第17話 噂

 いつも通り早くに登校し、いつも通りに一人読書をして過ごし、いつも通りに教室に人が集まり始める。そう、いつも通り。ただ、一つを除いては。


 ──血の繋がってない、義理の姉弟なのよ。


 昨日の夕飯の後の言葉、はっきりと記憶に残っている言葉。その後はよく覚えてないが、それだけははっきりと覚えていた。義理の姉弟。義姉。義弟。それが意味するものは何か。

 朝、起きた時には姉さんは既に学校に行った後で、朝ご飯だけが机の上に準備されていた。

 姉さん、そう僕にとって姉さんはどこまでも『姉さん』でしかない。


「どうしたんだ? 心ここにあらず、って感じだけど」


 不意に目の前で手を振られ、はっと我に返る。見上げると、いま登校してきたらしい小林くんが不思議そうな顔をしてこちらを見ていた。


「あの……あのさ、例えばなんだけど、実の姉だと思ってた人に実は義理の姉だったって突然言われたら、どうする?」


「…………はぁ?」


 言われた小林くんは、間抜けな声を上げてぽかんとしていた。間抜けそうな表情でも絵になるのだから、それだけ美少年というのも凄い。数刻の後、ようやく我に帰ったらしい小林くんは自分の席へ座ると、鞄を乱雑に机上に置いて天井を眺める。


「透のお姉さんっていうとあれだよなぁ、噂の超美人。俺だったら血が繋がってないって聞いたら、結婚だって出来るかもって喜んじゃう……んだろうけど、ずっと一緒にいた当事者じゃそうはいかないもんな」


「……そう、だね。どうしたらいいのか、よく分からなくって」


 僕の方へと顔を向けた小林くんは最初こそおどけた表情を浮かべていたが、最終的には真面目なものに変わる。例えば、とは言ったものの事実として真剣に考えてくれているらしい。僕もそれを否定することはせずに、ただ苦笑いを浮かべる。


「うーん……結局は、今まで通りに過ごすしかないんじゃないか? 正直さ、義理の姉弟だからって何かが変わるわけじゃないだろ? 変に気にすることないって」


 その言葉と笑顔と共に、肩を数度軽く叩かれた。結局そうする他ないと心の内では分かっていても、それを第三者に言葉にしてもらえると自分の考えに自信がつく。

 あまり、僕は自分で何かを決めた経験がない。何か迷った時には、姉さんが僕の手を引いてくれた。進学先だってそうだ。そして、それに間違いはなかった。だからこそ、自分の考えに自信がなく、友人であれ、先生であれ、姉さんであれ、自分以外の誰かにそれを認めてもらわないと安心感を得ることが出来なかった。


「そっか……うん、そうだよね。それ以外にないもんね。ありがとう」


 ありがとう、その言葉の後に、本当は名前を続けたかった。ここ最近とはいえ僕に挨拶をしてくれ、たまに勉強を教えて、こうやって悩みを聞いてくれる。そんな小林くんの存在は、僕にとってなくてはならないものになった。だからこそ、彼の名前を知らない、或いは忘れてしまったことが酷く歯痒かった。

 今更、名前を聞くことなんて出来るわけない。せっかく出来たこの関係に、亀裂が入ってしまうのかもしれないのだから。


 急に、教室内がざわついた。ドアに視線を向けると、戸賀崎さんが登校してきた所だった。挨拶の言葉が飛び交うのはいつものことだが、周囲の雰囲気がいつもと少し違う。様子をうかがうような視線が多い。それに何故か、僕の方へと向けられる視線も多かった。交互に向けるものもいた。何が何だかよく分からなかった。


「あぁ……、そうそう」


 急に声を潜めて手招きをする小林くんの姿を見て、促されるままにその口元へと耳を寄せる。


「──戸賀崎と付き合ってるって噂、ホントか?」


「…………はぁ?」


 今度は僕が、間抜けな声を上げる番だった。

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