山田秀斗はとにかく家に帰りたい

新巻へもん

第1話

「ヤマダ……。どうか世界の危機を救って欲しい……」

 白い霧のようなものの向うに見えるのは可憐な女の子だった。

 ぼくよりはちょっとだけ年上かもしれない。

 両手を組んで目をつむり祈りを捧げているように見える。

 目を開くと大きな瞳が真っすぐにぼくに向けられた。

 透き通った青みがかった瞳に吸い込まれそう。


 そこで目が覚めた。

 淡く発光する天井が目に入る。

 岩を掘り抜いた洞窟のような狭い部屋にぼくは居た。

 いつもの柔らかなベッドじゃなかったせいか、背中をはじめとして体のあちこちが痛い。

 はあ。

 ため息が出た。

 目が覚めたら自室のベッドで、昨日からのことが全部夢だったら良かったのにな。

 あ、さっきの女の子は夢じゃなくていいです。

 でもなあ。世界を救うって言われましても。

 それよりも誰かぼくをこの状況から救って欲しい。

 横たわったままで頭の脇に置いておいた棒を手に取った。

 しげしげと眺める。

 長さ五十センチ、太さ二センチほどの黒い棒。表面はすべすべしており、びっしりと何か分からない模様か文字のようなものが彫り込まれている。一方の端には穴が開いていて紐が通してあった。

 父さんの外国土産だとばかり思っていたんだけど、実は魔法の杖だったなんて驚きだ。

 まあ、そう言われただけで本当に魔法が使えるかどうかは分からないのだけれども、マールズはそう言っている。

 昨日は濃霧の中、外へと出かけた姉ちゃんを追いかけて見失い、気が付くとおっかない顔の赤い顔の化け物に襲われた。

 その時に助けてくれたのがマールズ。

 サイズが大きく二足歩行をしていて服を着ているいることに目をつぶれば、動物園で見たテンによく似ていた。

 弓が得意でそれを使って化け物を追い払ってくれたんだ。

 そして、行く当てのないぼくを家に招待してくれている。

 どうも、ここは異世界らしい。

 何がどうなって迷い込んだのか皆目見当がつかないけれど、人語をしゃべり二足歩行をするテンがいて、斧で襲ってくる赤い顔の化け物もいる。

 現代日本ではないと考えた方が合理的だろう。

 そこにたった一人で放り出された可哀そうなぼく。

 姉ちゃんと違ってスポーツが得意なわけでもなく、話が面白いわけでもない平凡な小学生だった。

 クラス替えになった五年生の教室でも、ぼっちではないけれど、ぼくはあまり目立たない。

 はっきりいえば、その他大勢で主人公というキャラじゃない。

 それなのに、このぼくがこんなことになるなんて。

 ぼくが読んだ物語だと、異世界にやってきた際に何か凄い能力が与えられることが多い。

 しかし、現実は残酷で、ぼくにはそんなものはないのだ。

 ぼくは魔法の杖を握りしめた。

 せめて魔法が使えれば少しはワクワクできるのかもしれないのだけど……。

 現実逃避でごろごろとしてしまう

 それにしてもこの布団の詰め物は綿や羽毛じゃないみたいだけど、なかなかに温かいな。

 そんなことを考えているとふと言葉が口を突いて出た。

<布団がだ>

 その瞬間にぽんと布団がぼくの体から跳ね飛ぶ。

 えええええ。

 ぼくは体を動かしていないのにどういうこと?

 無意識にダジャレを口にしてしまった恥ずかしさもないまぜになって混乱した。

 壁に当たって落ちた布団を触ってみる。

 どこといって変なところはない。

 まさかね。そう思いながら布団をかけて横になり、もう一度試してみた。

「布団が宙を飛ぶ」

 何も起きない。

<布団がふっとんだ>

 またしても見えない手にはぎ取られ放り投げられたように空中に布団が舞った。

 なるほど。

 ダジャレが現実になる魔法らしい。

 凄いような凄くないような。ちょっと残念な感じもした。

 ぼくが読んだファンタジー小説の中の魔法使いはもっとカッコイイ呪文を唱えている。こちらはダジャレ。落差が大きい。

 それにカッコ悪さは一旦脇に置いておくとしても、布団が宙を飛んでもねえ。そんなに重い物じゃないし、手で投げれば同じことができる。

 使いどころが分からないんだよなあ。うまくコントロールできるとして、寝ている時に刺客に襲われたら相手に被せるとか?

 ダジャレなら何でもいいのかな?

 何か試してみようか。

 猫が寝ころんだ。駄目だ。ここには猫が居ないし、だいたい猫っていつも寝そべってる。

 犬が居ぬ。って、やっぱり犬が居ないし。

 うーん。微妙。

 それに同じ音の言葉なんてすぐに多い浮かばないよ。

 ふと脇を見ると寝台の上に鎮座している国語の辞書。そうだ、ぼくには辞書があったじゃないか。

 昨日家から持ち出した二つの品のうちのもう一つ。

 宿題をしているところだったから無意識に手にしていたんだっけ。

 マールズは呪文書だと勘違いしていたけど、これは当たらずと言えども遠からずってことになるのかな。

 そこへ、カーテン代わりの布がめくりあげられマールズが尖った顔を突っ込んでくる。

「シュート。もう起きてたのか? よく眠れたか?」

「うん。よく寝れた」

「そうか。それじゃ起きてこいよ。もうすぐロージーが作った朝飯ができるぜ」

 寝台から降りて魔法の杖と辞書を手にした。

 マールズにくっついていき、ロージーが用意してくれた朝ご飯をごちそうになる。

 ロージーもテンのような姿なのだけど、黒っぽい毛並みのマールズに対し銀色のしなやかな毛に覆われていて、なんとなくだけど気品がある気がする。

 マールズの友達だと言っていたけれど、家に出入りするぐらいだからとても仲が良いのだろう。

 ロージーの作ってくれたものが低いテーブルに乗せられる。

 昨夜と同じで小さな粒のどろっとしたお粥に木の実が乗ったもの。

 ほんのりと甘いのは同じだけど、少しだけクセがあった。

 ラーメン鉢ぐらいの器で量は多い。

 食べ終わるとマールズが話しかけてくる。

「さてと、腹ごしらえも済んだし、シュートの姉さんを探しに行くか」

 あ。すっかり忘れてた。

 姉ちゃんは元気だろうか? ご飯も食べられなかっただろうし、寝るところもなかっただろう。

 まあ、でも、あの姉ちゃんだからなあ。今まで忘れていたことに罪悪感を抱かない程度には無事でいる確信があった。

 マールズがぼくの顔を覗き込む。

「なんだ。姉さんが心配か? 昨日シュートを襲ってきた赤鬼っつう連中は数は多いけど、それほど驚異じゃないんだ。畑などから作物などを盗んでいきやがるけど、普段は滅多に襲ってくることはない。まあ、最近はどういうわけか凶暴になってるけどな」

「ちょっと、それじゃ、慰めてるのか脅してるのか分からないわよ」

 ロージーがツッコミを入れた。

「泊めてもらったうえに姉ちゃんを探すのまで手伝ってもらっていいのかな?」

「なんだよ。水くさいな。ここで見捨てたらオレっちの名が泣くってもんだぜ」

「なにカッコつけてんのよ。二人助ければお礼も二倍かもって計算してたくせに」

 マールズはロージーの口を押えようとする。

「ちょ、余計なこと言うなって」

 ぼくは二人に頭を下げた。

「マールズさん。ロージーさん。ありがとう」

「それじゃ、早く探しに行きましょう」

「そうだ。シュート。これ貸してやるよ。その呪文書を手に持ってるのも大変だろ」

 マールズがランドセルぐらいの大きさの袋を差し出してくる。開け口のところをひもで絞って肩から下げられるようになっていた。

「ありがとう」

 お礼をいうことしかできないのが歯がゆい。

「でっかいお返し期待してるぜ」

 マールズは片目をつぶってみせた。

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