第35話 策謀の結果

 独立派は大きく動いた。無名墓標の社にある証拠を保存した上で、黄衣派の証拠隠滅を防ぐために、防衛線を作り上げたのだ。


 夜が明ける頃には無名墓標の社は、完全に独立派の拠点になっていた。元来が要塞としての性質を持っていた施設だ。もはやそれは難攻不落であった。


 黄衣派はその暴挙に対して厳重に抗議し、スワルガの各勢力に奪還への協力を要請した。


 独立派の専横を許してはならない、と。


 だがその要請に応じる声はなかった。黄衣派と独立派の争いに手を出すことを、各勢力は躊躇していたのだ。今一つの噂が都市の中を駆け巡っていた。それが真実なら、真の悪は黄衣派だったからだ。噂とはトビー・ビショップの物語である。彼の出自、彼の目的、彼の生き様、その生涯は人々の間を流れ、短い時間でどこまでも広がっていく。


 トビーは無名の探索者ではなかった。確かに彼は権力に近付くことはなく、表の世界で影響力を発揮することはなかったが、迷宮で生死を共にした探索者の中では、頼りになる同胞として広く認知されていた。そして彼が財産や名誉ではなく、別の何かを求めていたことを知る者も多かった。物語はそういった人々の証言をも取り込んで、英雄の伝説へと昇華していく。


 それは既に、僕が最初に作ったものとはかけ離れていた。もはやトビー本人とも別物に近い。だがこれから変化は更に続いていくだろう。


 もう人々の反応に戸惑うことはない。こうなるのも当然のことである。そうなる理由が今は僕にも理解できていた。


 ソーマはスワルガの闇そのものだった。それは振り払えない罪業である。異邦人がスワルガを訪れた際、最も嫌悪を感じるのは、裏通りに転がる中毒者の姿を見た時だ。


 たった一錠の薬で、人がものも言わぬ、排泄物を垂れ流すだけの肉となる世界。それが破戒都市スワルガだ。


 スワルガに住む者にとっても、その嫌悪感は変わらない。どれほど慣れていても、日常となっていても、ちょっとした誘惑に負けるだけで、いつ陥ってもおかしくない地獄がそこにある、その現実が次第に心を蝕むのだ。人々は待ち望んでいた。この閉塞した状況を打開してくれる何かを。


 そのからっぽの玉座に、きれいにはまったのがトビーだった。


 彼は英雄的行為を死により完結させている。彼は殉教者だ。名声に増長することもない。権力者となって腐敗することもない。もはや彼が人々の期待を裏切ることはない。トビーは理想の英雄そのものだった。


 独立派はその流れに予定通り便乗し、こう宣言した。


 独立派の今までの行動は全て、トビーに協力するために行ったことだった。皆に迷惑をかけたことを申し訳なく思う。だがその結果として、黄衣派がソーマを製造していたことの、証拠を掴むことができたと。


 そして独立派は各勢力に、証拠を公開する用意があることを伝えた。


 各勢力から人が集まったのは翌日だった。製造設備自体は、独立派が焼き払ったということになった。だが残ったものでも証明には十分だった。そこに集まった全ての勢力は、ソーマの製造者が黄衣派だったことを理解した。


 独立派の名誉は回復された。独立派は正義となり、黄衣派は悪となる。黄衣派の名は完全に貶められた。


 だがそれは黄衣派全体の敗北とはならなかった。黄衣派の一派、革新派も、トビーに協力していたことが判明したのだ。革新派はこう宣言した。


 為された悪は黄衣派の意思によるものではない。全て古い因習に縛られた守旧派の独断であると。


 これもまた予定通りだった。




 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇




 それは前々夜のこと。詳細を詰める打ち合わせの後、独立派の男は獰猛に笑った。


「痛めつけられた分だけ取り返してやろう」


 独立派はこの機会を利用して、黄衣派を完全に叩き潰す腹積もりのようだった。だが僕はそこまでさせる気はなかった。


「復讐をするなとは言わないが限度はある」


「なぜだ?」


「逃げ道をなくせば、これまでの君たちのように相手は死兵となる。別に全ての復讐の機会を手放せとは言わない。ただ、相手が頷ける程度で済ませるべきだ。黄衣派の存在はスワルガには必要だからな」


 独立派と黄衣派は破戒都市の二大巨頭だった。二者は相互に牽制し合うことで、安定を維持していた。これは動的な均衡だ。押し合う二者の片方が突然消えれば、押さえを失った力はどこに向かうだろうか。


「……確かに」


 男は僅かに表情を歪める。


「敵は外にいる方がいいね」


 覇者となった独立派は統制を失い、無数の派閥に分裂することになる。黄衣派と同じように。僕は頷いた。


「だから逃げ道を用意する。黄衣派の上層部に理解させるんだ。ソーマ製造は全体の意思ではなく、一部の閉鎖的な派閥が独断で行っていたことだ、ということにして、腐った部分を切り捨てれば、まだ生き残る道はある、とな」


「分かった。だが、どう伝える?」


「了解してもらえたなら問題はない。朝には黄衣派にその旨の連絡が届くだろう」


「何だと?」


 男は僕を睨みつける。僕は微笑む。


「黄衣派の中にもトビーの協力者はいた。その一人を僕も知っている。それだけのことだ」




 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇




 黄衣派の動きは早かった。革新派は守旧派の大粛清を行うことを発表した。その規模は、まさに未曾有のものだった。だが、それが実施されることはなかった。


 発表の直後に、主犯とされた責任者が集団自殺したのだ。守旧派大僧正九名とその側近十九名。自殺者は二十八名を数えた。


 ほぼ同時に、守旧派の書庫の主要な記録が火にかけられた。彼らがなぜソーマを製造していたのか、どのように製造したのか、真実は完全に失われることになった。


 残された遺書には、犠牲者への謝罪と、罪深い行為を続けたことの後悔、そして命令に従った信者の減刑の嘆願が、記されていたという。


 その自殺が自殺かどうかは判然としなかった。だが当事者が死ねばそれ以上の追求は難しい。また死者の願いを無視することもできない。こうして問題は終わりを迎えることになった。




 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇




 あの夜から丸三日――


 全てがまとまった後、僕は解放された。


「今回は助かったけど、次に会う時はまた敵同士だ。容赦はしないよ」


 社の裏口で独立派の男は笑った。


「……それはお互い様だ」


 僕は返し、それから背を向けた。少し歩いたところで声がかかる。


「私はケイマン・トラウェイだ。あなたの名を聞いてもいいかな」


 僕は振り返り答える。


「ロデリック・ラッカード。ラッカードと呼んでくれ」


「今後、あなたと連絡を取る時は、どのようにしたらいいだろうか?」


「僕がスワルガに滞在している間は、教会のナイジェルを経由してくれ。それ以降は、僕と君は敵同士だ。もう連絡を取り合う必要はない」


 僕はそう言い、背を向ける。


「ラッカード、あなたに感謝を。誰も知らずとも私とリディアは知っている。英雄は一人ではないと。始めたのはトビー・ビショップかもしれない。だが、あなたがいなければ終わらなかった。要求通り、あなたの名は隠し通したが、本当にそれでよかったのかい?」


 ケイマン・トラウェイは問いかける。僕は答える。


「ケイマン、お前はこの物語を、貴族が糸を引く茶番劇にしたいのか。英雄はトビー・ビショップ一人で十分だ」


「……そうか。また会える日を楽しみにしているよ」


 僕は今度こそ振り返らず、階段を下った。




 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇




 五分ほど門前町をゆっくり歩く。トビー・ビショップの噂が、そこかしこで囁かれている。誰もが浮かれているようだった。そこで、フレアが合流してくる。僕の斜め後ろを歩き始める。


(全てあなたの予定通り、というところですか)


 その声は僅かに糾弾の音色を帯びていた。


(そうでもない)


 予定通りに進んだことはほとんどない。


(だが結末は想定の範囲内だ)


 黄衣派の弱体化を餌にして独立派を懐柔する。最終的な計画を一言で言えばそういうことだ。そのために、可能なことは全て行った。必要な事実を集め、なければ捏造した。明らかに危険な綱渡りだった。だが渡りきった今、僕らは大きな成果を得た。


(あなたとしては成功だと?)


(僕たちの安全は確保された。目標が達成された以上、成功と言うしかない)


(……そうですか)


 フレアは静かに答える。


(一つの都市を巻き込んで成功ですか)


(……規模を選んだのは、独立派だ)


(あなたは随分と楽しそうに、作り話をしていたではないですか。あの英雄の物語の出来は素晴らしいものでした。それが導く結果からすれば、皮肉なものですが)


(何が言いたい?)


 僕は振り返る。フレアは静かに僕を見つめ返した。


(あなたがよく分かりません)


(僕にはお前がよく分からない)


(あなたは、誰の命なら犠牲にできるのですか)


(人類の誰が死のうと、お前には関係のないことだ)


 僕は苛立っていた。僕は目標を達成するために、最善の行動を選んだだけだ。それ以上のことなど、何も考えていない。誰が死のうが関係はない。


(お前は人類の敵だろう)


(違います)


 フレアは真剣に答える。


(私は人類の守護者です)


 意味が分からなかった。僕はため息をつく。だが言いたいことは分かった気がした。今回は確かに多くの人間を巻き込んだ。こんなにも大掛かりな作戦を、一人で立てるのは僕も初めてだった。この苛立ちはおそらく、そのせいだ。


(全ての者が幸福となる結末ではない。それは分かっている。僕の手で陥れられ、自ら死を選んだ者のことも知っている。僕は彼らの死を計算に入れていた。そうせざるを得ない状況に追い込んだ)


 僕の立てる戦略はいきあたりばったりだった。ロデリック・エンダーの足元にも及ばない。だがよりよい方法は思いつかなかった。この現状でさえ、トビーという大駒を、偶然手に入れていなければ、たどり着くこともできなかっただろう。


(僕はどうすればもっとうまくできた?)


(何を言っているのですか?)


 フレアは少し驚いているようだった。何を驚くことがあるのか。


 僕が全てを理解し、何の恐怖も後悔も感じず、淡々と作戦を進められる、神算鬼謀の賢者だとでも? 僕がそこまで完璧なら、こうはなっていない。


 そんな感情を僅かに漏らしてしまったのか、フレアはじっと僕を観察していた。


(私が誤解していました。あなたを悩ませたことを謝罪します)


 フレアは言った。


(私の目から見る限り、あなたの作戦の結果は、素晴らしいものだと思います。


 あのケイマンという男の言っていた通り、あなたの目的が保身だけなら、こうする必要はなかった。あなたには私という切り札があり、目撃者を全て始末するつもりなら、あなたの安全は保証されていた。


 それでもあなたはトビーの夢を引き継ぎ、それを完全に実現させた。短期で見れば残酷なこともありましたが、長期で見れば、それ以上に多くの人々が、救われることでしょう)


(だが十分な利益がなければ、トビーのことなど、放置していただろう)


(あなたが利益にならないことをする姿は、想像できませんね)


 その通りだと思った。僕のシナリオは僕のために立てられたものだ。それ以上でもそれ以下でもない。そして、もしもう一度過去に戻れたとしても、僕は同じように選び、命を切り捨てるだろう。ならば後悔など必要ない。


(そうだな。そろそろ遙花のところに帰ろうか)


 僕は歩き始めた。その時だった。見覚えのある少年が裏路地を駆けて来る。初日に捕まえた掏摸の少年だ。


「おい、お前!」


 息も切れ切れに少年が叫ぶ。


「きょ、教会が! アブラハムに!」


 意識が切り替わる。僕は走り出した。少年の要領を得ない言葉から状況を整理する。途中で疲れて足の止まった少年は、フレアに抱えさせる。


 十数分後―― 僕たちがたどり着いた時、既に教会は焼け落ちて、人の姿は一つもなかった。

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