第7話 パニック役員会

 檸檬が町会長の兜を見つめて黙ったまま、全く動かなくなってしまい、その間は皆がこちらを向いて黙っていたので、とうとう居た堪れなくなって、私が話し始めた。

「えーっ……と。会長、この度は急なご連絡だったのにお集まり頂いて、感謝いたします。こちらは、昨日から人参房で働くことになった新入りの、檸檬と申します」

重たい髪の毛からマチルダ会長の兜を呆然と見つめている檸檬を指して、頭を下げた。会長は檸檬が自分の頭を凝視して黙っているのが、何も気になっていないようである。むしろ、一番気にしているのは私かもしれない。そんなに人をまるでべらぼうな値段の骨董品を眺めるような目で見るのは失礼だからやめなさい、と耳打ちしたいのを堪えるのも精一杯である。町会長は檸檬の暗い瞳を眼鏡の奥から見つめた。

「ほぉ……よろしくね」

檸檬はそれでも口を開かなかったので、たまらなくなって私はレモンの背中を押した。

「ほら、ご挨拶を——」

檸檬はやっと魂を取り戻したように体を一瞬震わせた。

「あ? ああ。檸檬だ。よろしく」

敬語を使え! と檸檬の頭を叩きたくなるのを我慢しながら、私は役員会の皆と町会長の顔を恐る恐る伺った。静まり返った空気を気にすることなく、檸檬は会長の兜を指差す。

「あんたが被ってる、この派手なものは、なんだ?」

私は、マスクの中で顔中の血が無くなっていくのを感じた。檸檬の無礼を無礼で上塗りしたような態度を目の当たりにした会場は、さらに静寂を極めている。会長は黙って檸檬の顔を見ていた。檸檬はこの州ガモの皆からすれば他所者であり、ましてやその長に対してこんな態度をとるようでは余計に怪訝な目で見られることは火を見るよりも明らかだ。そして、そんな彼女を招き入れた私の立場すら危ぶまれるし、とにかくおとなしくしておいてもらわなければ、困る。

「おい檸檬君、いい加減にしなさい! 会長、本当にすみません……いいかい、人のファッションに疑問を呈するんじゃ、ないよ」

私は檸檬に代わって頭を下げ、檸檬を諌めた。滝川はやれやれと眼鏡を親指と人差し指で摘んでため息をついている。

「キケケ、別に構わんよ。この兜は特注、特注なんだ」

町会長は兜を檸檬に見せびらかすように頭を傾けながら、蛙のように笑った。機嫌を損ねている訳ではなさそうだし、煮えたぎる怒りをなんとか抑えている様子でもなかったので、私はひとまず安心した。町会の皆も会長が笑ったのを皮切りに、許可を受けたように笑いだした。

「はぁ……」

私がため息をつくのも束の間、町会長はすぐに面持ちを変えて咳払いをすると、皆は一斉に黙ってこちらを向いた。

「して、バニ沢。今日は“透明人間”について、何か知っているとのことで我々を招集したのだな。次の犠牲者が出る前に儂らも情報が欲しい。さっさと説明してくれ」

重たそうな兜が町会長の頭の上でまた揺れる。町会長は余裕のある笑みを崩さなかったが、鉄を圧縮するプレス機のような恐ろしい圧をマイルドに込めた声色で、私に優しく詰め寄った。話を脱線させたのは檸檬だが、彼女を連れてきた私に一切の責任がある。どことなく理不尽だと思いながらも私は、へこへこと体の角度を変えながら町会長と役員会の皆様に五回ほどお辞儀をしてみせた。

「そうでしたそうでした。実はかくかくしかじかで——」

滝川がホワイトボードに図を書いてみたり、檸檬が時折付け加えたり(最も、彼女の言うことは私たちにそれはほとんど理解することができなかった)、我々は二十分ほど、昨日我が店人参房で起こった恐ろしい事件と、フロイトへの対抗手段を解説した。

 単刀直入に言うと、町内会の皆様は私たちの話をほとんど、否、全く信じている様子ではなかった。あのルクス夫人ですら少し顔を顰めているのが悲しい。滝川は気まずそうに歯を見せて苦笑いをしているが、今や愛想など無意味である。呉服店の女将が手を挙げ、議長を兼任する町会長が発言を許可した。

「どうぞ」

「今の話、あたいは信じられんね。バニ沢さんと滝川ちゃんのことは疑いたくないけど、昨日、州ガモでは“透明人間”、あんた達によれば戦争の兵器による攻撃で、人が立て続けに亡くなる事件が起こった。その時にちょうどそこの——檸檬ちゃんだっけ——が、州ガモ、そして人参房にやって来た。で、バニ沢さんたちも攻撃されて、たまたまそこに居合わせた檸檬ちゃんがそれについて知ってたなんて、ちょいと偶然にしては、話ができすぎじゃないの。当然あたいら市民は戦争の兵器のことなんて知ったこっちゃないのに、あんた、何者なんだい、もしかしてあんたが——」

女将は鋭い目線で檸檬を見た。町内会の皆にしてみれば、その主張は尤もである。ただ昨日一日ともに過ごした私としては、あんなにカレーを美味そうに頬張るいじらしく、無知な少女が見ず知らずの他人を殺戮するようにはどうしても考えられない。分が悪いことに変わりはないが、私はどうにか檸檬を弁護しようとした。

「ちょっと待ってください! 檸檬さんだって昨日襲われたんですよ」

私より先に、女将に抗議したのは意外にも滝川であった。

「あんたらが騙されてる可能性だってあるんじゃあないかね」

パン屋の愛情画池さんが、苦虫を噛み潰したような顔をして口を挟んだ。他の人々も口々に「そうだそうだ」「あの子が犯人ってこと?」「とりあえず、出ていってもらわないと」と言い出して、いよいよ我々の立場が危うくなって来ている。

「そんな……」

滝川は州ガモの住人の反応に本気でショックを受けたのか、いつになくげんなりとして、萎びたキノコのようになって座り込んだ。檸檬はさっきから居心地悪そうに、青白い顔から血の気をひかせて、ただ俯いて疑念の目と言葉を耐えている。なんとかしなければならない。

「皆さん、お気持ちはよぅくわかりますが、もう少し話を聞いてください」

私は気丈に振る舞ったが、逆効果だったかもしれない。

「バニ沢さん、会場のほとんどがその子を疑ってるんですぜ」

「その子が本当に悪くないんだとしても、今はそれしか手掛かりがないんだから疑うなってのが無理な話なのよ。こっちは死人が出てるんだから」

「マスター、あんたも州ガモの住人だろ? 同胞が殺されてるってのに、他所者の味方をすんのかい?」

心無い言葉が次々と飛び交う。当の檸檬はただ俯くばかりである。

「他所者だなんて! 彼女も、立派な州ガモの住人です!」

自分でもびっくりするような声が大きな声が出て、皆が静まり返る。

 町会長が、静かになるのを見計らっていたように話し始める。

「事態は思ったより深刻かもしれんな。人参房のお二人を疑うようで心苦しいが、檸檬くんに関してはこれから我々でも尋問——は言い過ぎだな。色々と出自についてとかを聞かねばならん。事件解決と街の治安維持のためだ。協力いただけるかね」

マチルダ町会長は、枯れた花みたいにくたびれた顔で項垂れる檸檬をみた。

「私は——」

檸檬がぼんやりと口を開いた時、我々が今いるふるさと会館に異変が起こった。まず最初に、小さく何かが軋む音がして、その後にすぐ、確実に木か何か、硬くて大きなものが壊れる音が響いたのだ。まるで、ポルターガイストである。

「えっ!?」

「なんだなんだ!」

「地震か」

黙って会長と檸檬を見ていた町会の皆が狼狽え始めた。天変地異が起こり始めている。嫌な予感がする。滝川も私と同じ考えらしく、帽子を抑えながら音を立てて揺れるシャンデリアを見ている。

「店長、これって——」

「来たかもしれないな。“フロイト”が」

古い建築様式の吹き抜けの天井の板と屋根瓦と、それらを支えていた太い樫の木の柱が音を立てて、まるでふるさと会館の上空にブラックホールでも出現したかのように剥がれて飛んでいってしまった。屋根が剥がれて青空だけが見え、私たちが唖然としていると、今度はふるさと会館の四方の壁が、最初からはりぼてであったかのように、同時にばたん。と後ろの方向に倒れた。

 私たちが今呆然と立っているのは、ちょうど箱を畳んだ時と同じ、直方体の展開図と同じような形になってしまった、ふるさと会館“だった”場所である。倒れた壁の向こうに州ガモの風景はない。緑の爽やかな草原がどこまでもどこまでも、他に一切の異物を含まずに海のように続いている。ここはまるで孤島。我々は一瞬のうちに漂流者となってしまったのだ。

「おい、どうなってんだよ。どこだいここは」

「いやだ、ふるさと会館壊れちゃったわよ!」

皆、パニックになっている。

「なんだあれ!? 上に何かあるぞ!」

「ブラックホールかしら、それとも……」

町会長は皆が指差して恐れている先の上空に浮かんでいる、ゼリー状の黒い、直径十メートルほどの巨大な球体を見た。

「町会長、皆さん。これで私たちの言い分も少しは信じてくださるでしょうか。あれが、あれこそが私たちを襲っている“透明人間”の正体なのです。ここは神経に干渉する兵器が私たちの脳をジャックして作り上げた空間、イデア。人の精神に入り込み、そこから体を破壊する恐ろしい兵器——誰による攻撃なのかは見当もつきません。目的も全くわからない不気味な兵器。それから逃れる方法もない。しかし、この兵器の攻撃に、唯一かつ絶対の対抗手段をすでに我々は手にしているのです。先ほど説明しましたね——」

「イマジネーション、すなわち想像力、じゃったな」

私が混乱している州ガモの連中に、先ほどまでのことが間違いでないと証明しようと躍起になるのを遮って、町会長は不敵に笑って正解を言った。

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