10:緊急事態発生ですか?
(こういうおひとよしがいるから、あたしはこの世界を憎み切れず、愛しちゃったり期待しちゃったりするのよねえ。ほんと、困っちゃうわ、全く――)
大きく口を開けて、随分と体積が減ったリンゴを最後にもう一齧りしたときだった。
街の結界魔法に特異な反応があり、メグは頬を膨らませたまま固まった。
メグは現在、自分のせいで一定時間魔法が使えなくなってしまった――正確には使えるのだが、使うと命に関わる――魔女リュオンの代わりにラスファルの街全体を覆う守護結界を張り、人を喰らう魔獣や悪意を持った外敵を弾いている。
街を覆う結界魔法は同時に探知魔法も兼ねているため、異常があればすぐにわかる。
メグの意識に引っ掛かったのは魔獣ではなく一人の魔女だった。
普段なら街に魔女が入ってきたところで特に警戒することもないのだが、この魔女の魔力量は大きすぎる。あまりにも。
(何この子――数千年を生きてるあたしにはさすがに及ばないけど、天災級の魔獣並みの魔力量じゃないの。『大魔導師』リュオンより強いわよこれは)
戦慄が走る。
仮にこの魔女と正面切って戦うことになったら、ラスファルの街は戦いの余波で消し飛ぶだろう。
この屋敷にはフリーディアの転生体、『魔力増幅』の固有魔法を持つ魔女セラがいる。もしも彼女を略取されたら――
(やばいやばいっ!! なんなの、あたしが呆れるくらい平和だわーとか言ったから、天界から見てたオルガが『それなら大事件をプレゼントしてやろう』って無駄にサービス精神を発揮しちゃったの!? 勘弁してよ神様!! 平和でいいって平和でお願いしますいやほんとマジで!!)
メグは冷や汗を掻きつつ、芯だけになったリンゴを放り捨てた。
精神統一し、身体を屋根に残したまま意識を街の外へと飛ばす。
『遠視』の魔法を使い、急いで魔女の正体を探る。
街の西門の近く、検問待ちの列に並んでいるのは煌めく銀髪に紫の瞳をした魔女だった。
(えええ!? ベルウェザーの転生体、ルーシェじゃないの!!)
身体から抜け出し、意識だけの状態になっているメグは驚愕した。
様々な固有魔法を持つ《始まりの魔女》の転生体のうち、もっとも探しやすいのは彼女だろう。
何しろ彼女は天気を操る。
天気が一日に何度も変わるようなことがあれば、『自分はいまここにいます』と主張しているようなもの。
メグはルーシェが生まれた直後からその存在を認識していた。
十年ほど前、孤児院で暮らしていたルーシェに会いに行ったこともある。
ただしそのときは『メグ』ではなく、別の身体を使っていたため、ルーシェは短時間だけ話した相手がメグだとは知らない。
(あーなるほど、ルーシェだったのかー。気分次第で辺り一帯の天気を変える魔女だもの、そりゃ強いに決まってる――って納得してる場合じゃないわ。なんでここにいるの? あの子、クライン公爵の養女になって、エルダークの《国守りの魔女》やってたはずよね?)
二度目にルーシェを見たのは、あれは確か、去年の春だったか。
エルダークの王都で行われた式典で、美しく成長したルーシェは国王と共に壇上に立ち、青と赤と白の三色からなる法衣に身を包み、穏やかに微笑みながら国民に手を振っていた。
彼女は十二歳のときからエルダークを守ってきた《国守りの魔女》。
高貴な紫の瞳を持ち、微笑みを絶やさない彼女は《人形姫》とも呼ばれていた。
(間違いなく彼女は《人形姫》ルーシェ・クライン……の、はずなんだけど。なんか印象が違うわね?)
いつも浮かべていた人形じみた微笑みはどこへやら、ルーシェは銀色の《魔力環》が浮かぶ紫眼で緋色の髪の青年を睨み、何やら言い合っていた。
『遠視』の魔法は音声までは拾えないため、彼女たちが何を言い合っているかは不明だが、この遠慮のなさからして彼は彼女の恋人なのだろう。多分。
(ラスファルに潜入している諜報員からの報告を受けて、エルダークの王様がセラの途方もない価値に気づいた。国一番の魔力を持つルーシェは王の密命を受けてセラを攫いに来た……って感じじゃないわよね、どう見ても。じゃああの子、本当に何しに来たの? 恋人と休暇旅行? まさか。《国守りの魔女》は出国を禁じられてるはず……となると、ルーシェは《国守りの魔女》の座を降りたの? 任務中に逃亡したっていうなら堂々と顔を晒したりしないわよね? 信じられない。彼女ほどの逸材をみすみす逃すとか、エルダークの王様ってただの馬鹿じゃん。エルダーク全土を覆う《国守りの結界》を張れるのは彼女くらいしかいないでしょうに。そりゃ、天気をころころ変えられたら困るでしょうけど、彼女も大人になったし、赤ちゃんのときとは違って精神的にも安定してるでしょ? エルダークはこれから魔獣に襲われまくって大変だろうなあ。同情するわ。上が無能だと国民は苦労するのよねえ。軍人さんたち可哀想……)
メグはルーシェの観察を止めて、意識を肉体へと戻した。
まだ頬張ったままだったリンゴを噛み砕きながら瞬きする。
リンゴは問題なく美味しく、五感は正常に働いている。
(意識と肉体を分離したことによる弊害はなし、と。さすがあたし)
自画自賛して、三階建ての館の屋根から気軽に飛び降りる。
魔法を使い、全ての衝撃を殺して着地。
屋敷の隣にあるガラス張りの温室に行って扉を開ける。
そこには薬草の手入れをしている魔女がいた。
魔女といっても彼は金髪碧眼の男だが。
「リュオン。ちょっと話があるんだけど――」
呼び掛けに応じて、右目を包帯で覆った青年が振り向いた。
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