第18話 お猿の寵児
その晩にはボアソナードもアテネも立ち歩けるほどには回復していた。夕方に俺は僧督にこれまでのいきさつを語り、いくつかの意思確認をされた。夜が来ると俺たちは、揃って最初の広間に通された。
「今日はちょうど宗派集会の日でな。主要な門徒も顔を揃えている。あなたのお披露目をするのにはちょうどいい」
スペクトラは俺を広間に招じ入れながら言った。食堂にはざっと見ただけでもニ百人以上の猿がいて、がやがやと近況を報告しあっている。
「祈りというのは個人的な行いだ。しかし、この福音派は中央教区の殆どの住人が信仰していることもあって、自治組織の役割も兼ねている」
「お披露目というが、俺の立場は……」
「分かっている。それが今晩の議題というわけだ」
ドストスペクトラが柏手を打った。
「一同、ご傾聴願いたい」
僧督の厳かな言葉に、広間のさざめきが静まっていった。視線が俺に集中する。
「お集りいただき感謝する。まずは潜入調査から帰還したボアソナードから報告がある。またしても困難な任務を成功させてくれた、誉れ高き同志の言葉だ。心して聞いてくれ」
傍らに立っていたボアソナードがこちらに一礼し、皆の前に進み出た。ボアソナードはこの中でも古株らしく、スラムでは少数派のヒトでありながら、皆の表情からは信頼の念が窺えた。
「ご無沙汰しておりました、皆さま方。相も変わらず景気が良さそうで」
野風の一同が苦笑いした。ボアがにこりと笑う。
「本日は新しい仲間をご紹介したく思います。獄中にて邂逅した、警備隊の秘密を握る御令嬢、アテネ・ド・カプリチオ殿」
アテネは突然名を指され少しびくりとしたが、直ぐに優雅に会釈した。貴族らしい堂々とした振舞いだった。ヒト族とみて野風たちはひそひそと言葉を交わし合う。
「そしてその横におわしますは、未来知の魔法使いにして予言の稀人……、我らが救い主、マシラ・ソソギ殿にあらせられます」
「稀人、って……聖典の?」「昼間言ってたやつか……」食堂のざわめきが大きくなる。よく分からぬところで話が大きくなっている気配がする。俺は片手を挙げて控えめに挨拶した。
「異界人のましらだ。ボアソナードには世話になった。よろしく頼む」
「彼はあのカミラタを下した男だ。ヒトの魂を持っているが、肉体と志を我々と同じくしている。皆に彼の処遇を決めてもらいたい」
ドストスペクトラが皆に呼びかけた。
「処遇でございますか」
集団の一人が尋ねた。
「そうだ。彼は寄る辺のない流浪の身だ。しかも警備隊の追っ手を抱えている。しかし私としては、彼を福音派の筆頭として迎え入れたい。今は魔境内の情勢も不安定だ。予言の救い主の力を借りて、この貧民街に安寧を築きたい。私は、そう思っている」
「賛成ですな」
ボアソナードも同意する。
「ましら殿の御力は強大です。我々の下で修験の道を極めていただいたのち、長らく空白であった座主の位についていただかれるのが適当かと思われます」
「座主と来たか!」
古参らしき老猿たちが声を上げる。
「座主と云えば、相応しい者の現れぬ限り空位として扱われる、最高僧の位階ぞ……。先代は貧民街を統治していた、『大祀(だいし)教(きょう)』ドストルストイ様。宗派の分裂したこの状況でかような大それた叙任を行えば、北面や西面の連中が黙ってはおらぬよ」
「だからこそ意味があるのです」
ボアソナードが重々しく駁す。
「魔境(スラム)の命運を担う救い主がこの福音派についていることを、大々的に喧伝する。その威光と恩寵を以てこそ、大貧民街の混乱を調停できるというもの」
「これはまた穏やかな言い回しね」
アテネが俺の耳に囁いた。
「調停なんて名ばかりよ。ドストスペクトラは貴方の能力と肩書を利用して、
「随分、政治に詳しいな」
「貴族ですもの」
アテネは平然と言ってのけた。卓の向こうでは猿僧たちが盛んに議論しあっている。
「……今君が言ったことは、既に了解済みだ」
俺は前を向いたままアテネに答えた。アテネが驚いたような顔でこちらを見る。
「事前に打診があった。ボアと僧督殿は俺の意向を組んだ上でこの提案をしてくれたんだ。互いに利のある計画だからな」
「互いに利があるって、貴方に何の得があるの?」アテネが尋ねる。「一刻も早く、樹海の魔法使いに遭いたいのでしょう?」
「今の俺では、無理だ」
俺は口を曲げて答える。
「カミラタと闘ってよく分かった。今の俺は格闘技術も駆け引きも、経験もこの世界の知識も、何もかも未熟だ。未来知しか強みの無い現状では、あの『悪い魔法使い』相手に要求を通すことは難しい」
両方と手合わせしたからよく分かる。樹海の魔法使いの実力は、カミラタ以上だ。それに何故か俺のことを狙っている。仮に奴のもとへ辿り着いたとして、すんなり現世に返してくれるとは思えなかった。
「力づくにしろ交渉にしろ、あの魔法使いと渡り合えなければ話にならない。それに、樹海の周辺は警備隊が守りを固めている。『悪い魔法使い』の捜索と警備隊との衝突には、充分な兵力がいる。少なくともこの中央教区、欲を言えば周辺地帯の門徒を味方に付けたい」
「この砦で修業を積み、実力を認めさせて援軍を勝ちとる、という心算ね。たしかに利害は一致しているわ」
アテネは小さく応える。援軍と言えば聞こえは良いが、他勢力を力づくで軍門に従える、という結果にもなりかねなかった。なるべく円満に解決したいとは思っている。しかしいざとなれば手段は選ばないつもりだった。
「さて、どうだ、皆の意見は」
ドストスペクトラは広間を見渡して問うた。「やぶさかではねぇですが……」農夫らしき信徒から声が上がる。
「ではもう少し考えてもらうために、情報を追加しよう。今後この救い
広間から不満の声が上がった。アテネは横目で俺を見る。「……私の食い扶持まで気を回してるなんて、抜け目ない人。……まさかこれが本当の狙いじゃないでしょうね?」
「かいかぶりすぎだ。いつまでもドクターの好意に甘えるわけにはいかないってだけさ。ここでなら未来知の力を対価として与えられるしな。……まあ、行く当てのない手配中の子供を保護してもらうのは、ついでみたいなものさ」
「施しは受け取らないわよ」
「彼等も善意だけで承諾はしていないだろう。君の情報は他勢力に優位をとる役に立つみたいだし、匿うだけの価値はあると感じているようだよ」
アテネは複雑そうな表情で口を尖らせた。「……前より
「ムショ暮らしのせいかな」
議論は紛糾していた。少なくとも、俺のことを認めていない者も多数いるようだった。
「どうも相当な成果をあげるしか、ないようだな」
スペクトラが素っ気なく俺を焚きつけた。
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