第8話

 部屋に戻るとアンが起きていた。アンは使っていた布団を片付けているところだった。

「おはようございます、お嬢様」

 昨日に比べると顔色も良く、体調はもう大丈夫そうだった。

「昨日はご迷惑をかけてしまい申し訳ございません」

 しゅんとした様子で謝るアンにカルラは笑って「大丈夫よ」と答えた。カルラが許したからか、アンは少しだけ顔を明るくした。

「こんな朝早くにどこに行ってたんですか?」

 アンは手にシーツを持ちながらカルラの近くにやってきた。アンはカルラの近くに来ることでカルラの手にマグカップが握られていることに気がついた。

「あ!飲み物をいただいてきたんですね。それなら私のことを起こしてくださればよかったのに」

「あぁ、うん。……そう、ちょっと喉が渇いちゃったね。アンもぐっすり眠ってたから起こすのが忍びなくて」

「昨日たくさん迷惑かけてしまった分、できることはなんでもしたいんです」

「いいのよ、本当に。全部アンに任せてたらアンが大変でしょう」

「そんなことありません!お嬢様のお役に立てるのなら、どんな大変なことでもやり遂げでみせます!」

 胸を張って意気込むアンに苦笑しながら手に持っていたマグカップを部屋に備え付けられた机に置く。

「それよりも、もう体調は大丈夫?」

「はい!この通り、元気いっぱいです!」

 そう言って元気に笑う。カルラは優しく微笑んで「よかった」と返した。

 それからカルラは身支度を整え、アンは部屋の整理を行なった。貴族のお嬢様なら身支度を使用人にしてもらうことの方が多いだろうけど、カルラはどうしても必要な時以外は自分の身の回りのことは全部自分自身で行なっていた。カルラは誰かに世話を焼かれるよりも世話を焼きたい性分なのだ。

 準備をしていると昇ったばかりだった太陽も徐々に高度を上げていった。

 カルラとアンは支度を終えて家の外へと出る。するともう出発の準備が整っているのか、集落の入り口に昨日使用した馬車が用意されていた。

 馬車の近くではヨハンが御者と集落の人と一緒に何かを話し合っていた。またそこから少し離れたところではヨハンの従者であるシェイドが集落の人から食べ物らしきものを受け取っているところだった。

「おはようございます」

 アンが率先してその集団に声をかける。その声に一番に反応したのはシェイドだった。

「ああ、おはよう。朝食は首都に向かいながら食べることになったから、そのつもりで」

 シェイドは必要なことだけを伝えると住民から受け取ったものをそれぞれの馬車へと持っていった。それを見たアンが「私も手伝います!」とシェイドの後に続いた。一人残されたカルラはどうしようかと立ち尽くしていたが、話を終えたヨハンがカルラに近づいてきた。

「さっきぶりですね」

 住民に見せていたのと同じ柔らかい笑顔でカルラに話しかけてくる。

「どうも」

 目線を合わせないようにしながら会釈する。つれない態度を取るカルラにヨハンは怒ることなく、苦笑いを浮かべる。

「今日は道中にあるユリシアナ村という村を目指そうと思ってます。ユリシアナ村はご存知ですか?」

「たしか、ウォーカー領から少し行ったところにそんな名前の村があった気がします」

「ご存知でしたか。場所はカルラ嬢が言ったところでおおよそあっています。先ほど、ここの人たちから今の時期はユリシアナ村で小規模の祭りが開かれていると教えていただきました。せっかくですので、少し立ち寄って祭りに参加してみませんか?」

 ユリシアナ村は小さな農村だ。季節毎に育てる作物を変え、農作物で生計を立てている村だ。

 ウォーカー領地外のその村をカルラが知っていたのは、ユリシアナ村が季節の変わり目に豊作を願った祭りを開くことで有名だったからだ。冬の訪れを感じるこの時期にも祭りを行っていてもおかしくはないだろう。

「先を急いでるんじゃないですか?」

「多少の寄り道くらいは大丈夫ですよ」

 仏頂面で指摘すると笑顔でそう返された。カルラは小さくため息を吐いて「好きにしてください」と答えた。ヨハンと話しているだけで疲れが溜まりそうだった。

 カルラはヨハンを置いて馬車に向かった。どうせ今日一日もヨハンとずっと一緒なのだから、せめて出発までは近くにいたくなかった。

 ヨハンはカルラが立ち去るのを引き止めることもせずに、遠ざかる背中を少し寂し気に見つめる。そこにいつもの飄々とした笑みは見られなかった。

「振られてんじゃん」

 立ち尽くしているヨハンのところにシェイドがふらりとやってきた。シェイドの言葉にヨハンは一瞬表情を失くすが、すぐにいつもの笑みを見せる。

「なんのことですか?」

「おー、こわ……」

 ヨハンの笑顔から何もいうなという圧力を受け取ったシェイドは揶揄うタイミングを間違えたことを悟った。シェイドはヨハンの態度に肩をすくめて苦笑いを浮かべる。

「まぁ、気長にやれよ。それと、そろそろ出発だからな」

 ヨハンの肩を軽く叩きながらシェイドはヨハンのそばを離れていく。どうやらシェイドはヨハンを揶揄うためだけに近くにきたようだ。

 ヨハンは変わらず笑みを浮かべたまましばらくその場に立ち尽くした。そして、ふっと息を吐く。ヨハンは手で顔を覆い、背中を丸めて少しでも周りから顔を見られないようにする。

「あー……ダメですね。シェイドに揶揄われたくらいで気を取り乱すなんて」

 ヨハンの独り言は誰かに聞かれることはなかった。ヨハンは手の下で今までの柔らかい雰囲気から一変、鋭い視線を見せる。まるで蛇が蛙を睨むような鋭さだった。

 しかし、その表情も一瞬だった後には消えており、いつもの胡散臭い笑顔に戻る。そしてヨハンは笑顔のまま出発の準備を進めるみんなの元へと向かった。


***


 準備を終え、小さな集落の住民たちに感謝の意を伝えてからカルラたちは出発した。結局出発した時にはお昼近くになってしまい、朝食用にともらったレタスとベーコンのサンドウィッチを昼食で食べることになった。シャキシャキと新鮮なレタスに塩っ気のあるベーコンとパンの甘みがいい塩梅だった。

 カルラはもらったご飯を咀嚼しながら、一日目と同様に窓の外をぼんやりと見つめる。外の風景は特に変わり映えもない。見応えのあるものがあるわけではないが、ヨハンと顔を突き合わせているのも嫌だったため、仕方なく窓の外を見ている状態だった。

 カルラは外を眺めながらリーンのことに思いを馳せる。カルラはヨハンのことについては何も分からないが、妹のリーンのことならある程度知っているつもりだった。

 リーンは心変わりの激しい一面もあるが、一度心にこうだと強く決めると誰がなんと言っても引かない頑固な一面もあった。加えて、リーンは彼女自身が嫌だと思ったことは絶対にやらなかった。

 彼女なりに芯を持っているのだといえば聞こえは良かったが、今回のことのように周囲を振り回すことも多々あり、一概に美徳と捉えるには難しいところであった。

 リーンはずっと両親の在り方に強い憧れに近い気持ちを持っていた。そのため、巷で流行っている一途に想い合う恋愛小説を好み、将来は絶対に恋愛結婚をするのだと常日頃から言っていたほどだった。

 そんなリーンが数ヶ月前のある日、とある男性に婚約を持ちかけ承諾の意を貰った、と夕食中に打ち明けた時にはミアも含めてみんな驚いた。あまりに突然なことに急遽、家族会議が開かれたほどだった。

 話し合っていくうちにリーンの相手が貴族として力のあるジェームズ家の嫡男だとわかった時、レオナルドは喜べばいいのか相談をしなかったリーンの軽率さを怒ればいいのかわからなくなっていた。その時カルラはまた大変なことをしてくれたなと思いながらも、妹が自分で見つけてきた相手なのだからと安心する気持ちもあった。

 それなのに蓋を開けてみればどうだ。リーンは自分から婚約を持ちかけたと言いながら実際は他に好きな人がいると言いだし、ヨハンもリーンに対して恋愛感情は無いと言うではないか。二人の間に何もないのなら、いったいなぜこの婚約は結ばれたというのか。

 ある程度わかっているつもりだったリーンのことも、今回の件であくまでわかっているつもりだったのだと思い知らされた気分だった。

 ヨハンもヨハンでリーンの本当の気持ちを知っていたのかどうかすら答えてくれなかった。ただ、執拗にこの結婚を成立させることだけを考えているようで、何を聞いてもはぐらかされる。

 考えれば考えるほど頭が痛くなる話だった。カルラは痛みを覚える頭に意識を向けないようにしながら目を瞑る。

 嘘だらけの結婚の果てに、一体どんな幸せがあるというのだろうか。

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