第4話 胃袋は掴むよりも掴まれろ

「全く、何の役にも立たない嫁だね」


 鬼ばばもとい、お義母様――百鬼菖蒲なきりあやめとの再会は夕食の席で果たされた。


 夏帆に呼ばれた蒼葉がぎゅるぎゅるお腹を鳴らして和館の一室に入ると、お義母様は視線を合わせることなく怒りの言葉を発したのである。

 

「ええ? 私、何か失礼なことをしましたか? 夕食まで部屋で待つよう言われたので、そうしていたのですが……」


 状況の掴めない蒼葉は部屋を見回す。四つのお膳に対し、集まったのは蒼葉を含めて三人。


 こちらを見て苦笑する優男は離れに住んでいるという先代の弟だろうか。

 そして、彼の隣には豪華な食事が載ったお膳が置かれているが誰もいない。きっと行雲の席だろうと蒼葉は思った。


「普通は自ら進んで手伝いに来るものだろう。扇家では随分甘やかされて育ったようだが、ここではそうはいかないよ」

「常識知らずですみません」


 お義母様の厳しい言葉に、蒼葉はとりあえず頭を下げる。

 誰からも何の反応もなく、どうしたものかと立ち尽くす蒼葉に、お義母様は「早く座りなさい」とまた叱った。


(うーん。手伝いが必要なら、声をかけてくれれば良かったのに)


 人間の常識や、本音と建前というやつは化け狸にとって非常に難しい。


 初日から失態を犯した蒼葉は、しょんぼりと入り口近くの座布団に正座する。今度は叱られなかったので、座る場所は正しかったようだ。


「どうせ行雲は帰らないだろうし、食べようか」


 洋装の男は朗らかに言い、凍てついた空気を溶かした。

 腰の低そうな優しい雰囲気からして間違いない。彼こそが百鬼耕雨なきりこうだと蒼葉の勘が告げる。


 青年と呼ぶには歳をとりすぎているものの、お義母様より随分若く見えるその男を、行雲に出くわしていなければ蒼葉は旦那様だと勘違いしたかもしれない。


 百鬼の二人が箸に手をつける様子を確認してから、蒼葉はお膳に並んだ料理をまじまじと見つめた。

 他のお膳よりも明らかに品数が少ない。それどころか盛り付けも貧相に見える。


(でもとっても美味しそう!!)


 蒼葉は目の前のご馳走に心を弾ませた。扇家にいた時は狸として暮らしていたので、与えられるのは残飯だった。


 野生の狸として暮らしていた時の食事はもっと酷い。食べられるものなら何でも食べたし、それでも餓死しそうになることがあった。


 そのため、人間の食事は何であれ蒼葉にとってはご馳走なのである。


「このお料理はお義母様が?」


 返事はない。一畳分の間隔を空けて隣に座るお義母様は黙々と食事をとっている。


 蒼葉は掴んだ箸を煮込んだ芋に刺し、口いっぱいに詰め込んだ。

 ――名誉のために述べておくと、蒼葉は正しい箸の使い方を知っている。少しばかり不器用で、上手く扱えないだけだ。


 甘じょっぱいタレが染み込んだ芋は、口の中でほろほろ崩れて消えていく。畑で盗み食いしていた生の芋とは大違いだ。


 味の染みた人参、川魚の塩焼き、切り干し大根に温かな豆腐の味噌汁。


 何を食べても頬が蕩けて落ちそうなほどに美味しくて、蒼葉は感激のあまり左右に転がりたい気分だった。


「お、美味しい!! お義母様のお料理、とっても美味しいです!!」


 箸を動かす手が止まらない。一番最後に食べ始めた蒼葉が誰よりも早く夕食を平らげて、未だ帰ってこない行雲のお膳をうっとり見つめる。


「こんなにも美味しいご飯を食べられないだなんて、旦那様は可哀想ですね」


 ぞくり。

 全身の肌が粟立つ。


 蒼葉の左隣から、ただならぬ殺気を感じた。


(あれ……? 私、また何かやらかした?)


 お義母様は酷くお怒りのようだ。

 箸の持ち方のことだろうか。それとも礼儀作法がなっていないからだろうか。蒼葉は冷や汗をかきながら考えを巡らす。


 考えてはみたものの狸の頭には限界がある。察しがつかないまま蒼葉は苦笑いを浮かべ、恐る恐る左を向いた。


「頭が弱そうだとは思ったが、こうも不出来だとは」


 お義母様は静かに箸を置き、中指でこめかみを押さえて溜め息をつく。


「まぁまぁ、義姉ねぇさん。行雲にはこのくらい元気で明るい子が合うかもしれないよ」


 今すぐ家を出ていけと言わんばかりのお義母様に、百鬼耕雨が口を挟んだ。


「耕雨さんはいつも甘すぎます。そんなことだから嫁に不貞を働かれ、逃げられるんですよ」

「それは耳が痛いなぁ」


 菖蒲は義弟に対して遠慮せず物を言い、耕雨はそんな義姉に臆することなく笑っている。彼らの力関係はよく分からないが、耕雨は蒼葉の味方になってくれるかもしれない。


 蒼葉は姿勢を正し、「ふつつか者ですが、これから精一杯頑張りますのでご指導のほどよろしくお願いいたします!」と用意していた言葉を伝える。


 お義母様のしかめっ面は更に歪んだが、耕雨の方はにこにこ愉しそうで、蒼葉に関心を持ってくれているようだ。


「扇家の末の娘さんは体が弱いという噂を聞いたけど、すごく元気そうだね」

「一年前、良い薬が見つかって病が治ったんです。それまで床に伏して暮らしていたので、世間知らずで申し訳ありません」


 蒼葉はこれまた台本通りにすらすら述べる。姫花の母と何度も練習したので、想定された質問への受け答えだけは完璧だ。


「ふん、それなら手加減は必要ないね」


 お義母様は鼻を鳴らして言う。


「はい! お手伝いできることがあれば何でも言ってください!」

「それじゃあ、夕食の後片付けと炊事場の掃除はお前に任せたよ。朝は日の出前に起きて朝食の準備と洗濯をすること。いいかい?」

「はいっ!」


 蒼葉は反射的に、元気よく返事をした。


(はて。夕食の後片付けと炊事場の掃除って、どうやればいいんだろう?)


 食事を終えた二人が席を立った後、蒼葉は首を傾げる。


 しばらく考えてもよく分からず、お義母様が戻ってくる気配もなかったので、とりあえず残飯処理として旦那様のご飯を食べることにした。

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