第4話 誇るべき錬金術師の本領

 炎の中で、赤く焼けた薪がバチバチと音を立てて爆ぜている。

 トキシーさんと同じように屈んだ状態でそれを眺めて、私はポツリと呟いた。


「明るいうちの焚火って、全然大したことないんですね」

「もしかしてキミ、焚火を見てると吸い込まれそう、とか言っちゃうタイプ? あれはね、周りが暗くて無音のときに感じられるただの錯覚だよ? 焚火は焚火さ」


 わ~、夢がない。

 この人、痴女のクセに全然言動に夢がないぞ。痴女なのは関係ないけど。


「それよりも……」

「何だい、いきなりわたしを見て?」


 私に視線を向けると、トキシーさんも私を見返してくる。

 そのほっぺが、今もせわしなく動いている。


「何で正気を保っていられるんですか?」

「今朝に引き続きの質問だけど、二回目ともなると響きの重みからして違うね」


 トキシーさんに苦笑されてしまった。

 そういうものかな。そういうものかも。私にはすぐにはわからないけれど。


 ただ、私はそこにある疑問に答えを得たいだけだ。

 近くに『答え』があるのなら、誰だってそれを知りたいと思うに決まっている。


「なぁに、ちょっとわたしの体質が特殊なだけさ。――って、そんな『答え』じゃ納得しそうにないかな、今のピュリィは。目でわかるよ。知識に飢えている目だ」

「そうですね、それじゃあちょっと納得には遠いですね」


 私が言うとトキシーさんは「だろうね」と肩をすくめる。


「でも、朝に限ってはそれが『答え』なんだよ、残念ながらね。わたしの体は毒に強いのさ。タネも仕掛けもなしに、それだけのことなんだよね~、これが」

「…………」


 嘘。ではないように感じられた。

 トキシーさんは態度こそおちゃらけているが、でも、しっかりと断言している。


 私には、人の顔色を正確に読み取ることなんてできない。

 それでも彼女の軽い断言の奥には、絶対に揺るがない確信のようなものが見えた。


「――って、あれ? 朝に限っては、ですか?」

「気づいたね。いい子だ。人の話をちゃんと聞けるのはそれだけで美点だよ」

「むゥ……」


 トキシーさんの褒め方は、どう聞いても子供に対するもので、私は不満を覚える。

 見た目は子供っぽいけど私だって十五歳、立派に成人しているのだ。


「子供扱いしないでくださ――」


 と、今度こそ文句を言いかけたら、いきなり眼前に突き出された、黒い何か。


「それじゃあ、二度目の質問に対する『答え』だ。食べてごらん」

「た、食べてごらん、って……!?」


 差し出されたのは串に刺さった焼かれたキノコ――、そう、メギドダケだ。

 な、何てものを突きつけてくるのだ、この人は!


「変なこと言わないでください。食べられるはずないでしょう!」

「おや、どうしてだい?」


 血相を変える私に、だけどトキシーさんの反応は、あまりに信じがたいもの。

 この人、メギドダケを突き出したまま、心底不思議そうな顔をするのだ。


「信じられない……。人に猛毒を食べさせようとするなんて!」

「猛毒? 何言ってるんだい。こいつは解毒剤だよ?」

「……はぁッ!?」


 暗くなりかけた森の中に、私の二度目の驚きの声が響き渡った。


「何を言ってるはこっちのセリフですよ! メ、メギドダケなんですよ!?」

「そうだね、これはどう見ても、焼いただけのメギドダケさ」


「そんなものが、何の解毒剤だっていうんです! 魂砕きの猛毒なのに!」

「それさ」


「え?」


 心から愉快そうな顔で、トキシーさんはそう言った。

 そして、私はその声にまたも感じてしまう。彼女の声が帯びる、不動の確信を。


 呆気にとられる私の手に、彼女はメギドダケの串焼きを持たせた。

 そしてまた、言うのだ。


「食べてごらん。君も、錬金術師だろ?」


 意味がわからなかった。

 錬金術師だから、何だっていうのか。それとメギドダケに、何の関係があるのか。

 半ば混乱したままで、私は手渡されたメギドダケに目を落とす。


「……これ」


 美味しそうだった。

 そう感じた自分はおかしくなったのかと思った。


 でも、確かに美味しそうだった。

 生の状態では真っ黒なのに、焼かれると色が変わって、深い茶色みを帯びている。

 それは程よく焼かれたお肉を思わせる、食欲をそそる色合いだ。


 表面も実に柔らかそうな質感をしていて、噛み応えがありそうに見えた。

 そして、匂い。これがまた強烈に胃に訴えかけてくる感じの匂いをしている。


 そういえば、私、お昼ご飯も食べてなかったんだ。

 今さらそれを思い出して、クゥ、とおなかが鳴ってしまう。


「…………」


 私は、チラリと前にいるトキシーさんを見る。

 彼女は何も言わないまま、笑顔のままで私をジッと見つめている。

 丸眼鏡の奥にある金色の瞳の、蜂蜜みたいな光沢が綺麗だ。


 だけど、これはメギドダケ。

 食べたら魂が砕ける猛毒のキノコ。いくら美味しそうに見えても、さすがに――、


 そう思ったとき、場にゆるい風が流れた。

 そして焼きメギドダケの匂いがその風にあおられて、こっちに流れてきた。


「あむ」


 あ。と、思ったときには遅かった。

 毒に対する警戒よりも、空腹感が遥かに優って、私はメギドダケをかじっていた。


「――――え、これ」


 かじった直後、私は驚愕に目を剥いた。

 メギドダケの果肉は予想を超えて柔らかかった。その上、瑞々しいこの歯応え。

 プリプリとした弾けるような食感は、新鮮なお肉を彷彿とさせる。


 しかも、噛み千切るのも苦ではなくて、非常に食べやすい。

 ここまででも十分驚きだが、さらに驚愕するのは、噛んだ瞬間に感じられる旨味。


 塩なんて使っていないのに舌先が感じる、濃厚なキノコの味わい。

 そこにある深いコクとまろみが、口の中いっぱいに広がって私の心を高ぶらせる。


 それが一度ではないのが、また驚きだった。

 噛めば噛むほどに旨味エキスが果肉から溢れ出してくる。

 たった一かじり分の果肉に、とてつもない密度で旨味が凝縮されている。


 止まらない。咀嚼を、止められない。

 朝の薬草採取のときに出会ったトキシーさんのように、私はひたすら噛み続けた。


 ああ、ダメ。これはもう、言葉にならない。

 とにかく、ただひたすらに美味しい。美味しすぎる。


 何これ?

 何なの、これ……ッ!?


 未知の感動に、私は体も心も打ち震えた。

 私の中にあったメギドダケに対する印象と認識が、今、激しく揺らいでいる。


「どうだい、美味しいだろ?」

「……はい」


 飲み込んだのち、そこに感じる後味にみたび感動を覚えて、私はうなずいた。


「OK、見事に『毒抜き』は成功だ」


 トキシーさんが可愛らしくウィンクをする。

 その言葉に、私はようやく、彼女が言う『毒抜き』の意味を把握した。


「『メギドダケは食べられない』。その認識が、私を蝕む『毒』だったんですね」

「御明察。キミは頭の回転も速いみたいだね」


 トキシーさんは満足げにうなずいた。当たっていたらしい。

 メギドダケはやり方によっては食べられる。

 その新しい知識こそ、間違った認識という『毒』を消す解毒剤だったのだ。


「教えてください。どうやってメギドダケを無毒化したんですか?」

「おっと、そこまでわかっちゃうかい?」

「当たり前じゃないですか。生でメギドダケを食べられるトキシーさんが、わざわざ焼くという調理法を試してたんですよ? それって無毒化できたからですよね?」


 メギドダケは、従来のやり方では非常に無毒化がめんどくさいキノコだ。

 仮に無毒化したとしても得られる薬効は非常に小さく、錬金素材としては下の下。


 しかも、無毒化したあとは食材としても不適当。

 煮ようが焼こうが、どう手を尽くそうと美味しくできない。それが定説だった。


 だが、その定説は覆された。

 覆したのは、目の前にいるトキシーさん。当然、どうやったのか知りたくなる。


「――フフフ」


 トキシーさんは笑って、まだ焼いていない毒まみれのメギドダケを手に取る。


「菌根菌、というものを知っているかい?」

「キンコンキン? ……えっと、それって確か、周りの植物と共生してる?」


 私がそう答えると、トキシーさんはますます笑みを深める。


「そう、そいつだ。周りの植物と協力関係を築く菌糸類を、菌根菌と呼ぶ」

「もう一種類は、腐生菌、でしたっけ?」

「その通り。動物の死体や、朽ちた植物を栄養源にして育つのが腐生菌だね」


 菌根菌と腐生菌。

 菌糸類であるキノコは、大きくはその二種類に分類される。


「ではピュリィ。このメギドダケは、どっちだと思う?」

「菌根菌ですよね。そこにもあるペトラスの木と共生関係にあるはずです」


 私は、近くに生えている太い木を指さした。

 表面がかなりゴワゴワしている、灰色っぽい色をした木だ。


「そうそう。メギドダケはペトラスの木と共生関係を構築する。ペトラスの木はメギドダケにエネルギーを分け与え、メギドダケはペトラスの根の働きを助けて、地中の水分と養分の吸収効率を上げている。つまり、両者は二つで一つ。ワンセットだ」


 トキシーさんが口にしたワンセットという言葉に、私は閃くものをがあった。


「もしかして、ペトラスの木が、メギドダケを無毒化させる……?」

「大正解!」


 声を楽しげに弾けさせ、トキシーさんは私に何かを見せてくる。

 それは、水が張られた桶だった。切り取られたペトラスの木の枝が差してある。


「底を見てごらんよ」

「あ、メギドダケが……」


 桶の底に、何個かのメギドダケが沈んでいる。

 よく見ると、水の色も何だか濁っているような……。


「樹液だよ」

「樹液。ペトラスの木の、ですか……?」


「そうさ。ペトラスの樹液を混ぜた水にメギドダケを漬けると、毒が消えるんだ」

「た、たったそれだけのことで、あの魂を砕く猛毒が……!?」


 明かされた『答え』に、私は驚嘆し、絶句する。

 それは、とても単純で簡単で、簡潔で明瞭で、誰にでもできる方法だった。


 そう。誰でもできる方法。

 だけど同時に、今まで誰もやらなかった方法だ。


「ま、この方法による無毒化は、メギドダケの毒素を全部旨味成分に変えてしまうから、錬金素材としては使えなくなってしまうんだけどね」

「……調味料もなしにあれだけ美味しかった理由はそれなんですね」


 トキシーさんの説明を聞いて、私は納得する。

 強烈な毒素がそのまま旨味へ還元されたからこその、あの美味しさだったワケだ。

 同時に、今まで感じたことのない激しい興奮と胸の高鳴りが私を襲った。


「すごいです!」

「おぉ?」


「トキシーさん、すごいです! これって大発見じゃないですか!」

「おっと、いきなりテンションが上がったね」


 メギドダケが浸かる木桶を見て騒ぐ私に、トキシーさんは軽い驚きを見せる。


「でも残念ながら、わたしが見つけたこの方法は『メギドダケが錬金素材として使えないこと』の証明にもなってしまった。錬金術師としてはやや不満の残る結果だね」


 彼女はそう言って、あごに手を当てて小さく息をついた。

 確かに、メギドダケはその毒性の高さから素材としての効果が期待されていた。


 でも、トキシーさんが見つけたのは、毒性の全てを旨味に変えてしまう方法。

 それは事実上、素材としては使えないということだ。


「それでも、食材としてはすごいものですよ、これは!」


 興奮冷めやらぬ私は、そう言って、トキシーさんを称える。


「ただ焼いただけなのに信じられないくらい美味しくて、これが料理になったら、どれだけ素晴らしいものができあがるんだろう。って、思わされました!」


 語る私の脳裏には、自分の功績ではないにも関わらず夢が広がっていた。

 メギドダケを使った料理に誰もが舌鼓を打つ未来。


 しかも、メギドダケはこの森に大量に群生しているから値段も高くなりにくい。

 これはアーネチカの新たな名物にできるものだという確信が、私の中に湧く。


「このことは、街に広めるべきです! きっとみんなが喜んでくれます!」


 成人しているのに恥ずかしげもなく私ははしゃいだ。

 でも、それは仕方がない。

 だって私の目の前には、とんでもない大発見をした錬金術師がいるのだから。


 そう、これだ。

 これが錬金術の、そして錬金術師の本領なのだ。


 一つの新たな発見が、多くの人々の幸福へと繋がっていく。

 一般の人には理解されにくい魔法の中で、錬金術は人々の生活と直結している。


 人々に喜びを。より良い暮らしを。そして社会に便利さを。発展を。

 錬金術はそれを可能とする。だから私も錬金術師として研鑽をし続けて――、


「まぁ、無理だろうね」

「……え?」


 呟かれた彼女の一言は、熱に浮かれていた私の心をサッと冷やした。

 トキシーさんが顔に浮かべている笑みはいつの間にか、苦笑に変わっていた。


「さすがに盛り上がりすぎだよ、ピュリィ。メギドダケの無毒化程度のことで」

「て、程度って……!?」


 彼女の気のない口ぶりに、私は衝撃を受けた。

 メギドダケの無毒化による食材への転化は、間違いなく大発見だ。


 それを、トキシーさんは取るに足らないことだと言い切ってしまう。

 そんな……、どうして?


「この情報を公開しても、街の人達のほとんどは耳を貸さないだろうね。逆に、あらぬ邪推や憶測を呼んでしまう可能性もある。わたしは、それはイヤだな」

「な、何でそんな……」

「決まっているだろう。


 諦観たっぷりの物言いで、トキシーさんは肩をすくめる。

 彼女の言葉は、動揺しかけていた私を現実という名の凶器でブン殴った。


「十年前なら、きっと持て囃されていただろうね」


 そう続けるトキシーさんに、私は、忌まわしいあの事件のことを思い返した。

 錬金術師の地位を失墜させる原因となった、十年前の、あの事件。


「――『魔王事変』」

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