第6話 軍師、任地に入る

「見えてきたな」

「はい、アキト様。とても美しい景色ですね」


 アキトとリーン、そしてゴーレムは街道を超え、アルシュタート州を見渡せる丘へと来ていた。


 北と南に延々と続く白い砂浜。そして美しいマリンブルーの海とサンゴ礁。


 まさに絶景と言うべき景色が、アキト達の目の前に広がっていた。


 スライムであるリーンも美しいと同じ感情を抱いた……人間とそう変わらない美的感覚を持つことに、アキトは感動した。


 だが、すぐに現実に戻される。少し視線を落とすと、そこには廃墟や荒された田畑、戦争で傷ついた人里が眼下に広がっていた。


「アルシュタートの首都、アルシュタットは……あそこだな」


 アキトが視線を向けた先には、半壊した城壁、それに囲まれたオレンジ色の屋根の家々があった。

 その沿岸から少し離れたところに大きな島があり、その周りをいくつかの小島が囲んでいる。 


 この大きな島はアルス島と呼ばれ、帝国の建国神話の舞台でもある。


 最初に水が湧き出した場所とも伝えられ、その水は体を癒す力があると言い伝えられている。実際にこの島の中央に小高い丘があって、そこから綺麗な水が湧き出る湖があるということだ。


 湖から流れる水は、川となって海に注がれている。島と大陸沿岸の間は、潟湖になっているようだ。


「リーン、ベンケー、あの街が見えるか?」


 アキトはそう言って、アルシュタットを指さす。


「あの家が密集しているとこですね」


 リーンは言葉で、ベンケーと呼ばれたゴーレムは腕で胸を叩いて答えた。


 フェンデル村で召喚したゴーレムを、アキトはベンケーと名付けた。

 ベンケーというのは、アキトの出身地ヤシマに伝わる神話上の偉人。ヤシマでは、大柄な男に育つよう願ってよく付けられる名だ。


「よしよし、じゃあ出発しようか」

「はい!」


 アキトの声に、リーンとベンケーは元気良く応じた。


 アキト達はアルシュタットまで街道を下っていく。


 さすがに都市の近くになったので、野草や木の実を運んでいる者が街道に現れる。


 だが、皆農具もなければ馬も手押し車も持っていない。とても農業のできる環境ではないのだろう、とアキトは道行く人達を見て思った。


〜〜〜〜


 アルシュタットの城門には扉すらなく、城壁は穴だらけでその役割を全く果たしていない。城壁の白い漆喰が剥がれたところからは、レンガや石材がところどころ顔を出している。


 城門をくぐると、中はさらに悲惨だった。道端で眠る者、どう見ても売れないガラクタで商売をする者。滅ぼされた付近の町や村から逃れてきた人々であった。


 小道のいくつかの建物は廃墟と化している。


 アキト達は、ボロボロの大公旗が翻っている場所を目指す。その下に大公のいる屋敷があるはずだと。


 道中でアキトが気になったのは、町を守る兵士である。


 正門を守る兵士は帝国軍の兵ではなかった。鎧に彫られた白竜の紋章からするに、大公の衛兵だろうとアキトは考えた。訓練が行き届いているのか、皆真面目に見張りをしている。魔物を警戒しているのか、ベンケーをじろじろと見ていた。


 だが、一州都を守る衛兵としては、あまりに数が少ない。


 一方で、市街に多くいる武装した者達にも気が付く。


 彼らは皆、自前で調達したような鎧と武器で、冒険者や山賊とそう変わらない装備である。昼間から酒を飲んでいて、この兵士達からはやる気とか義務感を感じられない。


 彼らは傭兵だと、アキトはすぐに理解した。


 帝国軍が駐屯してない以上、領主は自分の領地で兵を用意しなければならない。


 そこで傭兵で数合わせをするという選択に至るのは、何も珍しい事ではなかった。


「皆さん、何か疲れているようですね」

「ああ、ここは帝都と違って何年も戦争に悩まされているからな」


 アキトはリーンにそう答えた。

 とはいえ南山脈の戦線が停滞している今、ここはもっと悲惨な目に可能性が高い。


 そうしている内に、アキトはアルシュタート大公の屋敷に着いた。


「……これが屋敷?」


 アキトは思わずそう漏らした。白竜の描かれた大公旗の下には、庶民の家と言って差し支えない建物があった。


 これは間違えたかもしれない。だが、大公旗の下でないなら、屋敷はどこだろうか。


 アキトはとにかく、この住居の人間に屋敷の場所を訊ねることにした。


 ごんごんと住居のドアを叩くが、反応はない。


 だが、もう一度叩こうかと思った瞬間、ドアがギイっという音を立てて開いた。


「すいません、お訊ねしたいのですが……っ! 大丈夫ですか?!」


 ドアが開いた瞬間、老齢の男性がばたりと倒れる。

 すぐにアキトはその白髪の男性を受け止めようとするが……リーンが体を広げ、男性を布団のように受け止める。


「リーン、悪いな」

「いえいえ、こんなことでしかリーンはお役に立てませんから」

「どなたかいらっしゃいませんか?!」


 アキトは家の中へ声を掛けるが、一向に返事がない。


「アキト様、とりあえずこの男性をベッドへ運びますね」

「ああ、頼むよリーン。ベンケー、しばらく外で見張りを頼むぞ」


 家には質素な家具が置かれている。やはり、大公の屋敷とは思えない。


「アキト様、どうやらあちらが寝室のようです」

「お、そうか。すぐ寝かせてあげてくれ。回復魔法を掛けてみる」


 アキトの言葉に「はい」と答えると、リーンはベッドの前で止まった。そしてその体をぐっと伸ばして男性をベッドへ寝かせる。


「完了しました、アキト様」

「ありがとう、リーン。早速、魔法を……治ればいいんだが」


 アキトは男性に手をかざして、回復魔法をかけた。アキトの手の光が男性に移る。


「……うっ」

「大丈夫ですか?!」


 アキトは意識を取り戻した男性に、更に回復魔法を掛ける。


「……だいぶ楽になりました。ありがとう……ところであなたは?」

「自分はアキト・ヤシマ。皇女アリティア殿下から手紙を預かっております」


 アキトがそう言って手紙を渡すと、男性は頭を下げてそれを読み始めた。


「……なるほど。確かに軍師の依頼はしておりました。ですが、まさか本当にこのような土地に来られる方がいるとは」


 男性は手紙を閉じると、アキトの目を見て口を開いた。


「申し遅れました。私アルシュタート大公の執事、リベルトと申します。このような場所までお越しいただき、感謝申し上げます」

「いえいえ。しかし、自分のような者に軍師は務まりましょうか?」

「あなたはまだお若い……失礼ながら、通常であればもっと他の人材も見て判断したでしょう。しかし、このアルシュタートの民は困窮しきっている。ですから人を選んでいる時間はないのです。 ……私に残された時間も、そう多くはない」


 寂しそうな顔をするリベルトに、アキトは自分が力になると声を掛けようとする。


「リベルトさん」

「大公からはじいと呼ばれておりますので、アキト殿も爺と呼んでくだされ」

「分かりました。爺、俺で良ければ、何でもお手伝いします」

「ありがたい。早速だが、現在この街は……げほっ」


 爺は再び咳込んだ。手で押さえているが、血を吐いているようだ。


「大丈夫ですか?!」

「お気になさらずアキト殿。時間はまだ少しだけ残っておりますゆえ」


 爺はそう言って、ベッドの横にある棚から袋を取り出した。


「ご自身の報酬は、大公閣下と直接相談してお決めください。そして、軍師になられる方にはこれをお渡しする予定でした」


 アキトは爺から、袋を受け取る。中には二つ石が入っているようだ。


「……アキト殿。私は目先の安泰のために、この街に悪魔を呼んでしまった。どうか、スーレ様をお守りくだされ」

「……悪魔ですか」

「あのような者をこの街へ呼んでしまうとは……エリオ様、申し訳ございません。私が愚かなばかりに!」

「少しお休みになってください。まだ完全には治りきってないようだ」


 アキトはそう言って、爺に布団を掛ける。すると、爺はゆっくりと頭を枕に乗せ、眠りについた。


「そうとう衰弱してるな。あまり長い時間話すのは良くないだろう」


 アキトは再び、爺に回復魔法をかける。


「そうですね。ところで、悪魔というのはなんなんでしょう? スーレ様というのは恐らくはアルシュタート大公の事でしょうが」

「だろうな……大公に会うのもそうだが、少し街を調べる必要がありそうだ」

「では、また外へ出ましょうか?」

「ああ、そうしよう」


 アキトが外へ出ようとするとドアがバタンと開く。


 部屋に入ってきたのは、小さい銀髪の少女だった。

 背中まで伸びた髪は絹のように白く、くりっとした目は金細工のような輝きを放っている。着ているのは、町民の着る安いドレスのようだ。


 その銀髪の少女は、何やら赤い髪の女の子を背負っているようで、息を切らしている。


「はあ、はあ、お兄さん……」

「ご、ごめん、俺は決して怪しい者じゃないんだ! これには訳が」

「お兄さん! この子を助けるの手伝って!!」


 これがアキトと、アキトが仕えることになるスーレ・アルシュタートとの出会いであった。

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