第8話 平凡な昼休み

 始業式の日から、更に数日が経った。


「なぁなぁ、さっきの数学全然分かんなかったんだけど、教えてくんない……?」


 あの日から、小林くんとはよく話すようになった。今も顔の前で両手を合わせ、懇願のポーズで僕の顔色を窺っている。


「うん、いいよ。ここはね……」


 まだ、単なるクラスメイトというだけ。けれど、自然と周りと距離を作っていた僕にとって、こんな風に気軽に話せる存在は初めて出来たものだった。

 あまり深入りしてはいけない、それは分かっている。親しくなればなるほど、リスクは上がる。無論、親しい友人であれば、話して理解を得ることも出来るのかもしれないが、そこまで他人を信用することは出来ない。両親を殺されたこともあり、根本的には人間不信のようなものが存在しているのだろう。

 誰かと、こんな風に話すことには喜びを覚える。けれど、心を許してはいけないのだ。平穏な学校生活を送るためには、人間関係を極力狭くすることが重要なのだから。


「なぁ、三嶋は昼飯どうする? 俺は学食行くんだけど」


「ごめん、僕はお弁当があるから」


 何故、そんな風に突然僕を構うようになったのか分からない。恐らくは、ただの気まぐれなのだろう。深くは関わらない、故にこういった誘いは断るようにしている。波風を立てないよう、申し訳なさそうな表情を作りながら。

 小林くんは僕の返答を聞くと、いつも一緒にいる仲の良い友人たちと共に学食へと向かった。

 ああいったものに、正直憧れはある。高校生らしい生活を送りたくなる。それこそ、彼女だって出来たら嬉しい。けれど、それは現状どれも叶わないものたち。


「三嶋くんもお弁当なんだー? 一緒に食べる? あ、屋上は無しね」


 不意に戸賀崎さんの声が聞こえた。

 顔を上げるといつの間に近づいたのか、人懐っこい笑みを浮かべ、可愛らしいピンク色の包みを片手に持っていた。

 またしても、昼食のお誘いらしい。


 先日と同様、僕のような日陰者にアイドルたる戸賀崎さんが声を掛ける様子に、クラスメイト達から好奇とやっかみの視線を向けられる。


「あー……えっと……」


「いいよね? じゃ、ここにお邪魔しまして……」


 返答に困っていると戸賀崎さんは勝手に決めつけ、空いている小林君の席に座ると僕の方を向いて机の上にお弁当の包みを広げた。

 彩りも良く、バランスよくおかずが配置された弁当。それこそお金持ちらしい要素は無い、平凡なものだ。

 ここまできたら追い返すことも出来ずに、小さな溜め息を零して自身の弁当箱を開け──直ぐに閉めた。


「どしたの?」


 戸賀崎さんはそんな僕の様子を見て、可愛らしく小首を傾げ、閉じられた弁当箱をじっと見つめる。


「えっと、これは姉さんが作ってて……その、なんていうか、姉さんは感情表現が極端で……」


「ええい! まどろっこしー!」


「あっ……!」


 勢いよく伸ばされた手に咄嗟に抵抗も出来ず、いとも簡単に僕の弁当箱は取り上げられてしまった。玩具を目の前にした子供のようにキラキラと目を輝かせて戸賀崎さんはまるで宝箱のように開け、その中を見るなり天真爛漫な笑顔を意地の悪いものへと変える。


「ふーん、可愛いお姉さんだねぇ?」


 これでもかというばかりに眼前に突きつけられるお弁当箱。好物のアスパラのベーコン巻きを始めとした彩りのあるおかずは寧ろ好ましいものではあるが、問題はその横にある白米だった。


 ──そう、桜でんぶで綺麗なハートマークが描かれていたのである。


 にまにまと笑みを浮かべる戸賀崎さんに対して、僕はひたすらに苦笑いを返すことしか出来なかった。


「いいねぇいいねぇ、三嶋くんのおねーさんってあの人でしょ? 他所の学校だけど美人で性格も良いって評判だよ」


 姉さんはこちらの学校で言うところの戸賀崎さんのような立ち位置らしい。学園のアイドル、とでもいうのだろうか。大和撫子を体現したような見た目、それに見合った誰にでも優しい性格、しかしそれとは裏腹に脅威的な身体能力を持っている。握力なんて、測定機器の針が振り切れたというのだから驚きだ。下手したらりんごを片手で握りつぶすくらい容易に出来るのではないだろうか。

 いや、さすがに女性に対する評価ではないか。


 弁当の中身を冷やかされながら昼食の時間は過ぎていった。正直、避けたかった状況ではある。学年、いや、学校一の美少女と一緒に昼食を食べたというのは、否応なしに注目を集める。

 何をもって、戸賀崎さんが僕に接近してきたのかはまるで分からない。接点といえば、学校の屋上と家の前での二回だけだ。それも、どちらも平凡な出会い。


「……戸賀崎さんは、何で僕なんかとご飯を?」


「『なんか』なんて卑下は良くないよー? 何となく気になっただけ。それにさ、どうでもいい人達・・・・・・・・とずっと一緒なのも疲れるんだよね」


 言葉の後半は声を潜め、苦笑いと共に言った。そうだ、常にあんな風に大勢に囲まれていて、疲れないはずがない。当たり前のことだけれど、戸賀崎さんも自分と同じ人間なんだと知り、僅かに安堵めいたものを覚える。


「ごちそうさまでしたー。んじゃ、そろそろおいとましよっかな?」


 昼休みも中頃、互いにお昼を食べ終わると同時に戸賀崎さんが言った。僕もこれ以上の注目を浴びたくはなかったから、ちょうど良かった。


「ねぇ」


 椅子から立ち上がった戸賀崎さんが、僕に視線を向ける。ちょうど逆光になっていて、その表情は分からない。


「偶然も三度続くと必然って言うでしょ? それって信じる?」


 よく分からない問い掛けだった。確かによく聞くフレーズではある。


「どうだろ、三回くらいなら有り得るような気がするかも」


「ふぅん、そっか」


 僕の返答にあまり抑揚なく反応すると、戸賀崎さんは、彼女を待っていただろう輪の中に入っていった。恐らく僕と昼食を共にしたことを根掘り葉掘り聞かれるのだろうが、それはそれ、戸賀崎さんの問題だ。幸い、僕の元には誰も来ない。腹が満たされた事で眠気に襲われ、大きな欠伸を漏らし、机に突っ伏す。

 そうして、闇に覆われる視界。何故か、戸賀崎さんの笑顔がそこに投影された。決して恋をしているわけではない。


 けれど、何故かその笑みが脳裏に強く焼き付いていた。

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