第5話
「私たちも、花嫁に逃げられて予定していた式が挙げられなかったなんてことになったら、帰った時に周りから笑われてしまいますからね」
話がまとまったことでヨハンは元の場所に座り、立ち尽くしていたルイスもおずおずと着席した。しかしこの場で唯一納得していない人物がいた。それはカルラだった。カルラは自身が結婚相手にさせられたことと同じくらいヨハンの言ったことが引っ掛かった。
ヨハンはウォーカー家との縁を結びたくてこの縁談を進め、結婚相手は誰でも良いと言った。カルラはリーンとヨハンが互いに想い合っているからこの縁談はいいところに落ち着いたのだと思っている。
なのにリーンもヨハンもどちらもお互いを想っていなかったのだ。カルラはそんな二人の言い分に何を信じれば良いのかわからなかった。せめてどちらかだけでも想いがあれば何か違ったかもしれないのに。
「つまり、この結婚は初めから政略結婚だったってこと……」
レオナルドとヨハンを睨む。親や客人に対する礼を欠いているが今はそんなこと気にしている余裕はなかった。
「貴族間の結婚のほとんどは政略結婚だよ、カルラ嬢」
カルラの小さく呟いた言葉を拾ったヨハンが微笑みながら答えた。薄く目を細めて笑う様はカルラの甘い考えを嘲笑っているようだった。
カルラだって政略結婚を否定しているわけではない。ヨハンの言う通り、貴族はお互いの利益のために結婚を手段として使う。恋愛結婚なんて庶民の話か本の中の話だ。
だけど、貴族の世界でも恋愛結婚が全くないわけではないのだ。カルラはそれを知っていた。なぜならカルラの両親がそのいい例だったからだ。ウォーカー家の長女であったミアの元にレオナルドが求婚して嫁いできたのだ。レオナルドはこうみえて心の底からミアを愛していることをカルラは知っていた。
兄であるルイスは次期投手としての務めがあるから場合によっては利益のための結婚をとることがあるかもしれない。だから、せめて妹だけでも自由な将来を歩んでほしいと、心の奥で考えていた。
それなのに、と目を伏せる。
「カルラ?大丈夫か?」
ルイスが黙ってしまったカルラを心配そうに見つめる。兄の心配が手に取るようにわかり、カルラは疲れたように笑って応えた。
深呼吸をして意識を切り替える。妹のことも大事だが、これは自分の将来にも関わることだ。レオナルドとヨハンはカルラを嫁にすることに合意しているが、カルラはまだ一ミリだって認めていない。なんとしてでもこの結婚を阻止しなければと心の中で意気込む。
「ヨハン様の仰ることは私も理解しています。ですが、私は貴方と結婚する気はありません!」
「カルラ!」
薄笑いを浮かべるヨハンをきつく睨みながら自分の意見を伝える。レオナルドが非難するようにカルラの名前を呼ぶが取り合う暇はなかった。
「それは、私とウォーカー家の婚姻を認めないということですか?」
「いいえ。兄も言った通り、これはリーンとヨハン様の結婚であり、少なくとも本人がいないのにかで今相手を変えるなんてリーンにも失礼だと思います。そうは思いませんか?」
「逃げ出したのは彼女のほうが先ですが、それでも彼女の意見を聞くべきだというのですか?」
「ええ。とっ捕まえてでもリーンの言い分を聞くべきだと思います。それが筋ってものだと思います」
「なるほど……」
カルラの考えを咀嚼するように舌の上で転がす。ヨハンは顎に手を当てて考え込む。次にどんな言葉が返ってくるのか、カルラはじっと待った。レオナルドとルイスは二人のやりとりを緊張した面持ちで見守っていた。
「わかりました。ならばこうしましょう」
しばらくして考えが纏まったのか、ヨハンが顔を上げる。
「実を言いますと、私たちの要件も今日の結婚式のことだったのです。お恥ずかしい話、実は、家の方で問題が起きたようでそれを確認するために今すぐ首都に戻る必要があるのです」
困ったように笑いながらヨハンは説明する。ヨハンの言葉にミアとヨハンの従者を除いた一同が困惑の顔を浮かべる。ヨハンの言葉通りなら、ヨハン達は今日ここで結婚式を挙げている時間がないことになる。
「なので、私たちはこの結婚式の延期をお願いしに来たのです。そしてこの結婚式を今度は首都にある私たちの家で行うことを希望しております。……時間をかけて準備をしてくださったウォーカー家の皆様には本当に申し訳ないと思うのですが」
「そ、それは、構わないのだが……」
突然のヨハンの要求にレオナルドは頭がついていかない様子で呟く。ヨハンは人の安心したような笑みを見せる。
「ご理解いただけて何よりです。……それで、私たちが首都に戻り、式の準備を終えるまでの間にリーン令嬢が見つかれば、私とリーン令嬢とが話し合う機会を作りましょう。いかがですか?」
「リーンが見つからなければ?」
カルラが聞くとヨハンはニコリと笑った。
「その時はカルラ嬢との結婚を進めます」
ヨハンの笑顔に寒気を覚えた。無害そうなその笑顔は、陰で獲物に狙いを定めている蛇のようであった。カルラにはヨハンがどうしてこれほどまでにウォーカー家との婚姻に固執するのか分からなかった。ウォーカー家は正直ヨハンからすれば底辺とも言える家柄で、縁を結んだからといって何か得があるとは思えなかった。
ヨハンの言葉に嘘はないように見えるが、カルラにはその言葉を言葉通りに受け取ることは難しかった。
「これでいかがですか、カルラ嬢」
つい考えを飛ばしていた意識をヨハンに戻す。リーンが姿をくらましてしまった以上、ヨハンの提案が一番の妥協案なのはわかっている。それでも本当ならばリーンが見つかるまで全ての返答を保留にしたい気分だった。
「カルラ……」
レオナルドもルイスもカルラの返事を待っていた。カルラまで暴走するのではないかと恐る恐るカルラの様子を窺っている。カルラはそれらの視線を断ち切るように首を振ると、眉間に皺を作りながら深いため息を吐いた。
結婚なんて面倒くさいことはごめんだと思っている。いうなれば、ここまで否を突きつけるのはカルラの意地だった。だけど、ヨハンから妥協案が提示された今、それでも意地を通せばそれはただの子供の駄々と同じなのではないだろうか。
「あーもう!わかりました!わかりましたよ……!その代わり!父さん達は一刻も早くリーンの行方を見つけてください。そしてヨハン様、貴方はリーンが見つかれば必ず二人で話し合って、くれぐれも私を巻き込まないようにしてくださいね!」
投げ捨てるように言った後、カルラはレオナルドの方を見て「これで満足か」と目線だけで伝える。レオナルドはカルラの背後に何かを見たのか冷や汗を浮かべながら首を縦に振っていた。
「話が纏まったようで何よりです」
空気を変えるようにヨハンが明るい声で言う。
「それでは、私たちも首都に戻る準備をする必要があるためここで失礼しますね。あぁ、そうだ。カルラ嬢も私たちと一緒に首都に向かってもらいたいので、ご準備をお願いしますね」
最後に爆弾を落としたヨハンは、その言葉に唖然としているカルラに笑いかけ従者ともに部屋を出ていった。何も言うことができなかったカルラは両手を強く握り、怒りの矛先をレオナルドに向けるようにきっと睨みつけた。相変わらずレオナルドは実の娘に怯えるかのように震え、額には大粒の汗がいくつも流れていた。
「父さん、私からもう一つ条件があります」
「な、なんだ」
「か、カルラ、落ち着け、な?」
「兄さん、私は十分落ち着いているわ」
ルイスが勇気を振り絞ってカルラに話しかけるが、今度はルイスにも何か見えたのかレオナルドと同様に冷や汗を浮かべ始めた。それでもカルラを宥めようと試みるがカルラは取り付く島も見せない。
「私からの条件は、あの人との結婚が決まろうと決まるまいと、私が一人暮らしをする許可をください」
もしも本当に結婚したらどうするのかと聞かれれば決まっている。頃合いを見て離婚するだけだ。バツイチになろうがなんだろうか知ったことか。周りがカルラの意思を無視するのならばカルラも好き勝手振る舞うだけだ。
「一人って……カルラ、お前まだそんなことを考えていたのか」
「い、い、で、す、よ、ね?」
極力優しく見えるように笑うカルラの圧に冗談ではないと悟ったのか、レオナルドは慌てて首を縦に振る。それを見たカルラは笑みをさらに深くした。
ずっと一人暮らしを反対していた父の言質を取ることはできた。あとはリーンを見つけてこの結婚問題を解決すればいい。
年頃の令嬢とは思えない笑い声を上げながらカルラは現実逃避をするように遠くを見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます