第三章

21.言葉

 降ったり止んだりの雨を見送るうちに5月が終わり、6月の半ば。

 晴れきることがないまま、毎日中途半端に生ぬるい空気がまとわりつく。


 メンソールの煙草を吸い始めた。

べつに気が変わったわけじゃない。単に、いつもの味付きの銘柄が売り切れていたから、気まぐれで買っただけ。というより、帰宅時間帯で混み合う店内で、とっさに隣のものを頼んでしまったというのが、真相なのだけど。


 口中に広がる、薄荷はっかの風味。

 メンソールを吸うのははじめてで、なんだか歯磨き粉扱いされるチョコミントを思い出さないでもない味がした。正直、今でも口中に違和感が広がる。


 日付が、もうすぐ変わる。わたしはといえば、相も変わらず、電気もつけずに自室のトイレで座って、細い煙を吐いていた。窓を通り抜けた煙に覆いかぶさるように、細い雨が連なっている。


 扇風機で飛ばせない、じめっとした寝苦しい夜が増えた。

 せめて6、7月くらいは耐えようと思っているけど、冷房のことも考えておかないといけない。試運転は済ませている。5年目の今年も、安心してお世話になれるはずだ。でもあと少しの間、それはお預けだ。


 煙草の先端が、チリチリと焦げていく。


 もしかするとあれは、わたしが思ったより、ほの苦い体験だったのかもしれない。

慣れない薄荷をまた吐きながら、昼間のことを思い出す。


 5分くらいだったはずだけど、まるで1時間のように感じた。沈黙というのは、わたしにとって、今でもとても扱いづらく、重たい。


 テントウムシが飛んで行ったあと、わたしにはもう思い浮かべる言葉もなかった。

青く広がる空に浮かぶ雲に、ホワイトボードのように答えが書いていないかなんて、思っても仕方がないことを思っていた。


 話をするだけでも楽になる、という言葉がある。

そういう意味では、あのとき侑都くんは、たぶんわたしに、〝話″をしてくれた。

 わたしは、その話を〝聞いた”。


「学校に行っていない」


 けれどあのとき、わたしは言葉から逃げていた。

自分が侑都くんに返そうと考えてみる言葉から。そして、侑都くんの言葉から。

 唯一心残りがないことと言えば、「大丈夫だよ」と口走らなかったことだけだ。

 もっとも、何も根拠のない「大丈夫」を飲めなかったわたしには、最初からそんな発想はなかったのだけれど。


「のぼりんってやさしいから、誰でも仲良くなれるよ」


 高校生のとき、仲の良かった子たちから、わたしはそんなことを言われていた。


 両親の勧めと、担任の勧め。「伸びやかな校風」といわれていた、少し背伸びして入った進学校。自分が精一杯を出し切って入った学校と、そうでもなく試験をパスしていった友達たち。彼女たちと大きく差はつくことはなかったけれど、わたしの成績は、真ん中から徐々に下降し、1年の半ばを過ぎると、文字通りの「中の下」のあたりを、うろうろしていた。


 姉の冴香さえかはその頃、大学二年生。

 薬学部に在籍し、忙しい忙しいと言いながらもいつも弾んだその口調に対し、わたしはじつはひっそりと憧れていた。


 わざわざ自覚するまでもないけど、わたしはかなり人見知りが激しい。

だから、友美ともみと出会って、そこからなんとかグループに所属することができたのは、それこそ幸運だったと思う。


 あるいは珍しいことなのかもしれないけれど、わたしのクラスの女子は、グループこそできていても、お互いにはほとんど干渉せず、なんとなくの距離が成立していた。

 休み時間はメイクやファッションの話を大声でする子たち。快活という言葉がよく似合う、運動部の子たち。次の発表のことを思ってそろそろ面倒になってきた、文株の子たち(もちろん、やる気を燃やす、逆の子たちもいた)。

 グループは組まないけれど、少数精鋭というか、常に成績上位をキープしている子たちは、いつも黙々と勉強していたけれど、別に揶揄やゆや排除の対象になっている、ということもなかった。


 そして、学校生活はそつなくこなして、例えば当時「瓦せんべい」と名付けられていた、やたらと「予習復習」と声を張り上げる数学教師のことを「やってらんねー」と言いながらも、仲間内でいつのまにかそれなりに出来上がったノートが回ってくる。

 お互い持ちつもたれず、学校帰りはマックに行って、箸が転んでも可笑しいような調子で、流行りのこと、恋愛、親の愚痴、そして時々、真剣な悩み相談。そんなことをしている、わたしが中学生のときに所属していたグループとよく似ていた、そんな無難なグループ。

 運動ができるわけでもない、成績がいいわけでもない、話がうまいわけでもない。そんなわたしが、所属先を見つけられたのは、友美のおかげだった。


 今は決まった通勤路を行くだけなので困ることはなくなったけど、もともとわたしは少しだけ方向音痴だった。


 正確に言えば方向感覚というか、そういうのがめちゃくちゃ的外れというわけでもないけれど、なんというか、ふらふらと自信がない。

 ないから、自分が今来た道が本当に合っているのかちょっとだけ確かめようと後戻りなんかしたりして、ふと知らない道に出てしまって、目印にしていた建物を右に曲がるか左に曲がるかいつのまにか忘れてしまって、変なロスが膨らんでいく。


 スマホは持っていたし、位置情報を入力すれば進行ルートは表示される。

けれど、「南南西に300メートルです」「この先、200メートルです」という、杓子定規な指示では、ほとんど何も解決しなかった。

 おまけに今でもそうなのだけど、自分が動くのに合わせて動くアイコン。あれがわたしにはよくわからない。自分が左に進んでいると、右にアイコンが動きだしたり、自分の動くスピードにアイコンがついてこず、少し経ってからようやく動き出し、けれどそれが、目的地とは逆の方向だった、なんていうこともよくあった(というか、今でもある)。

 

 これも今となってはそれこそ過去の話だけど、、以前勤めていた会社で、飛び込みで知らない取引先に向かうように指示されて、バス停から徒歩数分のところだというので油断していたら、ものの見事にビルの迷路に迷い込み、危うく時間に遅れるところだったということもあった。


 入学式のときも、そうだった。


 その高校には、一度キャンパス見学とまではいかなくても、日ごろどんな様子なのか知っておきたくて、遠巻きに眺めにいっていた。これといって何かがわかったわけでもないけど、だからそのまま受験して、無事合格した。


 ところが、入学式当日になって電車を降りて歩き始めると、どこの角を曲がればいいのか、不意に思い出せなくなっていた。そんなところに建てて大丈夫なのかと思うけど、じつはほとんど同じような位置に、空き店舗を挟んで似たような精肉店が2店舗あり、迂闊うかつにも当日になってそのことに気づいてしまったのだ。


 とはいえ今思い返すと、落ち着いて全体を思い出せば、そのことを除けば、「なんでそこで?」というくらいシンプルな道だったのだけれど、あのときはたぶん緊張していたのだと思う。中学時代に仲の良かった友達は別の進学校や私立高校に入学していたし、たまたまその日はもう一人一緒に行くはずだった他の子も、駅までのバスに乗り遅れて後で合流する、ということになっていた。


 開店し始めている、よく似た精肉店の横道を、あっちをうろうろ、こっちをうろうろ。ふと、怪訝そうな顔でこちらを見やる店のおじさんと目が合い、とっさにその場を離れようとしたとき、声をかけてきたのが友美だった。

































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