第20話 棄殺(すてごろ)

「敵の規模はどれくらいだ! 近くまで迫っているのか」

「二十人程度の少数精鋭です。奴ら既に本部へ乗り込んでいます!」

「ここに?」

 ドストスペクトラは面食らったように問い返した。

「隠し扉も見破られたのか?」

「は、壁ごと破壊して強引に入り口を探し当てたらしく……」

 食堂では教団の野風たちが隅の方に身を寄せ合い、前列を腕の立つ信者たちが列をなし、今にも飛び掛からんばかりの気迫で威嚇している。長テーブルの奥には赤毛の猿たちが一人の男を取り囲むように壁を作り、その中央でひときわ赤い毛並みの猿が向こうを向いて座っていた。

「すんません」

 赤毛がくるくると指の上で皿を回して叫ぶ。

「お宅んとこの料理に虫が入ってたんスけどねェ。責任者呼べって言ってるんだけど」

 スペクトラが前に進み出る。赤毛は弄んでいた皿を卓に弾き飛ばすと、くるりと振り返り不敵な笑みを浮かべる。「……あんたが大将か」

「あ」俺は敵将の顔を見て小さく声を出す。振り向いた額には見覚えのある抹茶色の手拭いが結ばれていた。

「……生憎うちは一見お断りでしてな。お引き取り願いましょうか」

 横の列から、ボアソナードが言い放つ。「ハッ」赤毛が鼻で笑う。「この肥溜めにンなハイソな店があるのかよ」 右手を低く挙げる。指の腹に挟んだ羽虫を、握りつぶした。「腐った残飯賭けて殺し合う。それがスラム流だ。違ぇか」

「ふ……」

 スペクトラが珍しく笑う。

「威勢の良い客人だ。東面の若頭がこんな所に何の用だ?」

「何の用? 笑わせるぜ。敵のあたまが部下連れてカチコミに来てんだ。目的は一つだろ」

 椅子を蹴倒して立ち上がり、こちらに向き直る。「来いよ。タイマンだ」

「侵略」ボアソナードが眉を顰める。「東面の長は穏健派と聞いておりましたが……」

「うちの長老サマももう歳でなァ。今は俺が頭・代理だ。俺らは爺と違って甘くねぇぜ」

「そちらも色々とごたついてるようだな」スペクトラが油断なく手拭いを見つめながら問う。「どうしてここが分かった」

「そこの兄(あん)ちゃんがうちのシマで行き倒れててよ。介抱の駄賃に案内してもらったぜ」

 無論、脱獄してスラムにやってきた日のことだ。「申し訳ありん……。私共の手落ちです」ボアがスペクトラに頭を下げる。「ふむ」スペクトラが腕を組む。

「なら……、ミスは自分で取り返してもらおうか」

 スペクトラが俺を見る。「出番だ、救世主殿」

「……! 俺、か……?」

 俺は動揺して答える。もちろんこの状況に負い目は感じていたが……、スラムの情勢を左右する局面を、俺が担ってもいいものなのだろうか。

「修行の成果を試す良い機会だ。ちょうどいい、聴覚予知無しで制圧してみろ」

「……たしかに、自分で蒔いた種だが」

 スペクトラの目は本気だった。俺は周囲を見渡す。期待と不安の目線が一身に集まっていた。

 ……ここで勝ち取れということか。皆の信頼を。俺は唇を引き締め、前に進み出た。

「安心しろ。やつの得意は真っ向勝負だ。未来知が必要な騙し討ちの類はやってこない。救世主らしく本部を守ってみせろ」

「荷が重いな……」

 手拭いの好奇心に満ちた瞳と目が合う。俺は頭を掻く。

「あー……、その節は世話になったな。真白雪ましらそそぎだ」

「こいつは、奇縁てもんだ。まさかお前が相手とはな。……東面の若頭、ユーメルヴィルだ」

 赤毛はドンとテーブルの上に飛び乗った。「あんたが噂のメシア様とはな……。相手にとって不足はねえ。お前の神輿、担ぐか、引きずり降ろすか……、手前てめえで決めさせてもらうぜ」

 俺もひらりと卓の上に立つ。睨み合う二人の視線が中空でぶつかり合い、火花を散らす。


「……敗けた方が下に付く。良いな」

「ああ」

 ユーメルヴィルが不敵に笑う。同意が開始の合図だった。奴は鬨の声を上げながら威勢よく突進してきた。俺も猛進しながら、勢いに任せて拳を放つ。それを掻い潜って奴はタックルをぶつけてくる。まるで二輪にでも衝突されたような重さだ。咄嗟に重心をずらして衝撃を逃がす。しかし数歩、後ろによろめく。

 その隙を逃さず、メルヴィルのラッシュが飛んでくる。両腕を繰り出して捌き続けるが、体勢が苦しい。

 死角を突いた足払いを受け、俺の体が宙に浮く。無防備な数瞬を狙ったやつの拳が、胴に襲いかかる。

 反射的に腕を下げ、ガード。後方に突き飛ばされた勢いを利用して後転、すかさず立て直す。

「良い反応だな。今のは入ったと思ったぜ」

 赤毛が余裕の表情を浮かべ、拳を構える。俺は今の衝撃で外れた関節を戻し、腰をかがめる。反撃だ。

 俺は卓の淵ぎりぎりに向かって弾丸のように飛び出す。奴の予想を外す斜め前方への低い移動、奴が向き直るより早く、俺は脇に並んだ椅子を足場に、低空から回し蹴りを見舞う。

 意想外の角度からの攻撃。赤毛の右膝を崩す。さらに回転の勢いを利用して肘打ち、ラリアットへ繋げる。

「ッハハハァ! こんなもんか?」

 連撃を浴びながらも奴は驚異的な体幹で直立を維持した。反動を溜めた左足で踏み込み、俺の体をホールドするとその勢いのまま全力の回し投げを放ってきた。

 体が毬のように卓を跳ね、片隅の椅子の群れに突っ込む。木椅子の脚が四方に飛散し、木屑を散らす。

「眠てえ拳だなァ。もう終わりか?」

 赤毛が片手をくいくいと曲げて挑発する。

 足蹴で木板を跳ね飛ばし、俺は瓦礫の山から起き上がる。木屑をふっと口辺から吹き出す。「目を覚まさせてやるよ」

 俺は宙返りしながら卓の上に再び飛び乗る、と、同時に、傍らの椅子を掴んで投擲していた。

 手拭いが鼻を鳴らして椅子を粉砕する。粉塵を目隠しに俺は懐へも潜りこみ、腹を殴る。

 メルヴィルは即座に腹筋を固めて対応し、肘鉄を落として来た。さすがに少しは効いたのか、切れが鈍い。俺は片手で肘を受け止めつつ、奴の右膝に拳をぶつける。

 奴は歯を食いしばり、打たれた膝で俺の顔面を蹴り上げた。予想外の反撃。俺はのけ反って一歩後退る。赤毛が視界の端に消える。背後からきつい一撃。奴は卓の端を掴んで俺の横を跳び抜け、背面に回り込んでいたのだ。

 振り向くと脳天に木の感触。椅子が叩きつけられたと遅ればせに理解する。両腕で顔面を防御。一発は防いだがもう一発、脇腹への一撃が俺を抉る。

 俺は唾液を吐き出し、ひるんだフリをして屈み椅子を掴む。下から振り上げて奴の右腕を弾き、追撃を緩める。さらに顔面狙いに破片を突き出すも、躱した赤毛が足裏で俺の顎を蹴り上げる。

 咄嗟にその脚を掴んで引き倒し、奴が姿勢を崩したところに一撃。奴は呻きながらも、卓を叩いてバネのように弾き上がり、強力な頭突きを繰り出す。直撃した俺は思わず奴の脚を手放す。

 赤毛が体勢を立て直す。俺もステップを踏んで拳を構える。

 そこからは拳の応酬だった。互いに一歩も退かず、殴打を浴びせかける。奴はタフだったが俺も粘りを見せた。

 俺が右足を退げた瞬間を奴は好機と捉え、渾身の右を放ってきた。即座に両腕を畳んで面を護る。凄まじい衝撃に、左腕の折れる感触。だが全霊の踏ん張りを以て堪えきる。奴が次の左で止めを狙いに来た瞬間、上から椅子が落下してくる。

 奴は不意を突かれ椅子を跳ねのける。隙を見せた頬を、俺の精妙な右ストレートが射貫いた。

 顎を砕く確かな手ごたえ。手拭いはよろめいて二、三歩後退した。追撃の好機……、だが右足が痙攣し後追いを阻む。隙を作るために死角から放り投げた木椅子、右足を引いたあの時に足指で掴み投げたのだが、少々無理な動きをしてしまったようだ。

「……へッ、ばてばてじゃねェか」

 赤い唾を吐き捨てて手拭いが笑う。腿を拳で叩き、痙攣を鎮めながら俺は奴を見据える。「どうやら……、互いにな」

「冗談言っちゃいけねェ」

 赤毛は口の端を拭い、こちらに踏み出しかけた……「……!?」赤毛の姿勢が崩れる。こちらに警戒を払ったまま、彼は己の右脚を顧みた。

「……ッそ、膝が……」

 赤毛が凄まじい表情でこちらを睨む。俺は肩で息をしながら、油断なく構える。

「続ければ壊れるぞ。……どうする?」

「そりゃ愚問ってやつだな」

 メルヴィルは四つん這いになって爪を立てる。唸り声を上げ、獣さながらに飛び込んできた。

 俺は膝蹴りで迎え撃つ。顔面にもろに入る……、しかし、奴は猛々しく吠えながら俺に掴みかかった。

 上体に飛びつき、爪で俺の背中を引き裂く。俺は声を荒げ、拳を奴の背に叩きつける。しかし、この位置関係では力を籠めにくい。奴は俺の肩につかまって身を起こし、顔面を殴りつけてきた。

 俺は奴の腰を掴んで強引に引き下げ、赤毛の首元に牙を立てた。メルヴィルが叫ぶ。続けざま、奴の尾骶骨に膝蹴りをお見舞いする。

 奴はガバリと俺の背に回り込み、首をギリギリと締め上げた。「とっととくたばれや……」

 俺は万力のような握力で奴の腕を引きはがそうとする。負けじと奴も力を籠める。

「敗けるわけにゃいかねェんだよ俺ァ……! 東面には老いぼれしかいねぇ……。疫病に堪えられる身体じゃねぇんだよ」

 奴の腕にかかる力が一段と力を増した。しかし奴は俺以上に苦しそうに声を漏らした。

「爺たちを養ってくためにゃ……、こうするしかねぇんだよ……! いい加減白旗上げやがれェ!」

「ッ、お生憎様だ……」

 俺はかすれ声で応酬しながら、奴の腕と額を砕けんばかりに掴んだ。「守る相手のいるお前と違ってな……、最初から弔い合戦なんだよ、俺は!」

 右脚で強く卓を蹴り上げる。唸り声を轟かせ、俺は前方に半回転しながら奴の顔を思い切り下に引き込んだ。

 全霊で直下へと背負い投げた赤毛の肉体は、卓を突き破って轟音を室に響かせた。

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