アイドルとインフルエンサー

 約一週間が過ぎた。今日は七月二十六日で、ミコトの通う高校は夏休み突入だ。


 セミの鳴く声が煩くて目覚めが悪かった。不満げに階段を降り、洗面台で歯を磨きながらボーっと考え事をしていたミコト。


 頭の中はもやもやと霧がかかったように晴れなくて、まだ、気持ちの核が何なのかはミコト自身でもわからない。ポケットに入っていたスマートフォンを取り出して、ワンマカのキーホルダーを指でつついてみる。


 その時、キーホルダーが揺れると同時にミコトは酷い頭痛に襲われた。


 ――いやっ、来ないで!――


 また、あの時の記憶だ。グレーの靄がかかったような景色の中で誰かが叫んでいる……。それは現実なのか、夢なのか……。ミコトは上手く識別することが出来なかった。


「おはようリンカ」


 歯磨きを終え、リビングへ入ると、リンカがルンルンと踊りながら朝食を作っている微笑ましい姿があった。棚に置いてあった応急箱の鎮静剤を取り出したミコトは、台所でリンカから水道水を貰い、薬を流し込んだ。


「また、頭痛ですか?」


 台所でフライパンを動かしながらリンカは尋ねた。


「ここ最近、ずっと酷いんだ」


 数回手で頭を小突きしながらミコトは言う。


「病院、行った方がいいのではないでしょうか?」


「もうちょっと続くようだったら行くとするよ」


 ミコトはそう言うと、食卓の椅子に座り、リモコンの電源をONにした。


 テレビの音がリビングに流れた。耳を研ぎ澄ませたリンカがフライパンを振るのを止めて、テレビの前へとやってきた。


「わー‼ノノちゃん‼」


 テレビにはLISTERの前田ノノが映っていた。


『私、LISTERの前田ノノが皆さんの朝をお迎えします!さあ、大きな声で、おはようございます!』


 前田ノノは画面越しで元気な挨拶をした。


「おっはよーなのです!」


 興奮の収まらないリンカはテレビに向かって元気に返した。


『今日は、私のお姉ちゃん、インフルエンサーのツカサちゃんと一緒です!』


 テレビ画面内に女性が横並びになって映された。


『ヤッホー!皆、ツカサたんです!普段はyoutubeでライブ配信しているよ!』


 ツカサは前田ノノにも劣らない程のパワフルな声量で自己紹介をする。


『お姉ちゃんは普段どんな配信するの?』


 前田ノノがツカサに尋ねた。


『んーっと、雑談配信から始まって、ゲーム配信もするよ!今はワンマカのゲーム実況にはまっているの!後、歌配信もするしコスプレ配信もする!やっぱりワンマカのキャラ、白雪のコスプレは写真投稿したら結構伸びたんだよね!』


 つらつらと興奮気味にツカサは答えていく。


 ワンマカと言うキーワードにピクリと反応するミコトの耳。その日の番組は、前田ノノの姉、ツカサの出演から始まり、ツカサがワンマカのファンであることを大々的に紹介された。コスプレライバーのツカサは定期的にコスプレ写真を乗せていた。数日前、投稿したワンマカのコスプレがSNS上で話題になっていた。ミコトもその写真はネットサーフィン中にちらっと目にしていて、イイネも付けていた。確か、五万のイイネが付けられていたように思う。まさか、そのコスプレイヤーが前田ノノの姉だったなんて驚きだ。とミコトは感心した。


 そして、どうやらリンカは料理をしていたことを忘れているようだ。それから、前田ノノとツカサの主演が終わるまで十分はテレビから目を離さず夢中になっていた。




「わぁ!危なかったです!ついうっかり……」


 テレビが除菌スプレーのCMに切り替わるとリンカは慌てて叫んだ。どうやらテレビに夢中になっていたことに気が付いたようだ。


「ノノちゃんが見られて良かったな」


「はいなのです!朝食は――急ぎますね!」


 せかせかと台所へ戻り、リンカはコンロに火をつけてフライパンを再び握りしめた。


 五分もしないうちに食卓にはスクランブルエッグとパンケーキが乗った皿が二つ置かれた。卵スープと添え付けのサラダもあった。朝食としては満点だ。


「さて、今日は?」


「ノノちゃん風味ふわふわパンケーキなのです!」


「ノノちゃん風味って結局なんなんだ?」


 ずっと疑問に思っていたことをミコトは尋ねた。


「それは、ノノちゃんの愛情なのです!ノノちゃん風味を食べると優しさ溢れるパワーで元気いっぱいになるのです!」


 リンカの瞳がキラキラと輝いていた。


「では、いただきます!」


 リンカはミコトより先にパンケーキを口に運んだ。


「ん~、我ながら抜群です!さあ、お兄ちゃんも早く!」


 ミコトは軽く「いただきます」と言い、パンケーキを口にした。


 一口、二口とミコトの食べる速度が速まっていく。


「うんうん、甘ったるくないパンケーキに少しの塩気とスクランブルエッグの優しい口当たりが最高だよ!リンカ、お前なら将来店を開けるぞ!」


 思わずリンカを称賛していたミコト。


「お兄ちゃんのためならもっと頑張ります!」


 リンカのブラコンの血が騒いだ。


「楽しみにしているよ」


 ミコトがポンとリンカの頭に手を置いた。


 リンカはパワフルな声量で返事をした。


「はいなのです!」


 ミコトはリンカとの食事を終えると、直ぐに自室へと向かった。それから夕方にかけて夏休みの宿題を早めに終わらせようと、机の上で勢いよくシャープペンを走らせていた。


 ――もう十九時か……。


 日中の日差しが眩しくて、部屋のカーテンを閉め切っていたため、気が付けば部屋の中は真っ暗になっていた。一つ点された電気が、静かに机の一部を照らしている。椅子から立ち上がると、カーテンを開けて、すっかり日が暮れた空を眺めた。窓を開けると生ぬるい風がミコトの髪を撫でてくれる。ミコトは五分程、風にあたっていた。


 トゥルルルル――


 ベッドの上に投げ捨ててあったスマートフォンが鳴った。それに気が付いたミコトは、窓を閉めてスマートフォンを確認しに行く。手に取ると同時に、ワンマカのキーホルダーがチリンと揺れた。


 スマートフォンの画面には笹森ユースケと表示されており、名前を一目見たミコトは多少電話に出ることに渋ったが、溜息をついて電話に出た。


『もしもし』


『もしもし、俺だよ』


『笹森か、で、用はなに?』


 ミコトは面倒くさそうに尋ねた。


『我が友の声が聞きたくなってな』


『全く、友達は俺以外と作ってくれ。用もないなら切るよ』


『そんな、寂しいじゃないか』


 電話越しにユースケが駄々をこねる。


『生憎、俺は暇じゃないんだ』


 ミコトは軽い嘘をついた。


 ユースケは電話越しに女々しくなり始める。


『ええ、待ってくれよ』


 しかし、ミコトはユースケを待たずに『じゃあな』と電話を切った。


 トゥルルルル――


 部屋中に再びコール音が響き渡る。


 ――またユースケからか。全くもう、面倒くさいな。


 ミコトはユースケからの連絡を着信拒否して、そのままベッドに横になった。そして、携帯電話につけられたキーホルダーを優しく眺めた。また何かを思い出したような気がした。


 ――いやっ、来ないで――!




 悲鳴を上げるマドカ。ミコトは思い出すと酷い頭痛を感じて……そして、同時に物凄い睡魔に襲われた。


 ――なんだか、眠くなってきた……少し眠るとしよう……。


 それから一瞬にしてミコトは深い眠りについた。


 


 真夏にしては涼しい夜だった。


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