19話 異変

 宿に帰ってくると、部屋に入った。相変わらずクロハの姿は見えない。レオンは食堂に行き、給仕のおばさんを探した。


「あのー」

「はいはい、なんでしょう」

「銀髪の女の人、今日は来ました?」

「ああ、そういえば見てないわねえ。いつも早起きなのに今日は一回も来てないはずよ」

「そうですか……。ありがとうございます」


 レオンは二階へ行き、クロハの部屋の前に立った。ドアの取っ手を動かしてみると、あっけなく開いた。朝会ったあと、鍵をかけ忘れたらしい。


「クロハ姉……」


 声をかけ、耳を澄ます。


「あ……はぁ、はぁ、っく……」


 あえぐような声が聞こえた。とても苦しそうな。


 ――ためらっちゃ駄目だ。


「クロハ姉、入らせてもらうよ」


 レオンは室内に入った。外はまだわずかに明るく、照明の位置がわかる。レオンはベッドの横にあるスタンドにアースを送り込んだ。橙色の炎が灯って室内が見えるようになる。


 クロハはローブ姿のままベッドに横になっていた。薄い毛布一枚をかけて、つらそうに口を開けたり閉じたりしている。苦しげな呼吸が漏れ、息はかすれている。


「クロハ姉、どうしたんだ!」

「レオ、ン……」


 まともな返事にならなかった。ただの風邪でこうはならないはずだ。


 ――医者を呼ばなきゃ。でも誰がいい?


 そこで思い出す。ミナモが、ギルドお抱えの医者を紹介してくれると言っていた。


「クロハ姉、ちょっと待ってて」


 レオンは部屋を飛び出した。全速力でミナモの家に向かう。複雑な街路を一気に駆け抜け、思っていたよりずっと早く目標の寝具店に到着できた。


「すみません、ミナモさんという人を呼んでほしいんですが!」


 一階にいた老婦人に声をかけると、すぐに応えてくれた。


「レオンさん? どうかされました?」


 昼間と同じ格好のまま、ミナモが階段を下りてきた。


「ミナモさん、クロハ姉の様子がおかしいんです。呼吸が荒くて、返事もまともにできないみたいで……」


 ミナモの目つきが一瞬で仕事をする時の目に変わった。


「急にそうなったのですか。何か兆候は?」

「なかったと思います。昨日の夜まではいつも通りでした」

「すると眠っているあいだに何かが悪化した可能性がありますね。すぐお医者様を手配します。確か〈野兎亭〉でしたね?」

「はい」

「そちらに向かっていただくよう伝えますので、レオンさんはクロハさんについていてあげてください」

「わかりました。せっかくの休日にすみません」

「お気になさらず。これも職員の務めです」


 レオンはまた疾走して〈野兎亭〉に戻った。

 クロハのベッドの横にイスを置き、大切な幼なじみの容態を確認する。

 クロハは相変わらず苦しそうに呼吸をし、たまにうわごとをつぶやく。何を言っているのかは聞き取れない。目も開けられないようで、レオンを見ることもなかった。


 ……どうしちまったんだ、クロハ姉。ゆうべまでなんともなかったのに。


 レオンはただ待つことしかできない。



 気が遠くなるような時間が経過した……気がする。

 外はもう真っ暗だった。室内には魔法石の照明だけが灯っている。

 ドタドタ音がして、ヒゲ面の男が入ってきた。黒いズボン、上着はシャツと白衣だ。


「わしは冒険者専門の医者で、ターフという者じゃ」

「待ってました。この人が大変なんです」

「うむ、ミナモさんから簡単に事情を聞いた。確認させてもらう」


 ターフは毛布をどかし、クロハの診察にかかった。遠慮なく胸元も開けて手で確認していく。レオンは顔を逸らした。その先にミナモの姿があった。


「ミナモさん、来てくれたんですか」

「クロハさんはギルドの英雄ですから。何かあったらと思うと心配で帰れませんでした」

「……ありがとうございます」

「むっ、これは……」


 ターフがつぶやいた。クロハのローブは完全にひらかれていて、ターフはクロハの左脇腹に手を当てていた。アースを使って触診しているのが、なんとなくわかる。


「これは……瘴気結石だ」

「え?」

「確かこの方は、人竜大戦に一年以上参加していたのだったな」

「そ、そうです」

「Sランクモンスターは常に瘴気という危険な毒を放っている。そやつらと戦い続けていると、体の中に毒素が蓄積する。運が悪いと固まって体の機能に悪影響を及ぼす」

「じゃあ、クロハ姉の体にそれができているんですか?」

「そうだ。おそらく、もうだいぶ大きくなっていたはずじゃ。それが昨日のガムテアム討伐の時に受けた瘴気で一気に肥大化した。ゆえに正常な意識が保てなくなっているのじゃ」


 ギリギリの状態を保っていたクロハの体。それが、昨日の戦いによって決壊してしまった。クロハはガムテアムにずっと接近戦を挑んでいた。瘴気に当てられ続けていたのだから、結石が影響を受けるのは必然だった。


「このままだと、どうなりますか」

「意識は回復するかもしれんが、寝たきりになる可能性がある」

「助ける方法は?」

「うむ……東のゴローナ山の山頂付近に、ヒマラという薬草が生えている。瘴気結石を取り除くにはその薬草を煎じたお湯を飲ませ続けるのが一番よい。わしはそれで、同じ症状の人間を五人ほど助けたことがある。今は手元にないがな……」

「ゴローナ山……竜族との国境近くですね」

「レオンさん、行かれるおつもりですか?」


 ミナモが不安そうな声で訊いてくる。


「行きます。クロハ姉を助けるためならなんだってやります」

「ですが、国境付近にはまだ竜族の残党がいるかもしれません。レオンさんは間違いなく腕を上げていますが、たくさんのドラゴンに囲まれたらどうしようもないでしょう」

「でも、このままじゃクロハ姉が助からない。俺は行きます。今すぐにでも」

「レオンさん……」

「どうしようもない底辺だった俺を、クロハ姉は変えてくれた。今、恩を返せないでいつ返せばいいんですか。無様に逃げ回ってでも薬草だけは必ず取ってきます」

「……そうですね。必ずしも戦う必要はありません。薬草を採ってくるのが最優先事項です」

「俺は冷静ですよ。心配しないでください」


 ミナモはうなずいた。


「ギルドを通さない行動になります。救援などは期待できませんが、それでも行かれるのですね」

「はい」

「わかりました。一応、本部にも報告はしておきます」

「よろしくお願いします」


 ターフはクロハの毛布をかけ直していた。


「帰ってきたらすぐにわしを呼べ。必ず助けてみせよう」


 レオンは頭を下げた。

 部屋に戻って剣を取り、服装を確認してから廊下に出る。ミナモとターフが立っていた。


「お気をつけて」

「行ってきます」


 レオンは覚悟を決め、国境へ向かって走り出した。

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