第45話 ぽんぽこの身代わり婚

(結婚式……? 今週末……?)


 衣装合わせを終えた蒼葉は大混乱していた。

 行雲からは何も聞いていない。それどころか、ろくに顔も合わせていないのだ。


 蒼葉は行雲の嫁として百鬼家に来た。行雲は化け狸でも良いと言ってくれ、新婚旅行も済ませた。

 祝言をあげることは何も問題ではない。


 しかしあまりに突然で、蒼葉は行雲が自分に何も言わず、勝手に準備を進めていたことに少しむっとしてしまう。

 

 蒼葉だって一応雌の狸だ。

 皆の前で儀式をするなら心の準備や念入りな毛繕い、お作法の勉強をしておきたい。


「旦那様ったら乙女心を全く分かってない!」


 寝台に伏せた蒼葉は枕をぎゅっと抱きしめ、足をばたつかせる。

 旅行の出発時にどきどきさせられたのはきっと偶然、もしくは幻だったのだ。


「……悪かったな」

「へっ!?」


 半開きだった扉が開いて灰色髪の男が顔を出す。

 気のせいかもしれないが、些か不機嫌そうだ。慌てて飛び起きた蒼葉は床に落ちそうになる。


「だ、だ、だ、旦那様!? 何故ここに!?」

「遠征から戻った。それで顔を見に来た」

「先程のは……聞いてましたよね……」


 行雲は黙って頷くと、部屋に入ってきて蒼葉のいる寝台に腰かける。


「どうしたら俺はお前の乙女心というやつを分かってやれるんだ」


 そう言って蒼葉を覗き込む行雲の目は、以前よりも澄んで見えた。

 困ったような、それでいて甘さを含んだ声に蒼葉の心臓はぎゅんと苦しくなる。


 自分から『きす』をした時は「意外と大したことないや」と思ったのに、相手から不意に近づいてこられると蒼葉の乙女心はいっぱいいっぱいになってしまうらしい。


「やっぱり乙女心のことは気にしなくて良いです。いつもの旦那様でいてください」


 蒼葉は行雲の顔をまともに見ることができず目を逸らす。

 

 しばらく沈黙が流れたが、行雲は突然驚きの話を切り出した。


「少し考えたが、俺は軍を辞めようと思う。というより辞めてきた」

「ええっ!?」


 週末の結婚式のことより衝撃的だったかもしれない。どきどきしていた心臓が、今度はびくりと飛び跳ねる。


「これまではいくら危険に晒されても構わなかったが今はお前がいるからな。それに、妖狩りの仕事は勤務時間も安定しない」


(旦那様が軍を辞めた? 妖狩りも?)


 蒼葉は行雲が何を言っているのか分からず、聞き取った言葉を頭の中で何度も反芻する。


「それは……私のために仕事を辞めると言ってるように聞こえるのですが……」

「いや自分のためだ。自分がそうしたいから辞めるんだ」


 行雲は大佐に今後を考えるよう言われていたこと、お義母様には好きにするよう言われたことを教えてくれる。


 本当は謹慎処分を除隊処分に変えてもらい、そのまま辞めるつもりだったが、どうしてもと言われて仕方なく討伐遠征に応じたらしい。


「行く行くは家業を継ぐことも視野に入れ、これからは耕雨に仕事を教えてもらうつもりだ」

「そう、ですか。私は旦那様がそうしたいと思ったことならそれで構いません」

「俺は百鬼の家とお前の暮らしを護れるようになりたい」


 行雲は真剣な表情で言う。

 彼は想像よりも遥かに真面目に蒼葉を想い、将来を考えてくれているようだ。


「父親の形をした泥に惑わされた時。扇家の当主が父の死に関与していると話した時。俺が過去ではなく未来に目を向けることができたのは蒼葉のおかげだと思っている」


 行雲は「これからは蒼葉を幸せにするために生きたい」と言って小さな箱を差し出した。


「これは……?」

「婚約指輪というやつらしい。惣田に渡すべきだと言われて準備したが要らなければ――」


 灯りに反射して煌めく、箱の中の大きな石に蒼葉は目を奪われる。

 

「わぁ。ありがとうございます。きらきらですね」


 まるで旅先で見た、太陽の光に輝く水面のようだ。


 石の価値など全く知らない蒼葉は差し出された指輪をひょいと手にとって、以前雑誌の挿絵で見た通り左手の薬指にはめてみた。


(これからたくさん旦那様と一緒にいられるんだ。嬉しい)


「私も旦那様を幸せにできるよう頑張ります!」


 蒼葉は満面の笑みで宣言した。


◇◆◇


 ついに週末、祝言をあげる時。


 蒼葉は白無垢を、行雲は紋付き羽織袴を着て、出席者に見守られながら夫婦固めのさかずきを交わした。


 耕雨が百鬼家の力で蒼葉の戸籍を用意してくれたらしく、嬉しいことに書類上も夫婦になれるのだという。


 お義母様と耕雨、そして蒼葉の両親として出席してくれた姫花の両親も杯に注がれた酒を飲み、そして出席者一同もそれに続く。


(お義父様もどこかで見守ってくれてると良いな)


 龍神と消えていく時、お義父様の表情は晴れやかで口は「ありがとう」の形に動いていた。

 きっと扇家とのわだかまりが解けたことを良かったと思ってくれるのではないか。


 儀式が終わると蒼葉お待ちかねの宴の時間が訪れる。

 しかし、次から次へと出席者がお祝いを伝えに来てくれるので呑気に食べている暇がない。


「ポン……蒼葉ちゃんの晴れ姿、とっても素敵よ!」

「姫様もお美しいです〜!! すっかり元気になられましたね」


 一ヶ月と少しの間に姫花は益々健康的になっていた。黒髪は艶々で、頰は薄桃色に染まっていて可愛らしい。

 そして変わらず謙虚で優しくお上品で、これはもう結婚の申し込みが後を絶たないだろう。


 美しく着飾った姫花は蒼葉と軽く言葉を交わした後、行雲に深々と頭を下げた。


「行雲様、この度はおめでとうございます。実家へのご支援もありがとうございます」

「礼なら耕雨に言ってくれ」

「はい、後ほどお伝えします」


 どうやら蒼葉の預かり知れぬところで、土砂崩れの被害に遭った扇家に百鬼家が援助をしてくれていたようだ。


「軍の皆様にもお世話になりました」


 姫花は後ろで順番待ちをしている土居大佐と惣田にも頭を下げる。


「仕事ですから、当然ですよ」


 惣田はよそ行きの顔で返事をした。


(惣田さん、さては姫様に惚れましたね?)


 なんてことは口には出さず、蒼葉は大佐と惣田に礼を言った。


「旦那様がこれまでお世話になりました」


 大佐と惣田は顔を見合わせ笑う。


「これからも必要な時には手伝ってもらうから大丈夫だよ。ね、大佐」

「当然、非常勤隊員のつもりだ」


 そうなのか、と蒼葉は思ったが、行雲が隣で「二度と俺を巻き込むな」と反論した。


(でもきっと旦那様は頼まれたら断れないだろうな)


 その時は蒼葉も軍用狸、ポン太として手伝おう。


 出席者との挨拶が済んだ頃に、楽器の演奏が始まった。踊りの先生が知り合いの演奏家とともに駆けつけてくれたのだ。


「さて、ここで一丁稽古の成果を見せますか」


 蒼葉は真剣だったが、行雲に「やめておけ」と言われてしょんぼりする。


 ――酔っ払った蒼葉が楽しく踊り出し、虜になった人々が記憶を無くしてしまうのは時間の問題かもしれない。


 


〈了〉

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