第八話 音なしの夏の夜
僕らの町から、真夏の音が突然消えた。
今年も初夏には、曳山運行の中で披露される港ばやしや、演芸踊りで使用する秋田音頭が鳴っていた。それらの練習のために近所の神社の広い敷地には、夕方まで子どもたちを始めとする演者や、関係者が集まっていた。
それなのに、今は……。
「……静かだな」
自室にいた僕は、窓際にある勉強机から外の音に耳を澄ます。
祭りが終わった後の寂しさや、夏が終わる寂しさとは違う。夏が来ない寂しさを感じて、僕は
勇壮な曳山が軋む「ギー」という音と、
こうも呆気なく奪われるとは思ってもみなかった。初めのうちは焦りと恐怖が入り混じり、しばらくの間は何も手につかなかった。しかし、一日が経過してしまえば、僕の頭は疑問解決に向かって再び動き出す。一度湧いた疑問が解消するまで、考えが止まらない。それが
……そういえば、委員長が僕との思い出を失ったのは、いつなんだろうか。思い返してみても、季節の変わり目のような、わかりやすい兆候は何も見られなかった。現に、記憶を失う前後で委員長の僕に対する態度は何も変わっていない。
──この世は、何者かの都合よく変えられていると思うんだ。それも人間じゃない。たぶん、宇宙人みたいなものたちだ。
皆川さんが話していた、確信めいた仮説を思い出す。
僕も彼の考えと同じで、こんな一瞬の芸当が人間
記憶を変えられた本人はともかく、なぜ誰も祭りがないことを騒がないのだろう。さすがに不自然だ。本来なら、祭りがなくなったことに気付いた人間が複数人いてもおかしくない。なぜなら、他のマンデラエフェクトの事例だと、同じ事象に対して違う認識で記憶していた人が必ずいたからだ。ましてや、県内外から観光客がやって来るような祭りだと、知名度は抜群にあるはず。
「確かめるしかないよな……」
奪われたものを取り返したい。ひとりで考え続けたって、何も変わらないのだから。
確かめるのが怖くても、僕は前に進むしかない。これ以上の被害者を出さないためにも、僕は逃げてはいけないのだ。
*
祭りが始まるのは、七月二十日。それまでの短い期間で、僕は調査活動を開始した。
僕はまず、家族や地元の友達に、祭りの有無について質問してみた。すると、全員から「そんな祭りは知らない」と、ポカンとした表情で答えられた。
明らかにおかしい。僕の地元の人は、特にこの祭りが好きだったはずだ。大人なんか、わざわざ有給休暇を使って祭りに参加していたのに。子どもだって、曳山を
どうして、この変化に誰も気付かないのだろう。こんなにも、わかりやすい間違い探しなのに。
祭りに限らず、この数ヶ月間、僕たちは一体何をさせられているのだろう。僕たちは
「なるほどな。だから藤城くんは、俺に確認の電話を掛けてきたんだね」
「はい……。夜分遅くにすみません」
「構わないさ。ちょうど俺も暇を持て余していたからね」
電話の向こう側で、皆川さんが微笑んでくれているような気がした。
僕は皆川さんとは、たまにしか連絡を取り合っていない。皆川さんは僕が通う高校近くの小さな工具修理屋で働いていて、平日は忙しそうだった。それも自分から連絡をしなかった理由だけど、一番の理由は別にある。何となく僕はまだ皆川さんに気を遣っていて、祭り初日の今の今まで、連絡は控えていたのだ。
そんな僕だったが、今回は委員長の事があって、どうしても誰かに話をしたかった。それで悩みに悩んだ末に、
スマートフォン越しだけど、久しぶりに聞いた皆川さんの声に緊張してしまう。喉にギュッと息が詰まったが、僕は声を絞り出すように何とか本題を切り出した。
「皆川さん、お願いです。正直に答えてください。皆川さんは……土崎港曳山まつりをご存知ですか?」
「もちろんだとも! ちょうど最近、町が妙に静かだなと思っていたところだよ。中止じゃなくて、まさか祭り自体が存在しない事になっていたとはね。藤城くんから話を聞くまで、祭りがみんなの記憶から失くなってしまったなんて、俺も気付かなかったよ」
「そうでしたか……。でも、皆川さんが祭りをご存知で良かったです」
やっと祭りを知っている人が見つかった。僕は皆川さんの答えに安堵して、ゆっくりと息を吐いた。
「あれ? 山近くんは土崎港曳山まつりは知らないのかい? あの祭りは、観光としても有名じゃないか」
「ああ、山近は小学生の頃に他県から引っ越して来たそうで知らないんです。住んでいる場所も祭りの地元じゃないですし、そもそも、祭りに興味がないらしくって。それに、山近はテレビとか新聞も全く見ないそうです」
「へえ……変わっているね。ああ、これは悪口じゃなくて褒め言葉だよ」
皆川さんがどういう意図で山近を「変わっている」と言ったのか言われなくてもわかってしまい、僕は返事の代わりに曖昧に笑った。
確かに、みんなから見れば、僕たちは少数派の変人だろう。
「それと、藤城くん。俺も今さっきパソコンからSNSで調べてみたけど、今回のは特におかしいよ。俺と君しか、あの祭りの存在を知らないんだ」
「やっぱりそうですか……」
改めて皆川さんの口から悲しい事実が告げられると、僕の返事は自然と尻すぼみになっていく。
僕は委員長たちとファミリーレストランで会った日から、祭りの開催日である今日まで、聞き込み調査と並行してSNSでも調査を続けていた。色々な言葉を連想して土崎港曳山まつりを検索してみたけれど、皆川さんと同じように検索には何も引っ掛からなかった。それにも落ち込んでしまった僕は、今日の夜になってようやく勇気を出して皆川さんに電話をしてみたのだ。
「藤城くん、君は無理をしていないかい? 友達から、自分との大事な思い出がなくなってしまったんだ。辛い思いをしただろう?」
「僕は……」
僕を気遣う皆川さんの言葉で、目の奥が熱くなってしまう。突っかかった言葉が喉に張り付いて苦しくなる。
今、本音を言ってしまえば、僕はきっとすぐには立ち上がれないだろう。だから、僕は込み上げた思いを何とかゴクンと飲み込んだ。
「……平気です。僕には皆川さんや、山近がいてくれますから」
「……そっか。そう言ってくれて嬉しいよ」
皆川さんは穏やかな口調で答えると、すぐにおどけたように話し出した。
「いやあ、それにしても祭りがなくなったのはショックだなあ。港ばやしを聞きながら、
「皆川さんは出店が目当てなんですか?」
「当たり前だよ。え! 藤城くんもそうじゃないの?」
「それもありますけど、僕のメインはやっぱり曳山行事を見る事ですよ」
「俺は祭りで食べる焼きそばが一番好きだ!」
「急に宣言されても困ります……」
「しまった。つい熱が入っちゃったよ」
ごめんごめん、と笑いながら謝る皆川さんに僕は思わず小さく笑った。
どうやら皆川さんは調子のいい人みたいだ。
「ちなみに、藤城くんは出店だと何が好きだった?」
「僕は定番ですけど、かき氷と射的ですね。あとカタヌキをよくしていました」
「へえ、カタヌキかあ。若者に人気があるよね。俺も若い頃はよくやってたよ。あれって、ついつい時間を忘れて夢中になっちゃうよな」
カタヌキは、少し甘い味がするピンク色の板状のお菓子に傘とか動物の型が描かれていて、それを画鋲でくり貫いていく縁日の遊戯だ。 型を割らず上手にくり貫くことができれば、型のデザインの難易度に応じて、数百円から三千円くらいの賞金がもらえる。しかし、これが簡単そうに見えて意外と難しい。
「あれは癖になっちゃいますよね。僕はいつも途中までいい感じでも、必ず終盤でヒビが入っちゃって失敗するんです。前までは普通に刺していたので、速攻で失敗しちゃってたんですけど、委員長から地道に削ればうまくいくって教えてもらって……」
去年の夏、蒸し暑い天気の中で小さな子どもたちがテントの下に密集していた。その中には、小さな折りたたみ式の椅子に隣り合わせで僕と委員長も座っていた。最初はふたりで話しながらカタヌキをしていたけれど、途中から静かになって割と真剣に取り組んだ。結局は惜しいところでふたりして失敗してしまい、肩を落としながらポリポリとお菓子を食べて終わったっけ。
何気ない風景でも、僕にとってはかけがえのない思い出だった。今年こそ
「……そういえば藤城くん、前に会った時にジャズを聴いているって言っていたね」
「はい。ジャズに詳しくはないですが、少しだけ聴いています。それがどうかしましたか?」
皆川さんの突然の話題転換を不思議に思った僕が訊ねると、皆川さんは弾んだ声で答えた。
「ちょうど良かった」
「えっ?」
「今度の日曜日、空けておいてほしいんだ」
もちろん山近君も一緒にね、との皆川さんの謎の誘いに僕は雰囲気に流されてしまい、とりあえず承諾する。
皆川さんとの長い通話を終えて気持ちが落ち着いた僕は、夜の町を窓越しに見つめた。外は相変わらず静かだ。
今度の日曜日か……。皆川さんはその日に、僕らと一体何をするつもりなのだろう。
僕の楽しくて長い夏休みの計画は初っ端から崩れてしまったが、新しい予定のお陰で、この静かな夜の恐怖が少しだけ和らいだ。親友である委員長から、僕との記憶が一部だけ消えたのはとても悲しいけれど、委員長と友達なのは変わらない。それに、僕にはまだ皆川さんや、山近だっている。彼らが変わらずにいてくれるなら、僕はきっと、この先も真実に向かって真っ直ぐに進んで行ける。
僕や祖父のような思いをする人がこれ以上増えないようにするためにも、こんな事になってしまった原因を突き止めなければならない。
──僕はひとりじゃない。だからこそ、この妙な胸のざわめきは気にする事ないんだ……。
この時の僕はどんな未来も想像したくなくて、自分の中で芽生えた違和感に気付かないフリをした。
夏独特の高揚感と寂しさは、間もなくやって来る。物悲しい気持ちで夜風にあたっていた僕にも、容赦なく残酷な時間は流れていく。
今なお続く、地獄のような現実を僕はまだ知らない。
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