第6話 新馬戦当日です
札幌競馬場第5R 牝馬限定、芝1200m新馬戦。梅雨の時期にありながら珍しく好天に恵まれ、馬場は幸いにして良馬場。そんな中でのミナミベレディーのデビュー戦、出走馬は当初の予定から減って8頭。
パドックを廻る各馬達の様子を見ると、どの馬も新馬戦とは言いながら余裕を持たせながらもしっかりと仕上げてきているのが判る。
「う~ん、晴れて良馬場なのは好条件だが、1200mはやっぱり短すぎたかな。コチノクイーンが出走を回避してくれたおかげで有力馬は不在だと思うのだが、それでも1800で行くべきだったかなあ、まあ今更なんだが」
ミナミベレディーの調教が非常に順調に進んだが故に、早々のデビューを決めたのは良い。まだ若駒達が仕上がる前で、出走頭数が少ないうち何とか1勝出来ればと思っていた。
そんな大南辺がパドックで改めて見ると、ミナミベレディーの馬体は他の馬と比べても一回り大きく、存在感を示している。すでに若駒の範疇を越えている気がするのだが、これでまだ成長途中というのだから驚きだ。
「なあ、1番の馬体はいいよな。でもさあ、長い首、張りのあるトモ、繋ぎの形状を含めどう見ても中長距離だろ? なんで芝1200mに出て来たんだ?」
「牝馬だからじゃないか?」
「いや、牝馬限定って言っても、もろ適距離から外れてんじゃん。駄目だろ其れ」
パドックで歩く馬達を見ていると、周りからグサグサと自分の胸に突き刺さる様な意見が聞こえてくる。
パドックの横で思わず天を仰いでいた私に気が付いたベレディーが、私を見てフンフンと首を上げ下げする。
「1番さあ、何か掛かってるのか? まあ、新馬戦だし1番は無しだな」
「新馬は判らないぞ? そもそもゲート次第なところあるし、出遅れとかざらだからな」
「ちなみに1番ってオッズどれくらいなんだ?」
「36倍だな、7番人気。父馬がカミカゼムテキで母馬がサクラハキレイ、お前知ってる?」
「いや、知らない。GⅠ馬じゃないだろうけど、10年前とかは余程有名じゃ無いと判らんって、ああ、今調べたけどカミカゼムテキは鳴尾記念勝ってるわ。主な勝ち鞍はこれくらいで、後は2着や3着だな。目立つところは秋天5着と3着くらいか?」
「もろステイヤーじゃん。俺も調べたけど、カミカゼムテキもサクラハキレイも成績残してるのって5歳以降だわ。ってことで1番は無しだな」
パドックで言いたい放題言っていた男達が馬券を買う為に移動していく。その後ろ姿を何とも言えない気持ちで見送り、私はまた目の前まで来たベレディーに小さく手を振って馬主席へと向かった。
◆◆◆
「ベレディー、大南辺さんが応援に来てくれてたね。頑張るよ!」
パドックで騎乗し先導馬の後をついてコースへと向かう中、鈴村騎手はミナミベレディーへと話しかける。
まだ2週間弱の付き合いではあるが、この牝馬が非常に賢く、人の言葉を聞き取っている事に気が付いていた。恐らくは話す人の言葉に籠る音の感じで判断しているのだろうが、まるで会話を理解している様に思える時もある。
「プヒヒン」(うん、いたよね)
返事を返してくるベレディーに、鈴村騎手から思わず笑い声が零れる。その笑い声にどうしたのかと、ミナミベレディーは耳をピンと立ってピクピクさせた。
初めてのレースでも落ち着いているね。これなら勝ち負けは行ける!
出走馬達は、皆が首が太く短く短距離向けの馬体をしていた。
牝馬限定とはいえ芝1200mという事に不安が無いかと言えば、当たり前に不安だらけである。ましてや、自分は今年に入って騎乗機会が激減し、今の段階で勝ち鞍は0だった。今日は札幌9Rにも騎乗できるが12番人気の馬という事で勝ちを狙うにも厳しいと判っている。
「何としてもこの新馬戦は勝っておきたいな」
若しかすると、ベレディーより私の方が緊張しているかもしれないね。
ただ、それを言葉にするとこの頭の良い子にも緊張が伝染しそうで口には出せない。
「ベレディー、さくっと走って、さくっと帰ってこようね」
「ブヒヒ~~ン」(うん、初めてだから楽しみ)
ミナミベレディーのどことなく暢気な感じの返事に、私の緊張は溶けて行く様な気がした。
◆◆◆
コースの中に誘導されて、そこから何か屋根のある所まで来ました。すぐにゲートへと入るのかと思っていたんですが、此処で私もみんなと一緒にぐるぐると回っているのです。
これは何をしているのかな? 周りの雰囲気に感化されて段々と緊張してきちゃうじゃ無いですか。
さっきから一緒に走るお馬さん達を見ているんですが、中には頭をブンブン振ってお口から泡を出している子もいます。
「プフフン」(大丈夫だよ? 怖くないよ)
初めての競馬場で気が立っているみたいなので、私は声を掛けてあげたんです。でも駄目ですね、こっちに威嚇までしてきます。そうこうしているうちにようやくゲートへと案内されるのですが、1番のゼッケンを付けられた私は、一番最初にゲートの中へ案内されちゃいました。
「ベレディー、落ち着いてね。怖く無いからね。みんなが中に入ったらすぐにゲートが開くから、そっからダッシュだからね」
騎乗している鈴村さんが、私の首をポンポン叩いて励ましてくれます。
私はと言うと、少し離れたゲートに入ったお馬さんがガシャッガシャと煩いので、つい其方が気になっちゃってました。
「最後が入ったよ、開くよ」
お馬さんは視界が広いので、真横の景色も見えるんですよね。それで、横目で係員の人がゲートを潜って離れて行くのを見て、私もググっとスタートの態勢に入ります。
ガシャン!
相変わらずの大きな音を立ててゲートが開きました。
でも、さすがに最近は慣れましたよ? で、当初言われていた通りに一気に前に加速します。
結構良いスタートが出来たんじゃないかな?
前を向きながらも横と後ろの方を見ると、他のお馬さん達も走っているのが判ります。少し離れた子は、早々に鞭を入れられて前に出てくるのが見えました。ただ、私の横にいるお馬さんは、私より加速力が上なのか段々と私に追い付いてきています?
「うん、最高のスタートだよ。あとは後半600くらいで加速して、一気にスタミナ勝負に持ち込むよ」
えっと、600って半分ですよね? ただ、その半分が良く判らないのですが、指示待ちで良いですよね。あっという間にカーブがやって来たので、兎に角は外に膨らまないように意識しながら回っていきます。
横のお馬さんが結構邪魔ですね。何かぶつかりそうな気がして嫌なのです。そんな事を思っていたら、外側にいたお馬さんが思いっきり外に膨らんでくれました。
「ラッキー! これで楽になった!」
うん、これなら加速して多少膨らんでも問題なさそうなのです。
「よし、行くよ!」
まだカーブの途中なのですが、横に余裕が出来たからかな? 肩を手でトントンと叩かれたので、後ろ足に力を込めて加速します。
まだカーブの途中ですが、加速してそのままの勢いで直線に入りました。ただ、多少膨らんじゃったのでコースの真ん中よりですね。
この時、私の視界に入るお馬さんは一頭もいません。でも後ろからはドドドという走る音が聞こえて来ます。
何か追われているみたいで、これはこれで怖いですね。
私は現在先頭にいるみたいですけど、鈴村さんはさっきからまだ手綱を持ったまま、グイグイと押してくるのです。
そういえば、確か他のお馬さんは加速力がすごいのでしたっけ? 聞かされてた事前情報が頭に過ったので、私は蹴りつける脚に力を入れて再度加速します。
「あと少し、あと少しだから頑張って!」
ううう、これでも結構頑張ってますよ! というか疲れてきましたよ!
鈴村さんの悲鳴のような声が聞こえます。それ以上にドドドという音がどんどん近くなって来て、ついに視界の隅っこに後ろから来るお馬さんの姿が入って来ました。
馬は視野が広いのでしょうがないのですが、不味いですよ! このままだと負けちゃいます!
お肉は嫌~~~! 死にたくないよ~~~! そう叫び出したいです。でも、今は叫ぶ余裕なんか欠片も無いのです!
次第に視界の中で大きくなって来るお馬さんを気にしながら、疲れなんてなんのそので必死に脚を動かしました。
前なんかより、横目に見えるお馬さんから必死に逃げていたら、突然に鈴村さんが手綱を緩めました。
「ヒヒン?」(どうしたの?)
手綱が緩んだため、ハミが外れて一気に気が抜けてしまいました。って横のお馬さんに抜かれちゃいましたけど、横のお馬さんも加速を止めてゆっくりとした歩きにかわります。
「やった! 勝ったよ! 一着だよ! ベレディー頑張ったね!」
そう言いながら、私の首をポンポンとしてくれる鈴村さん。
あれ? ゴールしたのですか? あ、よく考えたら短距離走とかだとゴールテープとか無いですよね。
ただ、どうにか一着になれたみたい。じわじわと嬉しさが込み上げてきました。
ピョピョン! ピョピョン!
「プヒヒ~~~ン!」
「うわ! ちょ、ちょっと! ベレディー、嬉しいのは判ったから落ち着いて!」
嬉しさで思わずスキップしながら走ったら、鈴村さんが慌ててしがみ付いてきました。
あぅ、ごめんなさい。落ちそうになった?
◆◆◆
『 今、ゲートに各馬納まりました。ゲートが開いて各馬一斉にスタート、ややバラバラのスタートになりました。1番ミナミベレディー、好スタートで先頭に立ちます。6番キミノタメニハシル、鞭が入って先頭を窺おうかという構え、2番ウインドセイバーそうはさせじと前に出ます。
あっと、ここで2番ウインドセイバー、コーナーを回り切れず外に大きく膨らんだ! 審議です、審議のランプが点灯しました。
各馬そのままコーナーを抜け直線に向かいます。先頭はミナミベレディー、そのまま粘れるか! 後続も追い上げてきます。4番プリンセスフラウ、じわじわと差を詰めて行きます。ミナミベレディー粘る! 粘る! そのまま粘り切ってミナミべレディー一着でゴール! 鞍上の鈴村騎手、なんと8か月ぶりの勝利を手にしました!』
大南辺はラジオからの実況を聞いていたイヤホンを外し、久々の自身の所有馬の勝利に思わずガッツポーズをしていた。途中どころか、最後のゴールする瞬間を見るまで、距離の不安、適性、あれで良かったのかなど色々な思いが過る中での久しぶりの新馬戦勝ち馬に次第に笑みが浮かぶ。
「大南辺さん、おめでとう」
「ありがとうございます」
幾人かの知り合いに声を掛けられながら、大南辺は足早に馬主席を出て表彰場所へと向かった。
ミナミベレディーの次走をどうするか、そんな事を思いながら。
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