第24話 リバース・セントラルの遺児
時刻はまだ昼を過ぎたばかりだ。
商売人たちは交渉に熱気を上げ、儲けた山師は昼間から酔っ払い、掏摸の子供たちは虎視眈々と狙いを定めている。町は騒がしく、人は生を謳歌していた。
それは僕らが歩き始めて二、三分ほど過ぎた頃。繁華街の入り口付近でのことだった。
「兄さん」
隣を歩いていた遙花は立ち止まると、僕の腕をぎゅっと抱いたまま、背後を振り返った。
「聞きたいことがあるんですが……」
「なんだ?」
僕は引っ張られるように足を止める。
「どうしてあの人は、私たちの後ろをついてくるんですか」
遙花は低い声で僕をなじるように言う。
「今日の兄さんは、私の兄さんなんですよ」
理由は分かりきっていた。
「……どうしてだろうな」
僕は嘆息する。十メートル後ろを歩く茜色の瞳の少女は、もはや隠れる様子もなく、静かにこちらを見つめていた。その視線からは何の表情も読み取れない。それが不気味さを醸し出していた。
「やめさせることはできないんですか?」
遙花は少し腰が引けたようだ。声の勢いが弱くなっている。
「無理だな」
僕はぼやく。
「あいつが好きでやっていることだ」
遙花は僕をじっと見て呟いた。
「女たらしですね」
それから諦めたように言う。
「もう、一緒に歩いてもらってください。あんな風に尾行されていると、気分が悪いだけです」
「いいのか」
「好きにすればいいです」
(フレア、聞いていたな)
僕はフレアに視線を向ける。
(問題ありません)
フレアは頷くと、僕の斜め後ろの定位置についた。遙花はその様子をうさんくさそうに見て、抱きつく腕の力をぎゅっと強くした。不満げな表情だ。反射的に僕は遙花の髪を撫でる。遙花は一瞬蕩けそうな顔をして、それから騙されませんよ、と怒りの表情を形作った。
僕らは店を回った。遙花は休みごとにここに来ており、その間はほとんど、僕かベルと一緒に行動している。そのため僕たちの行きつけの店では、どこでも顔なじみだった。
「お昼、まだだよな」
「はい」
「じゃあワンさんのところに行くか」
ワンさんはここらでは古株になる。屋台ばかりの界隈で、小さいながら店舗を構えていた。暖簾をくぐる。
「おお、ハルカちゃんやないか。久しぶりやなあ。そうか、もう学院は春休みになっとんやな」
第一声は厨房のワンさんだ。
「お久しぶりです、ワンさん」
僕らはテーブルに着く。遙花は素早く僕の隣を確保していた。
「ご、ご注文はお決まりですか、ハルカおねーちゃん」
出てきたのはワンさんの孫娘だ。
「モリーちゃんも久しぶりです! 元気してましたか?」
「はい!」
元気な返事が返ってくる。
「注文はいつも通りでいいですよね」
僕に確認した後、遙花はフレアを見る。
「ロデリックと同じもので」
フレアは頷いた。
「ふーん。じゃ、定食三つでお願いしますね」
「分かりました!」
モリーちゃんは元気よく答えて厨房に向かう。
「じーちゃん! 日替わり三つ! 大至急の超特急で!」
「店じゃ大将やと、何度も言っとるやろが!」
ワンさんは怒鳴りつつ、準備に入る。いつもの光景だ。定食はすぐに出てくる。
「ハルカちゃんも、もうこっちの子になっちまえや」
厨房から出てきたワンさんが笑い、ハルカが頷く。
「もちろんです。学院を卒業したら、兄さんと一緒に働くつもりですから」
「おお、そんときは贔屓にしてくれや」
ワンさんは笑う。モリーちゃんもその場に来た。
「ハルカおねーちゃんが来たら、お嫁さんにしてもらうの!」
いつものモリー・ワン爆弾発言集である。昔の遙花は黙っていれば、確かに少年にも見えたけれど。鼻息の荒いモリーちゃんの本気具合が、気になるところである。
「なにい! さすがに孫は渡さんぞ!」
ワンさんが吼える。遙花は微笑んだ。
「モリーちゃん、それは無理ですよ。私は兄さんのお嫁さんになる予定ですから」
いつもの返事である。だが、そこでワンさんの表情が曇る。
「そ、そうやなあ」
視線は僕の正面にいるフレアに向かっていた。遙花も気付いたようだ。不機嫌そうに僕を睨む。そこでフレアが口を開いた。
(何を言うつもりだ?)
(あなたにとって都合のいいことです)
「私はこの人の妻が何人いようと構いませんよ」
遙花は愕然と目を見開いた。
「……それ、本気ですか」
「嘘は言いません。もちろん私も傍にいることが前提ですが」
「……私は独占したい方です。気が、合いませんね」
遙花は座ったまま殺気を放出した。その姿勢が僅かに変わり重心が大きく動く。おい、何を始めようとしている。僕は隣の遙花の頭を軽く叩く。
「仲良く、な」
遙花は不満そうに叩かれたところを撫でた。僕はフレアを睨む。
(お前、何がしたかったんだ?)
(おかしいですね)
フレアは戸惑っていた。
(敵ではない、とアピールしたつもりですが)
フレアはそれから、よく分からないことを、ぶつぶつと繰り返していた。しばらくして食べ終わったところで、厨房に潜っていたモリーちゃんが出てくる。
「おねーちゃん、試食して、試食!」
持ってきたのは、ちょっと不恰好な包み料理だった。これも遙花来訪時の恒例行事である。
「モリーがつくったの!」
「ありがとうございます。いただきますね」
ぱくりと一口。もぐもぐ。
「……微妙ですね。でも前よりは美味しいです」
「そっかー」
遙花の判定にちょっとへこんでいるようだ。だが、すぐに復活して、にへへとモリーちゃんは笑った。
「もうちょっと修行だねー」
厳しいことを言う妹様だが、これでも最初は甘いことを言っていたのだ。だがそうしたらモリーちゃんに怒られてしまい、その後はこの有様になった。
「それじゃ、また来ます」
「まいど!」
ワンさんに見送られ店を出る。それからも繁華街を巡り、気付けば夕方になっていた。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
事務所まで戻ると、ソファで居眠り中だったアリスを起こし、遙花を預ける。
「じゃあ、またな。健康には気をつけるようにな」
そして僕は帰ろうとした。当たり前のようにフレアが、僕の斜め後ろに続く。
「兄さん、ちょっと待ってください」
呼び止める遙花。僕は振り返った。遙花は冷たい目で僕を見ていた。何かを確信しているようだった。
「どこまで一緒に帰るんですか?」
僕は口ごもる。答えたのアリスだった。
「……部屋までだよ。だって隣同士だしね」
致命的な一言である。遙花に驚きはない。
「兄さん、本当ですか? 本当なんですね」
疑惑を確信に変えて、遙花が目を細める。そして宣言した。
「なら今日は朝まで兄さんと一緒にいます」
「な、何を言っているんだ?」
意味が分からなかった。急展開についていけない。だが遙花は本気のようだ。僕は助けを求めて、アリスに視線を向ける。アリスは言った。
「別にいいんじゃないかな」
お前、遙花の相手がめんどくさかっただけだろ。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
僕の部屋がある半壊ビルまでつくと、もうスターライトは消えかけていた。僕はフレアに尋ねる。
「今日はどうする?」
フレアは拳を握ってみせる。
「やれるならやりましょう」
「何の話ですか」
僕の腕に抱きついたままの遙花は首を傾げる。
「稽古だよ。僕らも昔はやっていただろ」
僕らはそのまま屋上に向かった。そして稽古を始める。殴る、蹴る、投げる。何でもありの修練である。稽古が終わった後、遙花は言った。
「兄さんもですが、フレアさんもすごいですね。いえ、お昼の襲撃の時の動きでも、かなりの腕だって分かっていたんですけど、本来の能力をきっちり常人並みに抑えたうえで、あれだけの動きができるとは思いませんでした。相当の使い手ですね」
冷静な評である。遙花に褒められるなら今は十分だろう。汗を拭いた後、僕らは屋上から階段を下りた。
(フレア、今日だけは頼むから、隣で待機していてくれよ)
(……考えさせてください)
部屋の直前まで来て、フレアはやっと答えた。
(今回は特別です)
僕は安堵に緊張を解いた。フレアは遙花に会釈して、隣の部屋に入っていった。僕も遙花と一緒に部屋に入る。
「兄さんの部屋ですね。くんくんです。兄さんの匂いがたまらないです」
入るなり遙花は呟き、じろりと僕を見つめた。
「あの女の匂いもしますね。分かっていました。やっぱり連れ込んでいたんですね」
どんな嗅覚をしているのか。いや、ほとんど一晩中いるのだから、匂いが残っているのも当然ということか。
「話をするときは、こっちに来てもらっている」
「いつも夜中にベッドで話をしているんですね」
遙花はそう言いながらベッドに近づく。そして首を傾げた。
「あれ、あいつの匂いがしない?」
「だから話しているだけだって」
普段から壁際を指定席にしていてよかった。だが遙花は別の解釈をしたようだった。
「兄さんの男性が不能になってしまったなんて」
「馬鹿なことを言うな」
「本当に問題ないのですか。ちょっと確認させてください」
僕は下半身に伸びる手を叩き落した。
「妹がこんなにも下品になって、僕は残念だ」
「女なんて一皮剥けばみんなそんなものです」
「みんなが自分と同じだと思うなよ」
「そうでしょうか?」
「そうに決まっている」
僕はちょっと安心していた。遙花はもう笑っていた。不機嫌はどこかに飛んで行ってしまったようだ。
「そうだ、兄さん、手当ての道具はありますか」
「何に使うんだ?」
「あの人にかなり殴られてたじゃないですか。その手当てです」
普段なら、そのまま寝れば、起きたらもう全快している。別に治療など必要ない。だが断ることもないだろう。僕は棚から医療品の袋を出すと遙花に預けた。
「上、脱いでください」
上半身、裸になる。遙花は、頬に手を当て、わはー、などと言っていた。その頬は少し上気している。何とも変態淑女に育ったものだ。だが本来の目的を忘れてはいないようである。遙花は打ち身や擦り傷の手当てを始めた。
「学院は変わりないか?」
僕は思いついた質問を口にする。
「……兄さんがいた頃と、何も変わりません」
遙花は俯いた。僕は少し後悔した。セントラルは外の人間には冷たい閉じた社会だ。遙花はセントラルで生まれながら、完全な外の人間だった。リバース・セントラルの外交官の、私生児だったのだ。
アルテミシアには、そういう子供を集めて回る悪癖がある。僕が血縁でもないのに、兄などと呼ばれているのは、学院での下宿が一緒だったからだった。
「兄さん」
「……何だ?」
「兄さんは昔から生傷が絶えませんね」
「余計なお世話だ」
「あの頃の兄さんは、貴族相手にも決して退かなかった。弱っちい、ただの人間だったのくせに、よく頑張っていたと思います」
遙花はよくトラブルを持ち込んだ。その大半は、遙花の容貌が原因だった。
オリエンタルな美貌に目の眩んだ男性貴族と、嫉妬する女性貴族たちである。僕はそれを色々な伝手を頼り、時には身体を張って解決した。
「弱っちいとは何だ」
遙花は小さく笑む。
「褒めているんです」
「でかい面されるのが気に入らなかっただけだ。それに大事な妹をけなされて、黙っていられるか」
僕は遙花の茶色の髪をガシガシと撫でる。
「んふふ」
遙花はくすぐったそうに笑った。
「でも、ですね。やることは卑怯なことばかりで、実は少し恥ずかしかったです」
「……あれが僕のやり方だ」
僕は顔をしかめた。正面からでは命が幾つあっても足りないのだ。
「私のせいで、いつか兄さんが死んじゃうんじゃないかって。いつも、すごく怖かったです。本当に紙一重のこともありましたよね。姉さんがいなかったらどうなっていたことか。今まで五体満足ではいられなかったはずです」
遙花は少し怒った顔を作り、それからくすくすと笑った。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
リバース・セントラルの人間は特殊だ。彼らは独自の強化外骨格を着込み、それを決して脱がない。僕らが見るリバース・セントラリアンは、ずんぐりむっくりした熊のような、巨大な卵に太い手足が生えているかのような、そんな機械の鎧の怪物だ。
あれが同じ人間であると直観するのは難しい。
リバース・セントラルは機械の支配する国だ。そこらを徘徊している鎧の怪物が、リバース・セントラルの住人そのものである。そう考えているうっかり者も多い。
そのため数人は外骨格を脱いだ。その必要があったから。同じ人間であることを証明するために。彼らは人種系統こそセントラルとは違ったが、確かに人間だった。
その一人が遙花の父だった。母はセントラルに住むベルト人だったが、産後に死んだと聞いている。
外骨格を脱いだリバース・セントラル人は、故郷に帰還する資格を失う。遙花の父は数年をセントラルで過ごした後、自殺した。
「いつもパパはしかめっ面でした。セントラルの水を飲むことも嫌で、空気を吸うことも苦痛みたいでした。セントラルで生まれた私を、パパは哀れみの目で見ました。私はそれが嫌いでした。セントラルで生まれたってことが、そんなにいけないことでしょうか」
彼はセントラルで子供を作ってしまったことを、恥じていたようだった。
「パパは時折、昔着ていたという外骨格を、悲しそうに見つめていました。故郷を離れて、怪物どもの巣窟に追いやられ、二度と帰れないという現実に、耐えられなかったのでしょう」
自分には分からないが、と自嘲するように遙花は言った。遙花がリバース・セントラル人であるのは、その遺伝子だけだった。彼女の父親は何も残さずに逝った。
その頃から、リバース・セントラルとセントラルの関係は、悪化の一途を辿ることになる。
僕はその自殺も、本当に自殺かどうか、疑わしいと思っていた。そのくらいは遙花にも分かっているだろう。だが証拠のないことを、ことさらに荒立てても仕方がない。
遙花は身体的特徴を除けば、言葉も習慣も全て、セントラル式のものを身につけていた。彼女の父がそういう風に育てた。彼は遙花を、セントラルの人間にしたかったのだと思う。だが彼女は行く資格さえない故郷に、自分のアイデンティティを置いた。
セントラルという世界は、他者の扱いに慣れていなかった。貴族を中心とする閉鎖社会では、異邦人の蔑視はあまりあるものだった。
貴族。それは人類を超えた人類だ。だが超人であるという自己認識は、弱い精神を簡単に病ませてしまう。
貴族は鈍感になりすぎていた。自分が他者にどう見られているかということに。腐っていると表現しても差し支えなかった。
少なくとも遙花は貴族たちを、種族として一まとめに憎んでしまっていた。何をするか分からないほどに。
ベルが、遙花を、休暇のたびベルト地帯に呼んで、セントラルから離れさせたのも、そのためだった。
「……兄さんは貴族は好きですか」
「相手によるさ」
だが僕は知っている。貴族も人間だった。それだけのことだ。悪い奴も、ほんの少しだがいい奴もいた。遙花に近づいてきたのが、ゴミ虫ばかりだったのは確かだが……
「私は貴族なんてみんな嫌いです」
「ベルもか?」
遙花は慌てて首を振る。
「姉さんは特別です」
「そうか」
僕は安心する。だが遙花は顔を少し赤らめて続けた。
「……兄さんも……特別です」
僕は黙り込んだ。見つめ合う。遙花は治療の手を休めたまま震えている。小さな肩に手を伸ばしたくなる衝動を堪える。いや堪えきれず手がゆっくりと伸びる。先に目を逸らしたのは遙花だった。
「兄さんに襲われかけた」
冷静な口調で呟く。
「姉さんに言いつけてやります」
「そ、それはやめてくれ」
僕は呻く。
「嘘です。それじゃ私も疑われてしまいます」
僕は言葉を失う。遙花は俯いて手当てを再開した。
「兄さんは、はっきりしない人だから。そういうことは、本当に好きな人とだけにするべきです。よそ見しちゃ駄目ですよ」
僕を戒めるだけではない、自分に言い聞かせるように遙花は淡々と告げた。
「なあ、そう言えばアリスはどうなんだ? あれも、一応貴族だけど」
遙花は少し考えて言った。
「あれはただの怠け者です」
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