08:偉大な魔女に忠誠を

     ◆  ◆  ◆


 無数のダイヤモンドを散りばめたような夜空だった。


 ここが山中で、辺りが真っ暗だからこそ、満天の星の輝きは際立って見える。


 時折、銀の軌跡を描いて星が流れていく。


 この世のものとは思えないほどの絶景だ。

 まるで絵画の中の世界に迷い込んだかのよう。


(来て良かった……)

 敷布の上に寝転がり、大地の香りを感じながら、ルーシェはひたすら感動していたのだが――


 軽く首を左に向けて横を見れば、ジオは寝息を立てていた。

 情緒もへったくれもなく爆睡している。


(眠くなったら寝ていいよとは言ったけど! 言ったけど!! この絶景を前にして、本当に寝たよこの人!!)


 最初はジオもルーシェと一緒に星を見ていたのだが、集中力はものの五分で切れてしまったらしい。


(昨日は眠れなかったみたいだから仕方ないのかもしれないけど……いや、ジオは昔っからこういう人よね。もう五年も前になるかしら、わたしと一緒に流星群を見たときも熟睡してたわ。懐かしい。外見は大人になっても中身はそのままね)


 声に出さずに笑いながら起き上がる。


 大きな木の下に張った天幕から二枚の毛布を引っ張り出す。

 毛布を両手で抱えて戻り、彼の身体に被せる。


 ルーシェは自分の身体にも毛布を掛けて寝転んだ。


(せっかくだし、わたしも今日はこのままここで寝ようかな。起きたときは身体がバキバキに固まって苦しむことになるだろうけど、こんな絶景を見ながら眠る機会なんてそうそうないものね)


 しばらく無心で星空を眺めた後、ルーシェは身体を横に向けた。


 規則正しい動きで上下する胸。わずかに開いた唇。伏せられた長い睫毛。

 無垢な子どものようなジオの寝顔を見て、ついつい笑みが零れる。


 公爵邸や魔法学校の寮では安らかに眠れた試しがないが、隣にジオがいるとルーシェは不思議とぐっすり眠れた。


(おやすみなさい)

 心の中でそう唱えて、ルーシェは目を閉じた。


     ◆  ◆  ◆


 ふと目を覚ますとルーシェの顔が目の前にあって、ジオは思わず仰け反った。

 ルーシェはジオと向かい合う格好で、穏やかな寝息を立てている。


(………………は?)


 一瞬、状況が掴めずに混乱した。


 星空に飽きて寝たのは覚えている。

 ジオに毛布をかけたのはルーシェだろう。


 しかし、何故ルーシェも敷布の上で寝ているのか。


 彼女は毛布を被り、ばっちり眠る準備を整えていた。


 つまり、ここで――ジオの隣で眠っているのは間違いなく彼女の意思。


 しかもルーシェは自分の右手を握っている。

 これはわざとなのか無意識なのか。


(……なんで天幕じゃなくここで寝てんだよ。なんで抵抗なくオレの横で眠れるんだ。成長したのは身体だけで、こいつの精神年齢は十二歳のまま止まってんのか? 仮にも公爵令嬢だったんだろ? 淑女としての慎みや恥じらいはどこにいった? こんなに無防備で大丈夫なのか? 頼むからオレ以外の男の前で寝るなよ? 本当に頼むぞ?)


 長い銀髪を花弁のように広げ、すやすやと気持ち良さそうに眠るルーシェを見つめて真剣に念じる。


(とにかくルーシェをこのままここで寝かせるわけにはいかない。天幕に移動させよう)


 白い彼女の手から自分の手を引き抜こうと試みる。が。


「……んー」

 ルーシェは嫌がるように眉間に皺を寄せ、小さく唸った。


 そればかりか、強くジオの手を握り、その手を自分の胸に抱くようにして身体を丸める。


 まるで子どもがお気に入りのぬいぐるみを抱いているかのようだ。


 離したくないという強い意思を感じる。


(なんだこの可愛い生き物は……こんな可愛い生き物が存在していいのか? って、いや違う、そうじゃねー! 場所がまずい! オレの手がルーシェの胸に当たる!!)


 顔が熱くなるのを感じながらジオは握られた手を引っ張り、なんとか魅惑の危険地帯から脱出させることに成功した。


 全身の筋肉を弛緩させ、肺に残っていた全ての空気を吐き出すように長々と息を吐く。


(……こいつは本当に、人の気も知らないで……)


 ルーシェの腕を掴み、自分の手から離す。

 静かに起き上がり、入り口を開けるべく天幕へ移動しようとしたときだった。


 木々の葉擦れの音とは異なる音が聞こえた。


 反射的に動きを止め、全神経を耳に集中させる。


(この羽音……鳥じゃねーな。鳥にしては羽音が大きすぎる)


 考えるよりも先に身体が動いた。


 敷布に置いていた剣を掴んで抜き放ち、ルーシェを庇う位置に立つ。


 果たして、美しい星空を遮るようにして現れたのは鳥に似た魔獣――グリフォンだった。


 獅子のような身体に鷲の頭。大きな白い翼に赤い鉤爪。

 あの赤い鉤爪と嘴は人体を簡単に引き裂く凶器そのもの。


(二、いや、三メートルはあるか)


 グリフォンは動物の肉や内臓を好む。

 そしてもちろん、人間も動物の範疇に含まれた。


 捕まれば宙づりにされ、生きながら食われることになる。


(――接近してきた瞬間に一刀で首を落とす)


 夜風がふわりと緋色の髪を揺らしたが、ジオは微動だにしなかった。


 剣を握る手に余計な力はこめず、迫り来るグリフォンを見据えて攻撃の機を待っていると――


 ――バチンっ!!


 空中に突如として半透明の壁が現れ、激しい火花が散った。


 半透明の壁――ルーシェが展開した防御魔法はグリフォンをただ弾くだけでなく、三メートルを超える巨体を一瞬で黒焦げにした。


 炭化した巨体は墜落し、崖の下へと消える。


(…………ええー……?)


 完全に毒気を抜かれて振り返れば、ジオの足元でルーシェは相変わらず眠っている。


(……すげーな。どう見ても完全に寝てるのに、寝てても防御魔法は自動で発動するのか)


 さすがは元・《国守りの魔女》だと素直に感心することはできない。


(なあ、ルーシェ。ただの孤児だったお前がここまでの力を身につけるまでにどれだけの汗と涙を流してきたんだ?……)


 剣を鞘に戻して彼女の前に膝をつき、痛々しい気持ちで寝顔を見つめる。


 離れていた五年間、彼女は本当に頑張ったのだろう。


 頑張ったのに、報われず、全てを失ってここにいる。


(なんでこんなことになったんだよ。裕福な貴族の娘になったお前は優しい王子と結ばれて、王宮で幸せに暮らすんじゃなかったのかよ……これじゃなんのためにオレは笑顔でお前を送り出したんだ。誰よりも幸せになって欲しかったから、オレはお前を諦めて手を離したのに)


 唇を噛む。血の味がした。


(……お前は知らねーだろうけどさ。全部失って弱り切ったお前が真っ先にオレを頼ってくれたのは本当に嬉しかったんだ。お前がオレと一緒と居たいっていうなら、オレはお前を守るよ。必ず。今度こそ誰にも傷つけさせない)


 五年もの間、たった一人で国を守り切った偉大な魔女に忠誠を誓い、その額に手を当てる。


 手を掴まれたお返しだ。これくらいは許されるはず。


(これから一緒に探しに行こうな。お前が無理せず、心から笑える場所を――)


 ジオの想いは眠る彼女に届いたのかもしれない。


 ルーシェは幸せそうに頬を緩めて笑った。

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