50:前世の話
◆ ◆ ◆
伯爵邸の庭にある東屋の椅子に座り、ユリウスの婚約を祝って一人静かに杯を傾けていると、足音が聞こえた。
コップを持ったまま左手を向く。
案の定、現れたのはジオだった。
この男は野生動物よりも勘が鋭い。
その鋭さときたら、探知魔法でもかけているのではないかと疑いたくなるほど。
「こんなところで一人飲んでるくらいなら、お前も来ればよかったのに。きっと大歓迎されたぜ?」
ジオは向かいの椅子に座って苦笑した。
「でしょうね。だから行かなかったのよ。これ以上一緒に居たら情が移っちゃうわ」
「もう充分移ってんじゃねーの? ルーシェに手を出すなって、エルダークに圧力をかけたのはお前だろ。あれだけの力を見せつけたルーシェをエルダークが放っておくわけがない。兵を起こしてでも略取しようとしたはずだ」
「さあ。何の話だかわかんないわね」
とぼけて酒を飲む。
「……そうか。オレの勘違いだったな。でも、ありがとう。本当に助かった」
ジオは深々と頭を下げた。
「ふふ」
普段は偉そうなくせに、恋人のためならばいくらでも頭を下げるジオを見て、つい笑みが零れる。
(パトリシアのこともそう。殺したいくらい嫌ってたくせに、他ならぬルーシェのために負の感情を飲み込んだのよね、あんたは)
「ルーシェはベルウェザーの転生体だけど。あんたは多分、カイの生まれ変わりね」
「何だよ、カイって誰だ?」
顔を上げたジオは怪訝そうに眉を寄せた。
「ベルウェザーの恋人よ。天候を操る力を持ってたベルウェザーは人間たちから神のように崇められ、同時に怖がられてたわ。魔女だってそう。友人のように振る舞いながらも、誰もが心のどこかであの子を恐れてた。だって、あの子は誰よりも強い魔法を使えるんだもの。気まぐれ一つで自分を殺すかもしれない猛獣と仲良くなるのは無理でしょう? 孤独感に苛まれたベルウェザーは《魔女の墓場》にある高い塔の上に引きこもったわ」
「……そりゃすげーな。自分に敵意がないことを示すためだけに《魔女の墓場》に行ったのか」
「ええ。《魔女の墓場》にいることであの子はただの人間になった。まるで塔の上に閉じ込められたおとぎ話のお姫様のように、自分に会いに来てくれる王子様を待ったのよ。ロマンチストだったから」
童話や絵本を好んで読んでいた彼女を思い出し、くすりと笑う。
「助けを求められたときだけベルウェザーは地上に降りて、人々が望むままに雨を降らせたり、降り続く雨を止めたりしたわ。そんなある日、ベルウェザーに会うために塔を上った人間がいた。それがカイよ。農夫だったカイは日照りが続く村に恵みの雨を降らせてくれたベルウェザーにお礼を言う為だけに、魔獣が徘徊する危険極まりない《魔女の墓場》を踏破し、塔を上り切ったの。まさか軍人でもないただの農夫が《魔女の墓場》を踏破するとは思わず、ベルウェザーは仰天したわ。そして、当たり前のように恋に落ちた。やっと自分を神でも天使でも悪魔でもなく、対等な人間として見てくれる恋人を見つけたベルウェザーは《魔女の墓場》から出て、十人の子どもを産んだわ」
「十人って、結構な数だな」
ジオが呟いた。
「ええ。《始まりの魔女》のうち、あの子が一番子だくさんだったわね。子育ては物凄く大変そうだったけど、ベルウェザーもカイも、子どもたちに揉みくちゃにされながら、めちゃくちゃ幸せそうだったわよ。みんなで畑とか耕してたわね」
子どもたちと一緒に泥まみれになり、楽しそうに笑っていたベルウェザー。
膨らんだお腹を撫でさせてもらったこと。
生まれた子どもの名付け親にさせてもらったこと。
いまとなっては全てが遠く懐かしい。
「カイはベルウェザーにベタ惚れだったし、ベルウェザーもカイにベタ惚れだった。聞けば、カイはベルウェザーに一目惚れしたんですってよ。あんたもルーシェと会ったとき、一目惚れしたんじゃない?」
「……まあな」
素直に認めるのは抵抗があるのか、ジオは複雑な顔で頷いた。
「あっはっは! やっぱあんたカイの生まれ変わりだわ。目の色は違うけど、髪の色とか、あたしに対する態度とかそっくりだもの。ただの人間のくせして、あいつは全然あたしのこと敬わなかったし、ベルウェザーとも遠慮なく喧嘩してた。その気になればベルウェザーもあたしも一撃でカイを殺せるだけの力があるのに、そんなの知ったことか、オレは好きなように生きるって言ってたわ。ね? まるっきりあんたでしょ?」
メグは大笑いして手を叩いた。
「ルーシェはリュオンとセラのことを運命の恋人だって言ってたけど、蓋を開けてみればあんたたちこそが本物の運命の恋人だったわね。ルーシェはやっと巡り会えた遠い前世の恋人よ、大事にしなさい?」
「……言われなくても大事にするさ」
ニヤニヤしながら上体を寄せると、ジオは照れ隠しのようにそっぽ向いた。
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