ステキなステラ

脱水カルボナーラ

第1話

 青く輝く生命の星、地球。私は宇宙の片隅に浮かぶこの小さな星の、そのまた片隅の街で産まれた。時は大宇宙時代。私達地球人も当たり前のように異星人と交流し、幾万光年離れた遠くの星々まで自在に行き来して暮らしている。寧ろ、この時代に生きる私たちにとっては、太陽系の惑星だけで世界が完結していた時代があるなんて話の方が想像もつかない。地球人も大昔は、同じ小さな星に住む同じ種類の生物なのに、地域ごとの個体差だけで大変珍しがりあったそうだ。

 でも、そんなのは数えるのを諦めるほどに遠い遠い過去の話。異星人の来訪によって超光速飛行技術が伝来してから、私たちにとって、地球はずっと小さいものになって、そして宇宙はもっと果てしなく広がった———と、地球史の先生も言っていた。先祖達は異星人のことを侵略者だと思って警戒していたらしいけど、今はどんな星の人も友達。殊に、現在の地球は星間交流都市として栄え、宇宙中から様々な人が集まる。そんな時代。

 私は、この広い宇宙である野望を叶えるために、たくさんたくさん勉強してきた。そして遂に今日から、宇宙トップクラスの巨大企業、ゼノ・ユニヴァースグループへ入社することになったのだ……。

「———って、言ったはいいけどここ、どこ!」

内定を承諾してからすぐ送られてきた書類の通りの場所に、私は地球から遥々五つの星を経由して、自家用宇宙車を飛ばしてやってきた。

「なんなの。新車のはずなのに……ナビが不良品だったのかな!? いや、確かにこの座標で合ってるし——ああもう、連絡先どこにも書いてないんだけど!」

私は大きめの独り言を呟きながら、運転席で書類を隅々まで読み直した。ここは大きい惑星のすぐ近くで、周りにもお店が所々にあり、車や宇宙船もそこそこに行き来しているものの、私以外の新入社員らしき姿は明らかに見当たらなかった。通り過ぎる船は皆、停止している私など機に求めず、どこか闇の彼方へと飛び去っていく。

「大企業なんだから沢山人が居るはずなのにどうしよう………もしかして私今、迷子?」

もたもたしていても仕方ない。両親に連絡……いや! 反対する両親を押し切って家を出てきた。初日で泣きつくのは気が引けるし、そもそも今使える設備では地球に電波が届かない。

 何度ナビと書類を照らし合わせてみても、この場所に違いはないはずだった。この状況から、私が導き出せる答えは一つ。

「——ま、私が一番乗りってことだよね! だって集合時間まであと三十分もあるし!」

私はナビとこの書類と、自分の前向きさを信じることにして、虚空の中で一人、大量の荷物を積んだ車の中で他の人たちを待った。

 しかし、入社式まで残り五分になっても誰も来なかった。私は完全に遭難した。

「本当に誰も来ないじゃん! じゃあ本当にナビが壊れてたってこと!? ああ、もうどうしよう! 座標が間違ってるんだとしたら、何日かかかるかも——初日から遅刻のレベルじゃないよ!」

詰みだ。折角の宇宙社会人生活、のっけから大失敗になるとは思っていなかった。どうしよう。もうダメだ、キャリアに傷がつくかもしれない。そんな情けない思考だけが私の頭をぐるぐる回った。

「———そうだ! せめて配属先の連絡は分かんないにしても、本社かなんかにでも連絡しよう……社会人の基本、報連相! 引き継ぎしてもらって部署の人になんとか説明しよう……」

私が車の通信システムを起動しようとしたその時、着信音が鳴った。

「え!? どうしよう、もうバレたのかな……遅刻したこと……」

先輩、上司からの電話をシカトなんてできるわけがない。覚悟を決めて、私は車のモニターに映る通話ボタンを押した。ああ、初日から迷子で遅刻なんて舐めた真似をして、モニター越しでも分かるほどに不機嫌そうだったらどうしよう、気性の荒い異星人だったらどうしよう——そんな不安が私の頭を満たした。

「え?」

私は思わず声を漏らした。だって、モニターに映ったのが想像と全く違う印象の人だったから。

『ヤッホ〜』 

気だるげな三白眼、青色にも銀にも見える長い髪が片眼を隠していて、薄紫色のレンズのメガネを掛け、そして奇妙な形のツノが頭から生えた、美人の異星人が手を振っていた。この特徴のある容姿はおそらく、芸能人に多いゼパイド星人だろうか。珍しい種族で、こうして話すのは初めてだ。

『新人の子だよね。うん、集合時刻ちゃんと守れてるね。優秀』

腕時計を見ながら、美人な異星人は気の抜けた声でそう言った。私はこの異星人の美貌と、それからその言葉の内容に驚いた。

「私、間に合ってます!? あと、他の人はどうしてここに居ないんですか?」

ツノの生えた美人の先輩の方は、逆に私の態度を不思議がった。

『ん、間に合ってるけど? あと、あんた以外の新人はもう居ないよ。アタシはジゼ。あんたのせんぱ〜い。詳しい自己紹介は後でね』

とりあえず迷子でもなかったし、ナビは壊れていなかったし、遅刻でもなかったみたいで、本当に良かった。しかし、私はジゼと名乗る先輩の言っていたことが気になった。

「私以外いないって……どういうこと?」

どことなく嫌な予感がする。

『じゃ、とりあえず案内するから着いてきて〜』

ジゼ先輩は私の独り言を気にしていないようだ。ジゼ先輩が言い終わるか終わらないかの間に、操縦席の上の方に一瞬影が巡った。

「あ! いつの間に!」と私は言った。

前方には地球の会社でないメーカー製の車の後ろ姿があった。

 それからは特に会話もなく、ジゼ先輩の鼻歌だけをモニター越しに聞きながら、殆ど周りに何も無さそうな航路を進んだ。

『着いたよ〜。あそこ』

ジゼ先輩が突然鼻歌を歌うのを止めた。目の前にあったものに私は驚き、声を漏らした。

「えっ?」

地球人的な感覚で言えば、広さはせいぜい三、四百メートル四方の小さな小惑星が前方にあった。殆ど無骨な岩にしか見えなかったが、その上にはこじんまりとした建物が見える。建物に隣接されている透明なドームの中に何やら植物らしき緑色が見え、その手前の駐車場らしき場所にいくつかの小さい車と宇宙船が申し訳なさそうに並んでいる。ほとんどの人種が適応できるように安定した重力と大気を発生させる、環境安定人工衛星“デボナ”がその小惑星の周りをゆっくりと飛んでいた。

「あの、向こうの大きい惑星に降りるんじゃないんですか…?」

私は窓の左下に見える、地球の三倍はありそうな惑星の方を向いてそう言った。

『みんなそれ言うんだよね〜。残念ながらあっち』

そう言って、ジゼ先輩は小惑星の方へと進んでいってしまった。

「えっ……ちょっと待ってください!」

私は考える間も、現実を直視する間もなく急いでアクセルを踏みこんだ。

 小惑星の地面は、意外とよく舗装されているみたい。駐車スペースはわかりやすく白線のマス目で区切られていて、ジゼ先輩の車と私の車は隣り合ってそこに着陸した。

 私はドアを開け、社会人として記念すべき第一歩を踏み出した。まさか、小惑星でこの一歩を踏み出すことになるとは思わなかったけれど——。

「お疲れ様。遠かったでしょ?」

ジゼ先輩の方も車から降りてきた。生身の先輩は私よりもずっと背が高くて、スタイルも抜群だった。どこかアンニュイな雰囲気を纏っているのが余計に魅力的で、一目惚れしてしまうほどの美人。生のゼパイド星人と話すのは初めてで、私は柄にも無く緊張してしまった。

「え!? 全然です。もう、かっ飛ばしてきちゃいましたから!」

「そうなのぉ? 良かったら後で旅の話でも聞かせてね。じゃ、取り敢えず事務所に行こう。新歓兼、自己紹介ってやつ。荷物は……見た感じ沢山あるっぽいけど、荷解きは色々話が終わってからで大丈夫?」

「は、はい!」

ジゼ先輩は変わった形のツノを触りながら、私に優しく話しかけてくれた。とりあえずこの方はいい人そうでよかった。

「ガッカリしたでしょう。こんなショボいとこ配属で」

いきなり図星を突かれて、顔が引き攣った。

「え!? いや! 全然!」

まだ間違った場所に召喚されていたのではないかという淡い期待を抱いていることは否定できない。咄嗟の下手な誤魔化にも、さぞその気持ちが漏れ出ていることだろう。しかし、天下のゼノ・ユニヴァースグループの人事がそんなミスをするとは考え難い。私の心は諦めの気持ちに偏っていた。

「ふふふ。正直なのね〜あんた。まあ最悪辞めちゃえばいいから、気楽にね」

気の利いたジョークなのか、本気でそう思っているのかはわからないが、とにかく適当な感じでジゼ先輩は笑っている。反応に困った私は苦笑いをしながら、ジゼ先輩の後に続いた。

 ジゼ先輩が首にさげた社員証をロックシステムにかざすと、建物のドアが開いた。

「おぉ……」

小惑星の上から見えた建物の中は、少し前の時代を思わせるレトロで小洒落た雰囲気の内装だった。入ってすぐの空間は応接間かラウンジらしく、片面の壁一面がガラス張りで、あの近くの惑星と、そして満天に輝く星々がよく見える。ガラスの壁の横には大きなテーブルが置かれていて、その反対側の壁面にカウンター型のキッチンもあった。市松模様のタイル張りの床が可愛らしい。

 キッチンのある側の奥にある階段の上はバルコニーのようになっていて、扉が幾つか並んでいて、広い屋内にアパートがあるような不思議な雰囲気だった。

「一瞬だけテンション上がったでしょう」

ジゼ先輩はさっきから、私の心を見透かしているのだろうか。

「いえ、じゃなくて、はい! じゃなくて……」

私が焦っているのを見て、ジゼ先輩は笑った。

「いいのいいの、みんなそんな感じだから」

先輩は私の明らかに失礼な振る舞いすら気に留めている様子は全くなかった。

『ハジメマシテ! ボク、マーフィー!』

「うわびっくりした! これは、ロボット……?」

可愛らしい機械音声が突如背後から聞こえ、私は飛び上がってしまった。

『コンニチハ!』

振り向くと、つぶらな瞳と上がった口角を塗装され、一輪の車輪でかかしのように自立しているロボットがいた。

「この子は MAF-4985型ロボット、通称“マーフィー君”よ。基本的に人畜無害だから仲良くしてやってね」

ジゼ先輩がそのロボットを撫でながらそう紹介した。

「は、はぁ……」

張り付いたようなそのロボットの笑顔に、何か裏がある気がした。マーフィー君は可愛いけど胡散臭いのだ。

「さ、みんなもそろそろ来るし、先に座って待ってよっか。昨日の夜もう一人、あんたの同期が来たのよ」

ジゼ先輩はそう言うと、私をテーブルの方へ押していった。私はジゼ先輩に促されて席につき、先輩は私の隣に座った。社会人初日、自分の状況を何一つ理解できていないままで不安だったが、もう一人同期が居ると聞いて少しだけ安心した。ただ、その同期がなぜ今日ではなく昨日到着したのか大変気にもなった。マーフィー君は椅子には座れないようで、ぐるぐるとその場を走り回っている。

「私の同期って、どんな感じの方なんですか? しかも、入社式って今日ですよね……」

「なんか、徹夜でここまで飛ばしてきたせいで一日間違えちゃったみたいなのよ。自己紹介はあんたが着いた後でまとめてやるってことにして、私たちも昨日はとりあえず寝かせたのよね〜。まだ起きてきてないけど。まあ、なんていうか——」

ジゼ先輩は携帯デバイスをいじりながら続けた。

「声も体も、デカいって感じの子だった〜」

先輩に返事するように、タイミングよく上の階に並んでいるドアの方から何か重たいものが落ちたような大きい音が聞こえた。

「もしかして……それって翼の生えた大男だったりしますか——」

嫌な予感がする。私が尋ね終わるより早く、どたどた騒がしい足音が階段を軋ませた。

「あ、起きてきた〜」と言って、ジゼ先輩が顔を上げた。

私は前にも同じような足音を聞いたことがある。

「今日からよろしくな! 俺の同期! って……嘘だろ……」

奥の階段を駆け降りてきた私の同期は、こちらの顔を見るなり驚いた表情をして言葉を詰まらせた。最悪だ。謎の小惑星に配属されたかもしれない上に、よりによってコイツと……。

「ゼン、なんでアンタがここに……」と私は絞り出すように言った。

 同期は黒い髪に琥珀色の瞳、尖った耳、筋骨隆々な体格、それから硬い鱗に覆われた大きな翼と尻尾を持った大男だった。私はこいつを知っている。そして嫌いだ。

「待って。あんたたち友達なの? 良かったわねぇ〜。同じ部署に配属されて」

先輩は睨み合っている私たちを見て呑気そうに言った。

「ちょっと待ってくれ! 俺は——」

「ちょっと待ってください! 私は——」

私と同期の男、ゼンが同じタイミングで訂正を入れようとした時、とてもダンディで渋い声が視界の外から割り込んできた。

「おお、もう一人の新卒の子が来たんだね。待たせてしまった。大きい方の新人くん、君も座っていいよ」

「オス! ありがとうございます!」とゼンは答えた。

その声は地球的な語彙で表すなら、イケボである。いや、きっとこの渋い声を聞いたらときめくのは宇宙共通だ。間違いなくこれはイケメン上司の声に違いない。私の経験がそう言っている。私は視線を落として自分の掌と白いテーブルを眺めた。

「あ、みんな来たね。じゃあ、これから特務課自己紹介パーティを始めま〜す」

ジゼ先輩はイケメン上司の声がした方を向いてそう言ったけど、私は緊張してそっちの方を向けなかった。椅子を引く音がする。声の主以外にも数人先輩がいるようだ。

 私は意を決して、顔を先輩方に向けた。テーブルの一番奥の一番偉い人が座るであろう、黒い上等そうな席には、思い描いたイケメン上司は——というか、誰も——座っていなかった。その席の上には、地球的感覚で言えば深海に棲んでいそうな、半透明の生き物が入った妙なデザインの水槽が宙に浮いていた。水槽は反重力ユニットの一種で浮かんでいるようで、水槽の上には一対のスピーカーが取り付けられている。その水槽の置かれている席の左右を挟むように、二人の先輩らしき人物が座っていたが、こちらの二人も異星人だった。皆一言では形容し難いビジュアルだ……。

「いやあ、今年もこの日がやって来たねえ」

どこからかまたダンディな声が聞こえた。

「あの——」

私は小さい声で言いかけて口をつぐんだ。謎の水槽から一本だけぶら下がっている五本指のロボットハンドが、テーブルの上に置いた端末の画面を叩いている。そして、水槽の中の生き物は、私の方を見つめていたのだ。

「まずは新人二人、入社おめでとう。遥々とやって来てくれて、本当に嬉しいよ」

再び、イケメン上司の声が広い部屋の中に響いた。でも、この場にいる誰も口を動かしていなかった。

「あの、さっきからいい声だけが聞こえてくるんですけど、どこからお話しされてるんですか? 放送とか……?」

ジゼ先輩は、きょとんとした顔をして言った。

「え? ボスの声だよ」

「いや、その、ボスって方がその、お見えになってないんじゃ……」

私の言ったことに、ジゼ先輩は首をゆっくりと傾げた。その仕草はむしろ私がするべきなのではないか。

「いるじゃん? ボスはあそこ」

ジゼ先輩は、黒い椅子の上にある水槽の方を向いてそう言った。声の主はあの中にいる半透明のキモかわな生物だというのだ! 

「絶対スピーカーで声加工してるでしょ!」

そう叫びたかったが、私は我慢した。入社式なんだから、真面目にやらなくっちゃ……。

「し、失礼しました! 私、気付いていなくて——」

私はとにかく焦って頭を下げた。

「ハハハ。いや、大丈夫だ。こんな見た目だからね。驚いただろう」

スピーカー越しから響く、ボスと呼ばれた生き物の笑い声が私の謝罪を遮った。その通りですと頷くわけにもいかないし、愛想笑いで済ませておけばよかった。しかし焦りに焦った私は自ら墓穴を掘った。

「いやいや! その、イメージ通りですよ! ビジュアルとマッチした声です」

白々しすぎるお世辞を言ってしまった——。我に返った矢先、何かサイレンのような音が鳴り始めた。そして、私は誰かに肩を叩かれた。振り向くと頭のアンテナを点滅させ、警報音を体から発しているマーフィー君が居た。

「今ちょっとお取り込み中———って! 痛い痛い痛い!」

マーフィー君は右腕で私の左頬を思いきりつねり始めた。それはもう、歯茎ごと裂かれるほどに。

「——痛った!」

そして、この暴力ロボットは数秒後、左手で私の右頬をフルスイングでビンタした。バチン。乾いた音が鳴り響くその間、他の人たちは黙って私の方を見ていた。その合金製のボディにプリントされた生意気な笑顔が本当に腹立たしい。

「おい! 何すんだこの野郎!」

あまりの理不尽に、私は公衆の面前であるまじき痴態を晒してしまった。よりによって、来たばかりの職場で……。マーフィー君は相変わらず黙ってこっちを見ていた。ムカつく。

『ウソは、ダメ!』とマーフィー君が言った。

「え……?」

社会に揉まれて擦り切れてしまった汚い大人の心に響くような、本質的なセリフを言う子供———まさしく今の私たちはそんな構図の中にいた。

「は、はい……」

いや、暴力もダメだろう。私はマーフィー君に何故か頭を下げた後、頬を労りながらそう思った。

「あ〜。マーフィー君はね、ウソ発見器なのよ。周りの人の脳波とか汗とか、体の微細な振動とかを観測して、嘘を見破ることができるの。精度は驚異の百パーよ。誰も彼を欺けないの」

ジゼ先輩が当たり前かのようにそう言った。初めにマーフィー君を人畜無害と紹介したのは大嘘にあたらないのだろうか。

「タチ悪すぎない!? って違う! 本当にすみませんでした!」

私は思わず本音をこぼした後、水槽の方に立ち上がって向き直り、とりあえず頭を下げた。同期の野郎は、私がつねられ、ぶたれたのを見てまだ笑っている。絶対に奴は許さない。水槽の中の生物もその低い声を上下させて笑っていた。

「ハハハ、いいんだ。みんな大体マーフィー君にやられるんだよ。座っておくれ」

 お世辞を言って誤魔化そうとしたのは良くなかったかもしれない。ただ、なぜそれだけで生意気なロボットにつねられ、ぶたれ、謝らなければならないのか———とも考えた。取り敢えず、このボスという生き物はいい人そうでよかった。

「さて——では本題に入ろうかね。まずは新人の二人、入社おめでとう。今日から君たちはゼノ・ユニヴァースグループ傘下である我が社、ゼノ・エクセルキトゥスの社員となり、そして我々特務部第三課の仲間となる。私はここの課長の————」

肝心なところでスピーカーが故障したらしく、ノイズ音で水槽の中の生物———課長の名前が全く聞こえなかった。水槽の中で課長は困ったような顔をしている。

「ゲフンゲフン、あっ! またスピーカーとマイクの接続が悪くなった! 全く!」

咳払いをした時、課長は自分の声に驚いていた。無理もない。スピーカーのノイズがおさまった後再び聞こえた課長の声は先ほどのいい声とは全く変わっていたのだから。地球の文化でたとえるならば、まさにヘリウムガスを吸った後のような高く間抜けな声だった。正直、課長のビジュアル的にはその声が正解だと私は思ったが、また失礼なことをしでかしたらまずいので必死で笑いを堪えた。

「はぁ……。改めて、私はこの第三課の課長、J・Jだ。出身はボボチュア星雲の第二惑星、メチュペリア星。我々の種族の正式な名前はあまりに長すぎるから、悲しいことに略称を使わざるを得ない。ここの皆、私をボスと呼んでいる。君たちもどうぞ、気を遣わずにボスと呼んでくれたまえ。どうぞ、よろしく」

水槽の中でくるくると泳ぎながら、ボスことJ・J課長は私たちに自己紹介をした。メチュペリア

星人……本で読んだことはあったけど、実際に会うのは初めてだ。水棲の種族ということだけは知っていたが、こんな姿だったとは。間抜けな声と相まったそのなんとも言えないキャラクターは、地球に来たら確実に持て囃されることだろう。ボスはロボットハンドで端末を弄りながら、形容し難いビジュアルの先輩異星人のうちの片割れ、右側の方に話を振った。

「じゃあ次は博士、自己紹介してくれ」

博士と呼ばれた異星人が、ボスに文句を言いながら席を立った。

「全く! 年功序列じゃろこういうのは! ワシが一番最初にあぴぃるしたかったのに」

博士と呼ばれた白衣の異星人は、お年寄りらしく、なんだか我が強そうだ。首がものすごく長く、細長く曲がった首の先には、モップのようにまとまった太い毛のもさもさと茂る頭がついている。右目は機械に改造されていて、左目は血走ってぎょろりとしていた。お年寄りで首が著しく曲がっているから気づくのに時間がかかったが、この特徴はおそらくミアーソ星系の出身の方だろう。ミアーソ語の発音には自信がないから、名前を呼べるか不安だ。モップ頭の先輩は、しゃがれた声で自己紹介を始めた。

「よく聞けピチピチめ! ワシはミアーソ星系第五惑星出身、ギャギャギャーギ・ミャミョシュメスティアカ・キャギャキャギャキャーキャじゃ!」

ギャギャしか聞き取れなかった。

「全然名前わかんないす! あの、あだ名とか無いんすか?」

同期がいかにも真面目そうに、デリカシーのない質問をした。

「ちょっとアンタ、他文化に対する礼儀ってものを知らないわけ……」

私は青ざめてすぐに諌めた。

「いや、だって発音も無理だし第一覚えらんねえだろ……。適当なこと言って後でお前みたいになりたくないしな」

同期は意地の悪い笑みを浮かべながら部屋を走り回るマーフィー君を横目にそう言った。首をへし折ってやりたかったが、私は我慢した。

「必要以上に正直なのもどうなのって話よ!」と私は言った。

しかし、正直なところギャギャ——あのご老人の先輩の名前に関してはこの同期と同意見だった。正しく名前を覚えられたところで、仕事上に支障がありすぎる。

「いい質問じゃな! ワシは博士と呼ばれとる。本名で呼ばれた方が気持ちがいいがの! この名前には空の青さを知る者という素敵な意味があり……」

博士は意外にも怒ることなく誇らしげに話し始めたが、同期が調子良くそれを遮った。

「博士! わかりやすくて助かるっす!」

そういえば、先ほどもボスが彼のことを博士と呼んでいた。名前の意味はさておき、簡単な呼び名があって私は安心した。博士はまだ話し足りないようだ。

「そもそもなぜ博士と呼ばれているか——ワシは地元の最高峰の大学で博士号を取得し史上最年少で中央研究所の所長となり——」

博士がその経歴を得意げそうに自慢するのは、全く不自然なことではない。むしろなぜこんな小惑星に居るのか不思議で仕方ない人材だと思う。私はわざとらしいほどの熱量で博士の自慢に喰いた。

「中央研究所の所長だったんですか!? 超エリートじゃないですか!」

同期が私の方を向いて、何も理解していないことだけを理解しているような、間抜けな顔をしている。

「え? なんだそれ、すごいのか?」と同期が私の方を向いて言った。

こいつはどうやって入社試験と面接を突破したのだろうか。

「嘘でしょ……。中央研究所は超巨大な研究施設だよ。星が丸々極秘の研究施設になってて、医療や生物学はもちろん、考古学や社会学——宇宙の知識の全てが集約された場所。もちろん一般人は入れないけどね」

「へえ、スッゲェな!」

同期はその凄さを、チュアミニ星系の惑星よりも小さな範囲でしか理解していなそうだ。博士は私の反応でさらに調子に乗った。

「で、ちょこっとやらかして、学会は追放、そしてここに左遷されたんじゃ」

椅子から転げ落ちそうになった。大きな権力も有するであろうあの中央研究所所長の座を降ろされるほど——一体何をやらかしたのかは怖くて聞けない。そんな私の葛藤をよそに、博士は三本の指でピースをしながら言った。

「キライな言葉は『倫理観』。よろしくなのじゃ!」

満面の笑みで博士はそう言った。降ろされた理由がこの自己紹介に凝縮されている。ボスは博士の言葉を半分諦めたような複雑な顔をしながら無視し、もう片方の先輩に話を振った。

「はいどうもね。じゃあ次はグレイ、頼んだよ」

こちらの先輩の方は、博士とはまた違った意味で形容し難いビジュアルだ——あまりにも、典型的で……。

「わかりました。二人とも、これからよろしくな! 僕はグレイ・テンプレート。惑星ポヒゥワ出身だ。みんなにはそのままグレイと呼ばれている。君たちも好きなように呼んでくれ!」

ものすごく爽やかで快活で、人相もとても良く、理想の先輩に欲しい要素を全て兼ね備えていた先輩だった。しかし、私はとうとう我慢することができなかった。

「いや、名前!」

ああ、やってしまった。グレイ先輩の容姿は、私たち地球人が大宇宙時代を迎えるずっと前の古代から描かれ続けてきた宇宙人像……いわゆるグレイそのもののそれだった。おまけに苗字はテンプレート。いわば、全てが対地球人に特化したツッコミ待ちの人物だったのだ。ただのいち惑星の感性を無辺の宇宙社会に持ち出し、あまつさえそれで他者を笑うべきではないと理解しているつもりでも、流石に難しい。しかし、一度態度に出してしまった今、生意気な嘘発見器がいる手前、これを誤魔化すことはほぼ不可能だ。グレイ先輩の巨大で真っ黒な瞳に歪んだ私の姿が映っている。

「ああ、そうか。君はサマピュメ語の資格も持っていたんだよね。僕の名前の意味もわかってくれたんだな。嬉しいよ。そう、僕の名前と苗字はサマピュメに伝わる古い歌から取っているらしいんだ。グレイは美しき心を意味し、テンプレートは不変の平和を意味する———故郷のことを知ってくれている新人が来てくれて嬉しいよ。ありがとな」

グレイ先輩はそう言って微笑んだ。確かに私はサマピュメ語の資格を持っているし、履歴書にも書いた。だけど古文は一切触れたことがない! 人の良いグレイ先輩は勝手に全て都合よく解釈してくれたのだ。どう見ても名前の意味に感銘を受けているような反応じゃ無かったのに……。

 先輩は柔らかい春の日差しのような笑顔でまだ私を見ている。名前の本来の意味に相応しい人物だ。地球的価値観が無ければ、私は先輩に一目惚れしていたかもしれない。しかし、これはまずい。何を言っても、マーフィー君に嘘を暴かれる状況に追い込まれてしまった私は引きつった笑顔でグレイ先輩を見た。

「い、いえいえ! 普遍、いいですよね。すぐにわかりましたよ。普遍」

「やっぱり! 流石だなあ」と先輩が頷いた。

同音異義語だから嘘ではない。そして普遍という言葉は私が抱いたグレイ先輩への印象としても、若干単語の解釈の幅を広げれば間違いではないはずだ。現にマーフィー君は私の言葉を気にもせずテーブルの周りを走り回っている。ただ、グレイ先輩がいい人すぎるので胸が痛んだ。

「いや、センパイ、多分こいつ———」

同期が余計なことを言おうとしたのを察知して、私は場の主導権を強奪した。

「あ! まだジゼ先輩の自己紹介がまだですよ! さっき迎えに来て下さった時、自己紹介は後でって言ってたじゃないですか!」

この同期は無駄なところで勘がいいから危険だ。ジゼ先輩は相変わらず気の抜けた調子で喋り始めた。

「あ〜了解。アタシはジゼ=アンビストゥリ。ゼパイド星人で〜す。ツノは暗いところで光りま〜す。そ〜だな、一応ここではあんたたちの次に若いで〜す」

大人の危険な魅力たっぷりの先輩の美貌に夢中になったのか、同期は興奮して訳のわからないことを言い始めた。

「セクシーでカッケェす! ぜひ、姐さんと呼ばせてください!」

「アンタ、何鼻の下伸ばしてんのよ。だいたい姐さんって色々ダメでしょ——って! 先輩!?」

同期を叱ろうとした私は、ジゼ先輩の気だるげな表情が一瞬のうちに豹変していたのに気がついて、目を丸くした。ジゼ先輩は蕩けるような笑顔で両手を合わせて目を輝かせていたのだ。

「姐さん……いい……! なんて甘美な響き……いいわぁぁぁあ!」

「よろしくっす! 姐さん!」

同期とジゼ先輩は、瞬く間に謎の電波を送受信し合っている。

「もちろん! ねえ、アンタも私のこと、姐さんって呼んでね!」

ジゼ先輩は美しい浅葱色の瞳に光を宿して、私にそう言った。

「え!?」

もうどうすれば良いのかわからなかった。確かにジゼ先輩は一言で形容するのならば、なんとなくお姉さんと言うより、姐さんって感じだけど……。

「はっはっは、ジゼはずっと前から後輩欲しいって言ってたもんな、よかったな!歳下が二人も入って、弟と妹が増えたみたいだ!」

グレイ先輩は何故か満足げに腕を組んで頷いていた。この同期が言う姐さんって、年功序列を表す言葉ではないのではないか——そんな野暮な指摘は、ジゼ先輩の恍惚の顔を前にした私には出来なかった。

「嬉しい、ああ……。歳下……かわいい」

ジゼ先輩は口角を歪ませて隣に座っていた私に抱きついた。なんだか良い匂いがする——禁断の扉が開きそうな勢いだった。

「ち、ちょっと! 恥ずかしいです、先輩! 離して!」

なんだかとてもいけないことをしているような気がして、私は身を捩らせながら言った。

「姐さんってちゃんと呼んでよっ!」

私の顔の目の前で、ジゼ先輩は頬を膨らませた。ああ、これは呼ばなければ離してくれないかもしれない。

「———ね、姐さん……離してくださいっ!」

恥ずかしくて、なおかつ苦しかったので、変な声が出てしまった。

「あー、かんわいぃ……」

「え!? ち、ちょっと! さらに抱きしめないでください! 姐さん、姐さんったら!」

もしかして、ジゼ先輩も変な人なのだろうか。私がもみくちゃにされている最中、奥のテーブルの男性陣がチラッと見えた。満面の笑みで私たちの様子を眺めている。同期に至っては「いいなぁ……」などと呟く始末だった。

「ねえ! ちょっと助けて……おい! あんたら何でニヤけてんの! あっ」

先輩たちの顔から笑顔が消え、ジゼ先輩も急に遊びに飽きた犬のように動きを止め、私のことを離した。初日に上司、先輩方に大変失礼な態度を取ってしまった——社会人としてあるまじき事態だ。

「君……」

ボスが真面目なトーン——と言っても相変わらずスピーカーの調子は悪いようで変な声だが——で私の方を向いて呼びかけた。怒られるのを覚悟した。今の私は、同期よりよほど礼儀のなっていないダメな新人だ……。甘んじてどんなパワハラでも受け入れなくちゃ。

「本当にすみませんで———」

私が立ち上がって謝罪するよりも早く、ボスが次の言葉を発した。

「いいね!」

「へ?」

耳を疑った。ボスの目は確かに笑っている。そういう宇宙式の皮肉なのだろうか。嘘や建前を糾弾するマーフィー君も、皮肉には対応していないのか。私は混乱した。

「私……この度は失礼な態度を取ってしまって、本当に申し訳ありませんでした!」

真面目な謝罪を受け入れるつもりもないのか、ボスの方は不思議そうに体を傾けた。

「何を謝ってるんだ? それよりさっきの『おい!』ってやつ、よかったぞ! 私はね、君たち新人にそういう心意気でいて欲しいんだ」

ボスの言っていることがわからなかった。間違いない、これはメチュペリア式の皮肉だ。早速ボスを怒らせてしまったようだ。確かメチュペリア星人は、礼節を重んじる種族と聞いたことがある。初日からこんな調子で、ここでうまくやって行ける未来など見えないし、退職届を出した方がいいかもしれない。私の思考はこんな時でも自分のことでいっぱいだった。この体たらくではきっと、あのことも——。

「本当に申し訳ありませんでした。失礼いたしました……」

地球が誇る天才だなんて自負していたことが心底恥ずかしくなった。今謝るしか能がない私なんかに、社会が居場所をくれる訳がない。広い広い宇宙の中で、ただの一つも……。

「ああ! 君はなんか誤解しているようだが、我々は君のように、社会人として取り繕うんじゃなくて、素を出していく方がいいと言っているんだ。そうだ、大事なことを言っておくのを忘れていたよ。ウチの部署には、大事なルールが二つあるんだ」

「えっ……?」

ボスは本当に怒っていないようだった。私の脳内に立ち込めた暗雲に、光が差し込んでくる。ボスは機械の手の人差し指を上に向けて話し始めた。

「一つは法律違反なことはしないこと———そして、もう一つが———」

一つ目の時点で、博士は守れていないのではないか。心の奥底でそう思う私自身に少し呆れた。

「嘘をつかないことだ。もちろんこの職場の仲間にも、そして自分自身にも嘘をつかないで欲しいのだ。それがウチのモットーだ。分かってくれたかな?」

社訓? 課訓? 取り敢えず、ボスの言葉によれば私はむしろこの場所において理想的な振る舞いをしていたようだ。同期の方は何に感化されたのか、一筋の涙を流している。

「——カッケェ! 俺、ここに配属されてよかったっす! 最初はこんなしょぼいところなんて嫌だって思ってたけど……!」

本当にこいつは正直すぎる。さすがにボスたちも怒り———はしない。あの博士さえも笑っていた。

「はっはっは! 正直でよろしいのう! まあ住み心地だけは保証するぞい!」

博士はいたく同期を気に入っているようだ。ボスは同期の言葉に笑った後、立ったまま呆然としている私の方を向いて言った。

「だから、君が謝る必要はない。こんな辺鄙な所でまで社会のマナーを強いていたら、息苦しくて仕方ないからな。もっと自我を解放しなさい。もっとも、さっきから君はだいぶ素が見え隠れしてもいたがね。あ、それからもう座りなさい」

ボスの笑顔に、私はようやく安心した。グレイ先輩は腕を組んで目を閉じ、満足げに頷いている。

 安心したと思ったら、今度は何故だか涙が出てきた。社会人初日、何か張り詰めていたものが解けていくような気がする。

「——本当に、ありがどうございまず……。もしかしてマーフィー君が嘘発見器なのも、ここのルールのために……?」

捨て犬を助ける人のような慈悲深い目で私を見つめながら、頭を撫でてくれていたジゼ姐さんが、途端に真顔になった。

「いや? マーフィー君は博士が他人への嫌がらせのために作ったロボットだよ? ウソ発見器なんて、本当にあったら最悪ぢゃろうな……とか言って」

「人畜無害を製作者が真っ向から否定した!」

『ボク、マーフィー!』

マーフィー君がご丁寧に合いの手まで入れてきて、私の涙は完全に引っ込んでしまった。

「もう何なの! 変な部署! 変! 変態ばっかり!」

私は顔をしかめて叫んだ。

「へ、変態……」

「そうそう、それでいいんだ」

唯一、私の悪態に該当していなかったグレイ先輩だけが悲しそうに大きな目を潤わせ、ボスに至っては嬉しそうにしていた。本当に変な人ばかりだ——ここまで来たら私も猫を被るのはやめよう。

「っていうかボス! これ歓迎会なんでしょ! 主役の新人がいつまでも喋らないでどうするんですか! 私の方から勝手に始めちゃいますよ!」

急に大きくなった私の態度にあの博士も面食らったようで、ボスに耳打ちした。

「あの子、急にキタのう……」

ボスの方は、何故か同情的な目で私の方を見ている。

「ああ……きっと色々苦労してきたんだよ———そうだな。じゃあ、君から自己紹介を頼むよ」

ボスは博士に耳打ちするように言ってから、私にバトンを回した。

「本日より入社いたしました、ステラ・ハシグチと申します。出身は太陽系第三惑星——地球です。至らぬ点も多いと存じますが、何卒よろしくお願いいたします!」

声のトーンも表情も完璧だったはずだ。だって、行きの車の中でたくさん練習したから。ボスが操作する端末の画面に、私の履歴書が映った。

「いやぁステラ。君の履歴書をグレイと見た時は驚いたよ——所持資格の欄が延々と続くものだからね。最後まで見るのにも苦労したさ。高校の頃から惑星間交換留学生にも選ばれ、宇宙の叡智が集まる最高峰の学府であるジレ・アルデバラン大学を首席で合格、卒業。幼い頃から本当に様々な分野で表彰を受けているね。小さな青き星が産んだ天才という訳だ」

そう持て囃されると流石に恥ずかしかった。しかし、私は自他共に認める天才であることは間違いない!

「小さい頃から宇宙のすべてが大好きだったんです。だから私は勉強というか、調べることに際限がなくて。私にとって、知識をつけること、技術を取得することは趣味のようなものですから!」

「なるほど。いいねえ。君みたいなのが居てくれると、こちらとしても心強いよ。よろしく頼むね。気にせずに意見はバンバン言ってくれたまえ」とボスがヘリウム声で言った。

「はい! とりあえずマーフィー君の電源は落として欲しいです」

私が満足して席に着くと、隣にいた姐さんが裏切られたような顔でこちらを見た。

「アンタ、そんな頭いい子だったんだ……」

「ちょっと! どういう意味ですか」

私は姐さんにそう抗議した。

「まあ、見るからにバカそうだもんな! お前!」

同期がすかさずに茶化してきた。お前にだけは言われたくないと思った。

「あっそう? でもよかった。私は見かけによらず頭がいいけど、アンタは見かけ通りに頭が悪いんだからね。脳味噌までみっちり筋繊維が詰まったような奴に、私の纏う秀才オーラなんて察知できるわけないでしょう」

言い返すのが愚かなことと知っていても、時に馬鹿には馬鹿と同レベルまで降りて対応してやることが大切——あれ、これだと私も同レベルの馬鹿になってしまう……。同期は、顔を真っ赤にして私を指差した。

「あーもう、うるせえブス! もう知らねぇ!」

言い返すのも馬鹿らしい。そうして私が小さく舌打ちをするのと同時に、マーフィー君が誤作動を起こしたのか唐突にあの忌々しい警報を鳴らし始め、ゼンの方へ駆け出した。

「あー! 黙ってろ!」

血相を変えたグレイ先輩がそんなマーフィー君に飛びかかった。そのままにしておいてくれたなら、あのつねり攻撃と平手打ちを喰らうのに。

「——俺はゼン! ゼン・ガリョウだ! 出身はガグーア、よろしくお願いします!」

部屋中の空気が揺れるほどの大声で、馬鹿同期——ゼン——は挨拶をした。ボスは水の中にいるから鼓膜へのダメージは小さいはずなのに、相当驚いた顔をしている。

「気合が入ってるね……! 結構結構——ゼン。君もステラと同じジレ・アルデバラン大学みたいだね。やっぱり知り合いなのかい?」

「知り合いっつーか、腐れ縁っつーか、とにかく俺もそいつがここにいて驚いたっすよ。サイアクだぜ」

ゼンは途中でこっちを向いた。

「こっちのセリフだし」と私は呟いた。

ゼンは何故か頬を赤らめてそっぽを向いた。

「うわぁ!」

その直後、私は飛び上がってしまった。テーブルの向こうで突如マーフィー君が、一際大きな警報音を鳴らして暴れ始めたからだ。ということは、誰かの嘘を検知したということであるはずだけれど、先ほどまでにこの場にいる誰も嘘をついていなかった。おそらく誤作動だろう。私の考察を裏付けるように、グレイ先輩と博士が必死にマーフィー君を押さえつけている。ボスはどうしてか私とゼン、そしてマーフィー君の方を順番に見て、頷くように体を揺らしていた。博士も心なしかこっちを向いてニヤニヤしているように感じる。とにかく、この一部始終は奇妙な時間だった。

 ボスは水槽の中から、ゼンを見た。

「ゼン。君もステラと同じ大学だけれど、スポーツ推薦で体育学部に入学したんだってねえ。しかも招聘枠で——履歴書にも書いてあったけど、君はガグーア武術の達人……まあその体を見れば想像はつくけれども、身体能力がずば抜けているってことなんだ」

「ハイ! ケンカも早食いも負けたことないっす!」

ゼンは大声で自慢げに答えた。

「馬鹿さ加減でもね」

さっきからこっちのことを散々コケにしてくるし、これくらい言っても良いだろう。

「あぁ!?」

思いの外効いているようだ。いい気味。ボスはゼンの履歴書を眺めながら、少し困ったように笑みを浮かべた。

「ハハハ……ガグーア人は一人一人が戦艦何隻分にも匹敵する強さを持つという、自他共に認める宇宙トップクラスの戦闘民族と聞く。鋼鉄の如し肉体、山を砕く拳、吹き荒ぶ嵐の中をも自在に飛び回る頑強な翼———それらを自在に駆使して戦う必殺の武術まで体得しているとね。これまでも君たちは有事の際に必ず戦果を挙げてきたそうじゃないか。そんな種族が我が部署に来てくれるなんて、実に恐ろしくも頼もしい! よろしく頼むよ。ゼン」

ボスが言ったことはすべて事実だ。ガグーア人はこの広い宇宙の中でも最強格の身体能力を備えている種族。忌み嫌う人こそ少ないが、大抵の種族はあまりにも強い彼らを恐れている。ゼンはボスの言葉に先ほどの威勢を損なうどころか、少しもどかしそうな表情さえしていた。

「なんか、怖いやつみたいっすね……俺、怖がられたくはないな。特に——好きな人とかには——」

急に何を言い出したかと思えば、そんな乙女チックな世界がゼンの中にあってたまるものか。

「別に見た目が怖かろうがなかろうが、あんたは中身がダメなんだから心配する必要ないんじゃない? いくら私相手でも、ブスとか人に向かって言うような奴が、今更他人の目を気にするとか馬鹿みたい」

これまで蓄積してきたものに加えて、ついさっき侮辱された恨みにお灸を据えてやるつもりでそう言ってやった。ゼンの方は愕然とした顔をして、小さな声で言った。

「今の、本当か……?」

捨て犬のような顔でこちらを見ている。言いすぎてしまったかもと反省したが、今更後には引けない。

「本当だよ! ましてや好きな人? とか、そんな調子じゃもっての外でしょ!」

少ししょげた顔をしてからすぐ、ゼンはまた何故か妙に顔を赤らめて言った。

「じゃあ、謝る。悪かった。ガキみたいなこと言って」

いきなり素直に謝られると調子が狂う。地球人に宇宙の駆け引きは難しい。私は目の前の馬鹿同期の不可解な行動に苦笑いした。

「いきなり何? まあ、今回は寛大な私の心に免じて特別に許してあげる」

「お、おう……」

ここまで会話してから、変な空気になってしまったことに気づいた。奥の方を見ると、先輩たちが私たちをニヤニヤしながら見つめている。

「いやぁ、もう夫婦喧嘩は終わったかな?」

ボスがヘリウムを吸った時のような声をスピーカーから流した。こいつと夫婦なんて冗談じゃない! 慣用句だとしても悪趣味だ!

「嘘でもやめてください! 私は本当に無理ですから!」と私は言った。

ゼンの方も必死になっている様子だった。

「そうだ! 俺もこんなのとは絶対嫌だ!」

ゼンの言葉の後、またなぜかマーフィー君が誤作動を起こして暴れ始め、グレイ先輩がそれをまた押さえつけた。姐さんは妙な笑みを浮かべて私たちを見ている。

「いいじゃん。案外うまくいきそうだし———それはそうとボス、そろそろアタシお腹空いたんだけど」

ボスは姐さんに言われて機械の人差し指をわざとらしく上に向けた。

「そうだ! 忘れていたよ! 君たち新人には、明日から研修を受けてもらうことになる。ここでの仕事と暮らしがどういったものなのか、業務の内容からトイレの位置までの諸々含めて、徐々に慣れていってもらうからね。だがそれは明日からの話。今日は思う存分、飲んで食べて騒ごうじゃないか!」

ボスがそう言い終わると、いつの間にかテーブルの上に沢山のご馳走が並べられていた。私の故郷の料理もあれば、中々手に入りにくい珍味まである。そういえばずっと車を運転してきたから、長いこと何も食べていない。そう思ったら、お腹が鳴ってしまった。ゼンはもう待ちきれなそうだ。私は一応、ボスに聞いてみた。

「あの、食べても——」

グレイ先輩がお腹を抑えてそう聞く私を見て笑った。

「だって、歓迎会だろ? 僕たちも新人をおもてなししないとな!」

「そうじゃそうじゃ。ヒック」

博士はいつの間にかお酒を飲んで酔ったのか、しきりにリズミカルなしゃっくりをしている。「コホン。それでは、ステラ・ハシグチとゼン・ガリョウの就任に、乾杯!」

ボスが間抜けな声で仰々しくそう言った。

「乾杯!」

この状況は地球人的としても少しだけ——いや、大分楽しい。

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