第3話


 翌週の水曜日。

 晴天。雲一つ無い。日射が暑い。


「あー、なるほどねー」

 雅人はランニングをしながら、納得した様な顔で空を見上げた。


「ん? 何を納得したんだ?」

 雅人の隣で悠馬は不思議そうな顔をする。

 その顔は少し疲れている様に見えた。


 開始から五分も経っていない。

 どうやら、悠馬はインドア派の様だ。


「えーと、グランドが無いのに体育の授業をするところだよ」

 昨日までは体育館だけだと思っていた。僕の常識が覆される。

 やはり、先入観はいけないと言うことか。


 高校から徒歩十分。

 雅人たちはある河川敷に来ていた。


 五組と六組の生徒は、河川敷のランニングコースを走っている。

 これが今日の体育の授業だった。


「それな。ほんと、体育館で十分だよ・・・・・・。しんど」

 走りながらも、悠馬は大きくため息をついた。

 最後の言葉を吐き捨てる様に言うあたり、本心なのだろう。


「にしても――ね」

 前方で入る女子たちを眺め、雅人はふと思った。


 ゴールはいったいどこなのか。

 走る前を思い出そうとするが、教員からは「自分がいるとこと」それしか聞いていなかった。

 ――と言うより、それが答えか。


「先生、いないね」

 直線状のコースのその先には教員の姿は無かった。


 つまり、その先の先がゴールなのだろう。


「えー、嘘だろ」

 口を半開きにして、悠馬は再び大きくため息をついた。


 すると、雅人の隣を一人の男子生徒が猛スピードで通り過ぎる。

 その男子生徒はしばらくして、徒歩へと変更した。


「おー、女子の前でかっこつけるやつか」

「そうなの?」

「そりゃ――速いとかっこいいはイコールだからな」

 どうしてか決め顔で悠馬は言う。首から下は疲弊しているけど。


「・・・・・・そうなの?」

 そう仮定すると、陸上部が一番かっこいいことになる。羨ましいことだ。

 昔はリレーの選手とかに選ばれていたけど、今はそんなに速くない。


「うむ。ただ、一瞬の速さは・・・・・・減点だな」

 やれやれと言う仕草をして、悠馬は首を振った。

 悠馬が採点している側なのだろうか。

 雅人にはわからなかった。


「倉石くんたち、走ってる?」

 すると、雅人を通り過ぎようとしている女子が不意にそう言った。


 大人しそうな長髪の女子生徒。

 清楚で美人な印象。名前はわからないが、不思議と初対面な気がしなかった。


「一応ね。えっと――」

 彼女の名がわからない。

 女子の席順で一番前。

 つまり、彼女の名字はあ行のはず。


「伊藤よ。伊藤由紀(いとうゆき)」

 一瞬、戸惑った雅人を見て、由紀は落ち着いた声で言った。


 過去の記憶を掘り起こすが、聞き覚えが無い。

 やはり、初対面なのか。


「伊藤さん、僕らは走ってるよ?」

 名前を告げ、彼女の顔とその名を記憶する。美人だから忘れないはずだ。


「そう? 北沢なんて、もう歩いてない?」

 目を細め、由紀は不機嫌そうな顔になった。


「そんな――。ね、悠馬?」

 そんな訳無いだろう。

 雅人は隣の悠馬へ視線を移す。


「――え? どうした?」

 振り向いた先には、必死に競歩の様に歩く悠馬の姿。

 ぎり歩いているのか、ぎり走っているのか、微妙なところ。


「ダメじゃん。北沢」

 呆然とした雅人の隣で唖然とする由紀。


「いやいや、伊藤。走っているからな?」

 由紀の言葉に悠馬は解せない顔を向けた。


「・・・・・・二人は知り合いなの?」

 二人の間にいる雅人はふと思う。

 由紀の言い方が初対面の人に対する言い方では無い。


「あー、そうだよ。伊藤は中学校が一緒なんだよ。まあ、一年くらいだけどな」

 ばれてしまったか。そんな顔で悠馬はめんどくさそうに言う。


「残念ながら・・・・・・」

 由紀は俯いて、過去を思い出している表情を浮かべた。


「それじゃあ、ま――倉石くん先行くね」

 数秒後、ひと息つくと由紀は落ち着いた眼差しを雅人に向けた。


 不思議と彼女と目が合う。

 澄んだその瞳。


「あ、うん」

 急に目が合ったせいか、雅人は咄嗟に頷いた。


 雅人の頷きに返事をする様に、小さな笑みを浮かべて由紀は先へと行ってしまう。


「なあ、悠馬」

「ん?」

 悠馬は歩いていた。必然的に雅人も歩く。


「伊藤さんって、中学時代モテてたんだろうね」

 女性らしい美人で綺麗な容姿。

 そんな由紀の姿に思わず、雅人は見とれた。


「んー、まあ、そうだな」

 記憶に無いのか、どこか曖昧な顔で悠馬は言う。


 そして、走る。

 しばらくすると、ようやく教員の姿が見えた。


「おおおっ・・・・・・。ようやくか」

 悠馬はゴールがわかると、途端に明るい笑みを浮かべる。

 教員の前で二人は徐々に減速し、ゆっくりと歩いて行った。


「お、お前らどうした?」

 呆然とした顔で教員は瞬きを繰り返す。


「「えっ?」」


 雅人たちも同じ様な顔で聞き返した。


 どうしたも何も、僕らのゴールはここであろうに。

 悠馬は息を切らしながらもそんな顔をしている。


「どうして立ち止まる? ここは折り返しだぞ?」


「・・・・・・」

 雅人は目を瞑り、呆然とする。


 折り返しと言うことは、また戻ると言うこと――か。

 雅人は大きくため息をついた。


「お、り、か、え、し・・・・・・?」

 悠馬は信じられない顔で一句一句を強調する。


「そうだ、初めから言っただろう」

 教員は呆れた顔を返す。


「そ、そんな・・・・・・」

 腰を抜かす様な仕草をして、悠馬は半歩下がった。


「と言うより、どうせ学校に帰るんだから、必然と戻るだろう?」

「まあ、それはそうですが・・・・・・。なら、歩いてもいいですか?」

 動揺した顔で悠馬は提案した。無論、却下だろうけど。


「・・・・・・北沢」

「はい」


「――走れ」

 覇気のある教員の声。沈黙が訪れた。


「あ、はい」

「・・・・・・倉石もな」


「はーい」

 雅人はやる気の無い返事を返した。

 しょうがない、走ろう。

 別に走ることは苦痛では無かった。

 しばらく歩いて走ってを繰り返す。


「もう・・・・・・駄目だ」

 スタート地点に辿り着く。

 悠馬はアスファルトの上でうつ伏せに倒れていた。


 息切れと言うより、疲労。

 雅人にはそんな風に見えた。


「お疲れ、悠馬」

「お前は・・・・・・疲れて無さそうだな」

「いやいや、もう疲れた。明日、筋肉痛かも」

 見た目には出てないが、ふくらはぎにある疲労感。久しぶりの感覚だ。

「俺たちは少し運動しないといけないかもな」


「――そうだね」

 僕はさておき悠馬、君が言うのか。

 雅人は少し唖然とした顔で頷いた。


「さて・・・・・・と。仕方ない、学校へ戻るか」

 身体を重たそうにゆっくりと起こし、悠馬は立ち上がる。


「そうだね、もう授業が終わっちゃう」


 気がつけば、授業を受けていたほとんどの生徒は学校へ戻っていた。

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