第一章
第2話
寝巻き姿から普段着に着替えるとカルラは急いで父がいるはずの書斎へと走った。今日ばかりは廊下を走っていても誰もカルラを注意しなかった。
「父さん!リーンが居なくなったって本当ですか!?」
慌てていたためノックすることも忘れて書斎の扉を勢いよく開ける。扉を開けると一番奥の机に父であるレオナルド・ウォーカーが座っていた。そしてその机の手前に配置されている、普段であれば客人が使うソファに母であるミア・ウォーカーと兄であるルイス・ウォーカーが対面するように座っていた。
「あらあら、ノックを忘れているわよ、カルラ」
ミアはリーンのようにクルクルとカールした髪を揺らしながら少しズレた指摘をしてくる。今はそれどころじゃないでしょうと言わんばかりの表情でルイスが母を見ていた。
奥に座っていたレオナルドは昨晩のカルラのように頭を抱えていた。
「カルラ、お前、リーンの居場所を知ってるんじゃないのか?」
頭を抱え込んでカルラが来たことにも気づいていない様子のレオナルドの代わりに、短く鳥の巣のようにくるくるの頭をしたルイスがカルラに詰め寄る。家族の中で唯一そばかすを散らした顔をカルラに近づける。
カルラは兄の言葉を否定するように首を横に振る。するとルイスも困り果てたように顔を歪めた。
「あいつ……今日がどれだけ大事な日か分かっているだろうに。一体どこに消えたんだよ」
ルイスは早々に匙を投げたようでソファにだらしなくもたれかかる。ルイスは兄妹の中で一番の年長であることもあり、リーンだけでなくカルラにも振り回されて育った生粋の苦労人だ。そのため、匙を投げるも人一倍早かった。
ミアはそもそも事の重大さを理解していないのか「紅茶でも淹れましょうか」などと呑気なことを言っていた。もちろんその言葉に付き合えるほど余裕のある人間はこの場にいなかった。
「リーンの居場所は分からないけれど、昨晩のリーンの様子がおかしかったのは知ってます」
「その情報を詳しく話しなさい」
カルラがルイスの横に腰をかけながらそう言うと、ようやく父であるレオナルドは顔を上げて言葉を発した。カルラはレオナルドの言葉に促されるように昨日の夜更けのことを伝えた。
「何故、その時点で相談に来なかったんだ……!」
カルラが事情を説明し終わるとレオナルドは両手を強く握りながら項垂れた。ルイスもリーンの気まぐれとも言えなくない様子に絶句していた。
「だって!まさか家出するなんて思わないでしょう!?そこまで考えなしだとは思わなかったんですよ!」
夜更けで判断が鈍っていたことは否定できないが、いくら自由奔放に育ったリーンといえど結婚式をすっぽかすとはカルラにも予想ができなかったのだ。
「どうするんですか、父上」
ルイスがソファにもたれかかるのを止めて体を起こしレオナルドに向き直る。本の数分のうちにミア以外の三人は一生分とも言える疲労を感じ始めていた。
ルイスが現状を打破する策をレオナルドに尋ねるが、結婚式が目前に迫っている今、リーンを見つけ出すか相手方に平謝りをして結婚式を延期する他道はないだろう。前者は絶望的で、後者は最悪一族の信頼を失う可能性がある。もっといえば、それだけでは済まない場合もあるかもしれない。
カルラは何がなんでも止めなかった昨晩の自分を恨みたくなった。どうして朝まで大丈夫だと思ってしまったのだろうか。レオナルドの言う通り、すぐにでも引っ張ってでも父の元に連れて行けばよかった。
「どうするも何もないだろう。もう花婿は支度を始め、親族の方も到着済みだ。リーンを見つけることが絶望的な今、できることは限られている」
遠くを見つめ、とうとうレオナルドまでもが匙を投げるように投げやり気味に言う。
「事情を説明して、結婚式を延期してもらうしかないってことですね……」
「それ以外にできることもないだろう」
ルイスもレオナルドと同じように遠くを見つめ現実逃避するかのように考えることをやめる。カルラも他の代案が思い浮かばず、ルイスの提案に小さく頷くしかなかった。ミアだけはやはり一人のほほんとしており、「皆さんが集まるのならやっぱり紅茶を淹れましょうか」などと的外れなことを言っていた。
「事情を話して納得してもらえるでしょうか……?」
「それはやってみないと分からんだろうな」
レオナルドの口調は暗く、まるで期待していないことは火を見るよりも明らかだった。それを聞いていたカルラもこれだけ準備が進んでしまった結婚式を延期するなど難しいだろうなと思った。
結婚相手やその家族と直接話したことはないし、姿も遠目から見ただけだがいかにもお堅そうな家柄だと感じた記憶がある。あのような典型的な貴族様の一族はプライドが高い傾向にある。花嫁に逃げられたなんて知られたら何を言い出すかわかったものじゃない。
「最後の手段として」
重い沈黙を破るようにレオナルドが口を開く。その声に三人はレオナルドの方を向く。レオナルドはカルラをじっと見つめてさらに言葉を重ねる。
「カルラ、お前が花嫁になりなさい」
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