21話 応戦の準備
サンズラバーの街へ帰ってくる頃には、すでに朝日が高くなっていた。
レオンは門を抜けたところで呼吸を乱していた。何度も栄養を補給しながら走ってきたが、こんな長距離をアースの力で走り続けたことはない。尋常ではない疲労が体にのしかかっていた。
しかし、今は重大な使命を二つも背負っている。倒れるわけにはいかない。
レオンは、ターフ医院という建物を探して街路を走った。少し手間取ったがなんとか見つかり、勢いよく扉をノックした。白衣を着たターフが自ら扉を開けてくれる。
「早かったな。お前さんに備えて待っていたぞ」
「ありがとうございます。これで合ってますか?」
レオンは腰に縛っていた袋からヒマラを取り出す。ターフはその薬草をしばらく見つめた。
「問題ない。これですぐに飲み薬を煎じよう。君たちの泊まっている宿の厨房を借りることはできるかな」
「相談すれば、たぶん」
「よし、ではすぐに行く。入院患者の検診は終わったからな」
「あの、俺は一緒に行けません」
「ん? なぜだ?」
「もしかしたら、大変な事態になるかもしれないんです。それをギルドに伝えないといけなくて」
「どんな事態だ?」
「戦いが起きるかもしれないんです」
ターフの目つきが険しくなった。
「よくわからんが、何か知っているのならすぐギルドに報告しなさい。クロハさんはわしが責任をもって治してみせる」
「すみません、お願いします!」
ターフに頭を下げると、レオンはギルドへ向かって走り出した。もう足が限界に近い。それでも行くしかないのだ。
ギルド館内に駆け込むと、ミナモがすでに出勤していた。いつもの制服姿で、三つ編みの髪の毛を肩の前に垂らして。
「レオンさん! もうお帰りだったのですね」
「はい、無事に見つかって、ターフ先生に渡してきました」
「よかった……。でも、相当無理をしましたね? 顔が真っ青です」
「ずっと走っていたので」
「でも、なぜここに? あなたはクロハさんについているべきだと思いますよ」
「ゴローナ山で、竜族が集結しているのを見たんです」
レオンがいきなり切り出すと、ミナモの表情が固まった。
「竜族の将校みたいな奴が槍を掲げて、仲間に何か呼びかけてました。俺には言葉がわからなかったんですけど、あれはたぶん……」
「人間領への侵攻を再開する……と?」
「おそらく。その場合、真っ先にぶつかるのはこの街です」
ミナモは絶句していた。レオンはまっすぐ相手の瞳を見つめる。冗談を言っているわけではないと、これで伝わっているはずだ。
「ギ、ギルドマスターに相談すべき事案です。レオンさん、一緒に来ていただけますか?」
「わかりました」
ミナモはカウンターの内側にレオンを引き入れてくれた。早朝から出入りしている冒険者たちは、何事かとこちらを見ている。レオンは一切気にせず、ミナモのあとについていった。
カウンターの奥に事務室がある。そこは受付嬢のもう一つの仕事場で、さらに複数のドアが設置されている。書類と向き合っている受付嬢たちも、レオンを見て不思議そうな顔をする。ミナモは入って右手にあるドアをノックした。
「入れ」
「失礼いたします」
ミナモがドアを開ける。
「どうぞ、レオンさん」
レオンは頭を下げて中に入った。
正面の大きなデスクに、たっぷりヒゲをたくわえた体格のいい男が座っていた。見たところ五十を過ぎたくらい。すでに一線を引いたと聞いているが、放たれる眼光はいまだに圧力を感じる。
「君はレオン・ブラックス君だね。私はサンズラバーのギルドマスター、スターバーだ。直接話すのは初めてかな」
「はい、お話しするのは初めてです」
「受付嬢が冒険者をここに入れる時は火急の用件がある時のみ。さっそく話を聞かせてくれ」
「実は……」
レオンは、ゴローナ山で見てきたことをスターバーにも繰り返す。一度ミナモに説明しているのでよどみなく話すことができた。
「ふむ、それは確実に侵攻してくるであろうな」
スターバーは断言した。
「やっぱり、演習とかではない……?」
「敵対国の領内で演習をするか?」
「しない、と思います……」
「ゴローナ山の周辺は国の監視が行き届いていない。いささか地形はきついが、奇襲をかけるのにあの方向から入ってくるのは実に賢い選択と言える」
スターバーが立ち上がり、レオンの前に立った。ポン、と肩を叩かれる。
「よくぞ見つけてくれた。今からでもできる限りの手を打つ。君がいなければそれさえもままならなかった。感謝する」
「俺も戦います」
ギルドマスターの目をしっかり見返すと、相手は満足そうに笑った。
「最近、どんどん腕を上げているようだな。冒険者には出てもらうことになる。期待しているぞ」
「はい!」
「ミナモ、依頼書をすべて取り下げろ。冒険者たちにはしばらくこの街にとどまってもらう」
「承知しました」
「それと、すぐ市庁舎に伝令を送って可能な限り軍を動かせるよう要請を出せ」
ミナモは返事をして部屋を出ていった。
「軍は動けるんですか?」
「サンズラバーには人竜大戦に参加していない部隊がいくつか残っている。まあ、三十人規模の部隊が三つか四つくらいだが、いないよりはマシだ。そこに冒険者たちが加われば街を守る戦力にはなるはずだ」
スターバーはデスクの書類を何枚か見て、視線をレオンに戻した。
「クロハ・アップルズが帰還したそうだが、彼女は戦えそうか?」
「いえ……」
レオンはクロハの現状についても説明した。
「そうか、瘴気結石か……。彼女がいるといないではまるで違うのだが……今ある戦力だけで踏ん張るしかなかろう。相手の兵力が少ないことを祈るばかりだ」
月明かりしかなかったせいで、レオンには相手の兵力がどの程度なのか掴むことができなかった。
竜族はさらに細かく分類することができる。
言語を使わない大型竜、中型竜、小型竜。
言語を操る竜人。
竜族の領土は竜人によって治められており、言語を使わない竜は竜人のペットのような存在だ。あるいは野生生物。あるいは兵器。
Aランクの大型竜一匹を安定して倒すには、Aランク冒険者が五人以上いないと厳しいという目安がある。
竜人一人に対しても、並の冒険者なら三人以上いなければ危険とされる。
もしも敵軍の兵力が百を超えた場合、サンズラバーの戦力とほぼ同等になってしまう。人間側が圧倒的に不利。Sランク冒険者は一人でも百人相当の戦力と言われているだけに、クロハが戦えないのはあまりに苦しい。
「とにかく、君はクロハのところに戻るといい。必要なら宿に使いを送る。それまでしっかり体を休めたまえ」
「わかりました。よろしくお願いします」
レオンも一礼してギルドマスターの部屋を出た。
「おいミナモさん、ちゃんと説明してくれ」
広間ではやはり混乱が起きていた。依頼書がいきなり片づけられたのだ。冒険者は仕事に出られない。
「大規模なモンスターの群れが近づいている恐れがあります。皆さんにはここで待機していただき、襲撃があった場合は応戦していただきたいのです」
ミナモは、荒ぶっている冒険者たちを必死でなだめながら足止めを試みている。
「モンスターだけじゃわかんねえぞ!」
「あいつらにも種類がある。対策できない相手とは戦えない」
「ですから、まだ詳細が明らかになっていないので……」
「だったら慌てて依頼書片づけなくてもいいだろ? 隠すなよ」
「あうっ……!」
軽装鎧の冒険者が、ミナモの腕を強く掴んだ。
「お、落ち着いてください! 説明は、必ずしますから……!」
「気に入らねえ言い方だ。全部話せ!」
「やめろ!」
レオンは相手の腕を掴んでねじった。
「ぐあっ……」
「受付嬢への暴力行為は厳禁ですよ」
「じゃあ、お前が説明しやがれ! 一緒に中へ入ったんだ。なんか知ってんだろ!?」
「ドラゴンが来ます」
場が静まり返った。
「レ、レオンさん……!」
ミナモが取り乱したようにレオンのシャツを引っ張った。
「いずれわかることです」
「で、ですが」
「ドラゴンだと? 冒険者総出で戦えってことは、相当やばいドラゴンが来るってことか?」
「少なくとも、Sランクのドラゴンはいません。だからみんなで協力すれば倒せるはずです」
「信用していいのかな?」
以前話しかけてきた重騎士、カークスが割り込んできた。
「僕らはドラゴン専門じゃない。それにドラゴンはAランクでも危険な奴ばかりだ」
「わかってます。ドラゴンスレイヤー主導の防衛になるはずなので、危険な役目は引き受けるつもりです」
レオンの発言を笑う者はいなかった。
「君も言えるようになったな」
ふふっ、とカークスは面白そうに肩を揺らした。
「まあ、依頼書がなくなったら今日は何もできない。ここで待たせてもらうよ」
カークスはそれなりに発言力のある人間だ。彼が追及をやめると、冒険者たちはまたそれぞれに散らばっていった。
「レオンさん、ありがとうございました」
「ミナモさん、怪我してないですか?」
「ええ。ちょっとびっくりしちゃいましたけど」
荒っぽい性格の男性冒険者が多いとはいえ、みんな最低限の礼節は守ってきた。ミナモも、乱暴に腕を掴まれるのは初めての経験だっただろう。
「変わりましたね」
「何がです?」
「レオンさんが。あんなに堂々と言い返す姿、初めて見ました」
その言葉は、なんだかくすぐったく感じられた。
「冒険すると、人って変わるのかもしれません」
レオンの返事に、ミナモはくすくす笑った。
「あとはこちらで準備を進めます。レオンさんはクロハさんのところへ」
「そうですね」
レオンはギルドの建物を飛び出した。
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