を変える。
「それより、焼塩の評判はどう?」
「好評ですよ」
「良かったああ……」
ラントの返事に私は安堵して、その場にへなへなと座り込んだ。
「しかし、王家も無理難題を突き付けたつもりでしょうが、流石お嬢様でございます」
ラントが胸に手を置いて頭を傾ける。
最近、塩が湿気て保存しにくいから何とかしろ、と王家から通達が来て、お父様は頭を抱えていた。
そもそも、自然保護区に指定されたこの塩田は、完全天日で作られ、ミネラルが豊富で上質な塩だ。縮小したとはいえ、広大な塩田の塩を我が領は出荷も出来ずに持て余している。
僅かな出荷が、王家を通して商会になされている。
その僅かな収入源が危機に陥ったのだ。
そもそも、塩は空気中の水分を吸収し、くっつきやすくなる。ナトリウム純度が高いほど湿度75%を超えるとそうなるのだが、うちの塩はミネラル豊富だけど、所詮塩である。それに加えて、我が国は高温多湿の国。晴れ続きなのは塩作りに適しているが、湿気は敵である。
「だから風魔法の石と一緒に保存することを勧めているのに」
「塩をそんな丁寧に扱わなくてはならないのはおかしいと王家がおっしゃったんですよね」
私は詮無きことを今さら呟く。ラントも話を整理しながら聞いてくれている。
そこで私は、前世のオタク知識を使って、焼塩を作った。焼塩はサラサラとしていて保存もしやすい。
「お嬢様が火魔法を使えてようございました」
「お父様には塩にしか使わなくて勿体ないって言われてるけどね」
焼塩は、ザルト塩田で粒が大きく育った物を石臼でひき、粉砕した後、石窯に入れて高温で三日かけて焼き上げて作る。その間、私は塩田に付ききっきりだ。
「これで取引を切られることは無くなりました」
ラントは穏やかに笑って言った。
「ていうか、塩は人間にとって大事なのよ? それに貴族たちが食べてる豪華な食事のソースにだって塩は必要でしょう?!」
塩が蔑ろにされている現状に改めて苛立ち、私は声を荒らげた。
前世でも塩分控えめ、とか塩が悪者にされてあんまりだった。一部のわかっている意識高めの人々には塩を変えて食事を楽しむことが認知されていたけども。
「お嬢様、どうやら最近ではソースにさえ塩を使わないらしいです」
「え?! じゃあ何に使うの?」
ラントの話に私は驚愕した。
「下味に気持ち程度使うだけらしいです」
「それって、美味しいの……?」
味付に塩が使われないなんて信じられない。
『しょっぱい』という味覚は塩にしか出せないというのに。
「薄味が美学だとされているようです。ただ噂だと、味気なくて食事をしている気にならないとか」
「でしょうね」
ラントの説明に思わず呆れた声が出る。
「それでも受注があるだけありがたいことです」
「塩は味付けだけじゃないものね」
塩は小麦粉に混ぜて粘り気を出し、王都で人気のスパゲッティーの麺作りにも使われる。
私としては一番に食事を楽しむのに使って欲しい。
夢としては、この国の塩の種類を増やして、皆が塩のパレットを持ち歩く、意識高い系国民になることだ。
「スパゲッティーのおかげで販路が増えて良かったですが、湿気を何とかしろ、ですからね。本当に良かったです」
ラントがこの危機から改めて安堵してみせた。
「そうよね。一番怖いのはこの塩田が無くなることですもの。国の自然保護区だからといっても安心出来ないわ」
ラントは私の言葉に頷くと、話題を変えた。
「お嬢様、今日も研究の塩田に行かれるので?」
「当たり前でしょ!」
ラントの問に私は元気よく答える。
「こんな広大な塩田があるのに、新たに塩田を作られると聞いたときは耳を疑いましたが、いやはや、お嬢様には塩作りの才能がありましたな」
そう、塩は海流や取水ポイント、タイミング、製法によって味が変わる。前世で学んだ知識を総動員して私はこの領に塩田を作った。
必要とされない物を新たに作ろうとしていたので、もちろん反対され、コツコツと一人で成し遂げようとした。それを見ていたラントとルーナが呆れながらも最終的には手伝ってくれるようになったのだ。
「お嬢様の作る塩は宝石に匹敵する美しさだと、旦那様もおっしゃっていましたぞ」
「お父様が?」
今朝、娘に『塩馬鹿!』と吐き捨てたお父様が?
「旦那様はいつもお嬢様を誇りに思い、そして幸せになってもらいたいと思っているのですよ」
「……わかってるよ……」
ラントの優しい声色が私を宥めているようだった。
それはわかっているのだ。でも結婚だけが幸せじゃないよね?
「塩職人として私を認めて支えてくれる素敵な殿方がいたら、私も幸せになれるんだけどなあ?」
「お嬢様……、それは無理難題でござます」
「ラントも辛辣!」
確かにそんな人、現れるわけないよね、と思いながら私は溜息を吐いた。
「あーあ、皆と天ぷらが食べたいなあ」
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