第20話 いざ花嫁修行(仮)へ
さつまいもを平らげた蒼葉は一度暗闇の中へ消え、変化を解いてから素知らぬ顔で行雲のもとを訪れた。
「旦那様、狸はやって来ましたか?」
座椅子でお茶を飲んでいた行雲は、いつも通りの曇った眼で蒼葉を見たと思ったら、すぐに視線を逸らす。
「ついさっき来た」
「それは良かったです。ところであの、突然のご相談なのですが、これからしばらく自由に屋敷の外に出ても良いですか?」
ドキドキしながら行雲の反応を窺う。駄目と言われたらどうすれば良いのか。いっそ正体を伝えてしまおうか。
いや、嫁が化け狸だったと知られれば、行雲にも追い出されてしまうかもしれない。
「構わないが、理由は何だ」
(理由!? 理由ですか!? 旦那様のお仕事を手伝うためですよ!)
そう言ってしまいたかったが、喉元まで込み上げた言葉をぐっと飲み込む。
「えーっと、立派なお嫁さんになるには必要なことなんです!」
「裁縫や芸事を習いたいとか、そういうことか」
それだ! と思った蒼葉は頷く。
苦し紛れに出た言葉だったが、行雲の解釈に助けられた。
「はい、そういうことです。扇家に
「分かった、好きにしろ。母には俺から言っておく」
今日の行雲は何故か俯きがちだった。どうしたのだろうか。蒼葉に隠れて笑っているようにも見えるが、彼に限ってそれはないだろう。
声音からしてすこぶる機嫌が悪いというわけではなさそうだが――。
「近い」
「はっ、すみません!!」
気がついたら勝手に縁側との敷居を乗り越え、顔色を窺おうとずいずい行雲に迫っていた。
蒼葉は姿勢をぴしりと正し、後ずさる。
しばらく沈黙の時が流れたので蒼葉は自身の部屋に戻ることにした。
その旨を伝えたところ行雲は「部屋に戻らなくともここにいれば良い」と言ったが、畳の上で眠るよりよりふかふかの『べっど』で眠った方が気持ち良い。
(狸の時なら旦那様と一緒に寝れるんだけどなぁ)
真意はよく分からない行雲の気遣いに頭を下げ、蒼葉はそそくさと廊下に出る。
「そういえば、ポン太に時間を伝えそびれた。仕事に行く午後三時頃、菓子を準備しよう」
(お菓子もらえるんですか!?)
背後から聞こえてきた呟きに、蒼葉は目を輝かせた。
◇◆◇
翌日、午後三時よりも三十分早く行雲の部屋を訪れた狸姿の蒼葉は、報酬代わりに『くっきー』を三枚もらった。
お金持ちだけが食べられるに違いない『はいから』なお菓子だ。
甘くてさくさくで、口いっぱいに濃厚な味が広がって、蒼葉は大興奮しながら食べた。思い出しただけでも頰が蕩けそうなほどである。
「窮屈で悪いが我慢してくれ」
革製の肩掛け鞄にぎゅうぎゅうに詰められ、顔だけ出している狸姿の蒼葉に行雲は言う。
(このくらい狭い方が落ち着きます。自分で歩かなくて良いので楽ですし)
二人――いや、一人と一匹は軍の施設に登営した後、軍所有の馬車で本日の目的地まで送られたのだった。
間もなく日が暮れる頃だが、大門から先に続く道は多くの人で賑わっている。
洋風の建物と昔ながらの木造の建物が入り混じり、芝居を宣伝する大きなのぼりがいくつも立っていた。
帝都一と呼ばれる
行雲は人波をものともせず、ずんずん前へと進みながら呟く。
「妖狩りの仕事はどうしても夜になりがちなんだ」
(それはそうでしょうね。夜を好む妖は多いですから。かくいう私も本当は夜行性です!)
「妖の気配を感じたら知らせてくれ」
蒼葉は頷き、感覚を研ぎ澄ます。すると、香ばしい醤油の匂いが漂ってきて鼻をひくつかせた。
「妖か?」
(いえ、美味しそうなものがあるなぁと)
蒼葉は場所を聞かれたので、短い手でびしりと方向を指し示す。
(そういえば、探してる妖ってどんな妖なんだっけ)
これだけ多くの人が集まる場所だ。隠れ蓑にしている妖も多いのだろう。大小様々、うっすらとした妖気を感じる。
この姿だと人間の言葉を話せないのが不便だ。話さないようにしているのではなく、単に狸の口が人の言葉を発声するのに向かないのである。
感じたのは「妖気ではなく焼きとうもろこしの匂いです!」と言い出すこともできず、行雲を無駄に歩かせてしまう。
(それにしても食欲をそそる良い匂い!)
匂いの元である小さな出店には人だかりができていた。きっと人間も匂いにつられてついつい買ってしまうのだろう。
「……もしかすると、あれが欲しいのか?」
うっとり匂いを嗅ぐ蒼葉に、行雲は呆れた声で尋ねる。
(お腹が空いてきました。食べたいです……いや、でも今は任務中! ……でも本当に美味しそう)
蒼葉が葛藤していると、行雲は胸ぽけっとから銭を取り出し、忙しなくととうもろこしを焼く店主に支払った。
(旦那様……!?)
「俺も夕飯がまだだった。分けて食べよう」
そういえば行雲は驚くほど優しい男だった。――狸には。
(そうですよね、お腹が空いては戦はできぬ! というやつです!)
欲望を正当化する蒼葉だったが、これを食べたら流石にしっかり働こうと思うのだった。
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