月夜の勝ち鬨 ~風の魔物と呼ばれる男~

@Muckpapa

第一章 運命の誘い

第1話 アナポリス


・・・大きな歓声と共に、生徒達の白い制帽カバーが透き通るような蒼空に向かって舞い上がった・・・



同時に、編隊飛行のブルー・エンジェルスが星条旗カラーのスモークを吐き出しながら、私達の頭上を完璧なタイミングで通り過ぎてゆく。


ジェットエンジンの轟音の中…

歓喜の雄叫びを上げながら走り回る者、ハグをしたり肩を抱き合う者、人目を憚らず嗚咽する者… 各々が今まで抑えていた感情を思い切り爆発させている。



…ふと、入校式の光景が頭に浮かんできた。



まだあどけなさが残る遊びたい盛りの〝お坊ちゃん〟と〝お嬢ちゃん〟がアナポリスの門を潜ったのは4年前だった。

4年の月日を共に過ごし、ヒヨッコ達を晴れの舞台に立たせたという自負と誇らしさ… それに、何とも言えない寂しさが入り交じった複雑な感情が心に湧き上がってくる…。


今日、彼等は精悍な若鷹になって威風堂々と巣立ってゆく… 合衆国軍士官として、部下の命を預かり国民の生命と財産を護る任務に就くのだ…。

海軍兵学校アナポリス卒業式… 何度体験しても壮観で感動的な空間だった。



そう… 此処はアメリカ合衆国 海軍兵学校アナポリス… 海軍及び海兵隊の〝有能な指揮官〟を育成するという只一つの目的の為に存在する ”特別な場所” である。



… 有能な指揮官とは、忠誠心に裏付けられた正確な判断力・部下の信頼を勝ち取る人柄と見識・窮地を脱する突破力を備え、時には多数を救う為に少数を犠牲にする非情な命令を自信を持って下せる者の事だ …



部下の命を預かる士官を育成するアナポリスの生活は過酷である…。

この ”卒業式” というステージに立つ資格を与えられた者達は、厳格な規律と過酷な訓練・高度な知識と応用力の習得… そして熾烈な4年間の競争を勝ち残ったエリートなのだ。


それ故、カバー・トス制帽投げに伴う不規律極まりない行動を「無礼だ」などという無粋な言葉で非難する者は誰もいない。


普段は難しい顔ばかりしていて笑顔などは見せる事のない勲章に飾られた将軍たちも、今日だけは全員揃って後輩達(…と言っても、親子ほどの年の差があるのだが)を目を細め頬を緩ませながら祝福する。

それどころか、来賓のホワイトハウスの御歴々や国防総省の背広組達も、全員がスタンディング・オベーションで彼らの巣立ちを祝福するのだ。



・・・教官席でひとしきり感慨に耽っていた私に向かって、猛牛を彷彿させる一団が走り寄って来ている・・・



あれは、私がコーチをしていたアメフト部の連中だ。

先頭の生徒と目が合う… 「FLY!」と叫びながら突進して来る。

周囲の教官達が素早い動きで私から離れて行った。


私よりもひとまわり以上の体躯をした猛者たちに捕まった… 歓声とともに何度も宙を舞った。

拍手とともに立ち上がった私の前に、澄んだ瞳の生徒達が歩み寄って来た。



「ニンジャ殿! 4年間のご指導、ありがとうございました!」



クォーター・バックを務めたニックが完璧な敬礼をする… 他の部員たちも続いた。

私も姿勢を正して完璧な答礼をする。

一人一人に視線を送った。

皆、良い目をしている…

立派な小隊長になるだろう。



「Always do your best!」(常に最善を尽くせ!)

「Aye Aye Sir!」



感謝と惜別の入り交じる表情をした猛牛の集団は走り去って行った…。



私はアメリカ合衆国海軍兵学校アナポリスの特任教官を務めている。

自分で言うのも何なのだが… 生徒達の間からは〝ニンジャ〟と呼ばれていた。


ニンジャと呼ばれることになったのには、それなりの理由がある。


私は曾祖父の代に日本からアメリカに渡った、日系アメリカ人の家庭に生まれた。

祖父は日本人の女性と結婚し、父は日本生まれの日本育ちだった母と結婚しているので、私には日本人以外の血は入っていない。

頭を海兵隊独特のクルーカットに刈り込んで講義をしていても、生徒達の目に映る私の外見は何処から見ても日本人に見えるらしい。



そんな私がアナポリスで受け持っているのは〝実戦的分隊行動〟という講座だ。

どの様な講座かというと…


●市街戦術・狙撃術・サバイバル術

●CQBおよびCQC(近接戦闘術、徒手格闘術)・空手・ジークンドー

●重火器及び爆発物取り扱い

●メディカル・ファーストエイド



つまり、小隊が作戦行動を始めた場合に必要になる知識と能力を 〝実戦的〟に教えている。



・・・私が着任して2ヶ月ほどが過ぎた時、生徒たちの間に「近接戦闘術の授業は過酷だ」という話と、私の経歴がバージニア州立大からMSOT(海兵隊特殊作戦チーム)に行き、海軍兵学校の教官になった〝変わり種〟だという話が広まった。

ある日、私がMSOT出身だという事で、格闘技経験のある生徒が一対一の模擬格闘を申し込んできた事があった。 私より一回り以上の体躯だったので舐めて掛かっていたのだろう。

余りにも生意気な態度だったので、一度も組ませることなく滅多打ち(勿論、防具とマウスピースの状態だが)にした。 すると、その生徒は「教官はニンジャだ!」と叫んで大の字にぶっ倒れたのである・・・



その日以来、私は生徒たちから〝ニンジャ〟と呼ばれるようになったのだ。



私は5歳の頃に母に連れられて極真空手道場の門を叩いていた。

以来、ずっと空手を続けている。

自分で言うのもなんなのだが師範の免状を貰っている。

大学に入ってからは空手部とジークンドー部とを掛け持ちしていた。

このおかげで〝見切り〟と〝かわし〟を会得していたので、軍が教える徒手戦闘術への対応は他の隊員を最初から凌駕していた。


空手のスキルは実戦でも大いに役立ったのである。


この〝空手+徒手戦闘術〟という独特の授業スタイルも生徒達からは高評価を得ていた(生徒たちにはストレス発散の時間だったという話もあるが)ようだ。

自分たちより小柄な日本人が空手と徒手格闘術にナイフを使いこなし、マークスマン・ライフルやライトマシンガンに爆発物の取り扱い、リアルな市街戦術まで教える私を日本のニンジャのイメージと重ね合わさせたのだろう。


しかし、生徒達に過酷な指導していた事は否めない。


何故ならば、アナポリスを卒業した直後に少尉として任官するエリートの彼等は、徒手格闘を行うようなシチュエーションを体験する者は少ないのだ。

最前線でナイフと銃床を使い殺し合うのは彼等に使われる末端の兵士達である。

駒として使われる側の気持ちを少しでも把握しておくことは、将来必ず役に立つと信じてやまなかった。


よって、時には鼻血を出したり青あざだらけになる生徒も出たが、アメリカ人ならば皆が知っている日本のKARATEとブルース・リーの喧嘩拳法ジークンドーとをちりばめた徒手戦闘術の実践講座に、彼等は目を輝かせながら喰い付いて来てくれた。

アメリカ人は東洋の武術や日本の〝ニンジャ〟やサムライが大好きなのだ。



まぁ、そんなこんなで〝ニンジャ〟と生徒たちから陰で呼ばれている事を不愉快には思っていない。(実は気に入っているという噂もある…)



遠巻きで、同僚のスティーブンが皮肉交じりの笑顔を向けてきている。



「ニンジャ教官は人気者なんですねぇ。」



皮肉たっぷりに告げると校舎の方へと歩いて行った。

それは違う、と言いそうになったが飲み込んだ。

人気者… 軍隊経験の無い人間にはそう見えるだろうか?


スティーブンは振り返ると、屈託の無い笑顔を送って来ている… どうやら、〝人気者〟という言葉に嫌みは無かったらしい。

そう… 生徒達は〝アナポリスで一緒に汗を流した仲間〟なのだ。




私は生徒達と同じ透き通った空を見上げていた。





~つづく~

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