対決! リヴァイアサン
「なんじゃあ、こりゃあ~!」
老人の絶叫が響いた。
カティに無理やり船に連れ込まれ、うむを言わせず出航した。頬を切る風の速さに思わず叫んだのがこの一言。
「これは漁船じゃない! 海軍の巡視船ではないか!」
「はい、そうです」
老人の叫びに――。
カティはケロッとして答えた。
「海軍の巡視艇です。いま、この港にある船のなかではこの船がいちばん大きくて、いちばん速いとのことでしたので。大きくて速い船の方がいいでしょう?」
「軍の船なんぞ、どうやって盗んできたんじゃい⁉」
「盗むだなんて失礼な。フェンリルさんから頼んでもらったら、
「象ほどもあるデッカい犬に押さえつけられて頬を舐められたら、たいていの人間は『
との、幼女の姿をしたフェニックスのツッコみは老人の耳に届いただろうか。
「さあ、エイハブ船長。これで船の心配はなくなりました。あとはあなたの出番です。見事、リヴァイアサンを釣り上げてください」
「だから、おれは『エイハブ』とやらではないんだが……」
老人はブツブツと呟いたが、もちろん、カティは聞いていない。
「さあ、エイハブ船長。世にもめずらしい『海獣のおっぱいから作られたチーズ』のためです。早く、リヴァイアサンを釣り上げてください」
はああ~、と、老人は地獄の底から聞こえてくるような深いふかい溜め息をついた。そうすることでかの
「……とにかく、あやつを釣り上げる準備だ」
老人改めエイハブ船長は一本の巨大な釣り竿を取り出した。
「その釣り竿は?」
「おれが長年かけて研究開発した対リヴァイアサン用の釣り竿だ。太く、雄々しく、頑丈で、それでいて柔軟。この釣り竿ならリヴァイアサンの力にも対抗できる」
「すごいです、エイハブ船長! そんな釣り竿を作れてしまうなんて尊敬します」
見た目はたしかに貴族の令嬢っぽい若い娘にそう言われ――。
エイハブ船長もまんざらではないようだった。
「あやつが陸の食い物、とくに、獣の肉を好むことはわかっておる。そこで――」
と、今度は大きな肉の塊を取り出した。
「この骨付きの牛固まりをエサにやつを釣る。そして……」
次に取り出したのは灰銀色に輝く巨大な金属の塊。
「この
「ダメです」
にっこりと――。
そう微笑みながらカティは、エイハブ船長に釘を刺した。……文字通りに。
「なにをする⁉ いきなり人の腕に釘など刺すやつがあるか⁉」
「そうです、いけません。そんなことしちゃダメなんです。それなのに、あなたはリヴァイアサンに
「わ、わかった……」
カティの言っていることの意味がすべてわかったわけではもちろんないが、逆らったらヤバいと言うことだけはわかった。エイハブ船長は
「『傷つけるな』というなら持久戦だ。あやつに釣り糸を飲ませたまま暴れさせ、抵抗できなくなるまで疲れさせるしかない。気長な勝負になるぞ」
「かまいません。チーズのためならいくらでも忍耐します」
「では……」
と、エイハブ船長は簡単な船の改修に取りかかった。甲板の上に椅子を設置し、その椅子に体を固定して釣り竿を操るようにしたのだ。
「気には入らんが、あやつの図体は人間の何百倍もでかい。普通に釣り竿を握っていたのでは体ごと海に引きずり込まれる。そこで、船に取り付けた椅子に体を固定し、船の重量を使ってやつの力に対抗する。この船の大きさなら充分、やつの力と渡り合える」
「なるほど、さすがです。では、あとはリヴァイアサンがかかるのをまつだけですね」
そして、リヴァイアサンとの気の長い戦いははじまった。
本来、海賊や敵国の海軍との戦いのために使われるその船は、何日もの間、海の上を行き来し、リヴァイアサンがエサにかかるのをまった。しかし――。
「……かからないじゃないですか」
カティが見るからに不機嫌な顔でエイハブ船長に詰め寄った。
「どうなってるんです⁉ もう何日も海の上を行き来しているのに全然、かからないじゃないですか!」
「釣りとはそう言うものだ。相手がかかるまでひたすら辛抱強く……」
「まてません! きっと、エサが悪いんです。海のなかにぷかぷか浮かんで食べられるのをまつだけなんて、根性がなさ過ぎます。自分から泳いで相手を探して、口のなかに突っ込んでいくぐらい生きのいいエサでないと」
「な、なんだと? 自分から泳いで相手を探すエサだと? そんなものがどこに……」
「いるじゃないですか。目の前に」
「な、なに……?」
「ぬわああああっ~! なんで、おれの体に釣り糸を巻き付ける⁉」
「自らエサになってリヴァイアサンを探しだしてください! それがあなたの悲願でしょう」
「自分がエサになりたいわけではないわい! と言うか、これが人間のやることか⁉」
「チーズは手段を正当化します!」
「だったら、自分で……のわああああっ!」
哀れ、全身を釣り糸でがんじがらめにされたエイハブ船長は無理やり海のなかに放り込まれた。
その様子を見ていたフェニックスとフェンリルが会話を交わしている。
「あの人間、死ぬのではないのかじゃじゃ?」
「死ぬだろうな」
「良いのかじゃじゃ?」
「バレなければ良い。人間の世界にはそんな言葉があるそうだ」
「ふむ。自分たちでそう言っているのなら問題ないのじゃじゃ」
エイハブ船長がエサとされてからほどなく――。
その執念が死の間際となって実ったのだろうか。海面が大きくふくれあがった。そして、そこから姿を現わした雄大なほどにおおきな体。
海王リヴァイアサン。
その口にはたしかに、釣り糸で全身を縛られたエイハブ船長がくわえられていた。
「さすがです、エイハブ船長! あなたの執念、無駄にはしません!」
「あやつが自分でエサになったわけではないのじゃじゃ」
そのフェニックスのツッコみはもちろん――。
カティの耳には届かなかった。
カティは甲板に設置された椅子に座り、釣り竿を握った。
リヴァイアサンが大きく跳ねた。漆黒の体に陽光が反射し、巨大なはずの船が渦に巻かれた木の葉のようにぐるぐる回る。リヴァイアサンの巨体が音を立てて着水する。あまりの勢いに海面が爆発し、大量の水しぶき、いや、津波が生まれた。津波は船を洗い、カティたちは頭から大量の海水を被った。それこそ、水ではなく岩が降ってきたのではないかと思わせるぐらいの重い衝撃だった。それだけ、大量の海水が降りかかったのだ。
これが漁船であれば、その一撃でひとたまりもなく沈んでいた。軍船として、あらゆる事態を想定して防護策を講じてある巡視船だからこそ、沈まずにいられたのだ。その点でカティの判断は正しかったと言える。
「キャアッ!」
そのカティが悲鳴をあげた。リヴァイアサンのすさまじい力に手にした釣り竿がもって行かれそうになる。フェンリルがガシッ! と、その巨大な口で釣り竿をくわえた。
「あ、ありがとうございます、フェンリルさん」
カティは言ったが、事態が改善されたわけではない。
フェンリルが釣り竿をくわえてくれたことでどうにかリヴァイアサンの力に対抗できるようにはなった。しかし、その分、船の方が思いきり引きずられている。
「ダ、ダメです……! 向こうの方が大きくて、重くて、力も強い! このままだと船ごと海のなかに引きずり込まれちゃいます、死んじゃいます、死んじゃったらもうチーズが作れません!」
――結局、気にするのはそこか!
釣り竿をくわえているので声には出せないが、心のなかでしっかりとそうツッコむフェンリルであった。
「わらわに任せるのじゃ!」
フェニックスが叫んだ。
愛らしい幼女の体が光に包まれた。次の瞬間――。
太陽の熱と光をまとった不死の鳥がそこにいた。
本来の姿に戻ったフェニックスはそのかぎ爪でガッシリと船をつかみ、持ち上げようとする。リヴァイアサンは船を海の底に引きずり込もうとする。
持ち上げようとする力と引きずり込もうとする力。
ふたつの力が拮抗し、引き裂かれそうになった船は、船体をぎしぎし言わせながらも必死に耐えた。耐えつづけた。その健気な姿はこの船を作った船大工が見れば、感動のあまり泣き出してしまいそうなものだった。
リヴァイアサンは海のなかを我が物顔に泳ぎ、跳ね、着水し、暴れまわる。そのたびに船は落石の勢いで揺れ、世界そのものがあらゆる方向にガクガク揺れる。それでも、船は耐えた。必死に耐えた。フェニックスによって引っ張られながら、その力の暴風に耐えて船体を維持しつづけた。カティもフェンリルに手伝われながら必死に釣り竿を握っている。
椅子に固定された体がリヴァイアサンに引っ張られる。バラバラにちぎれてしまいそうだ。釣り竿を握る手はすでに皮膚が裂け、血だらけになっている。それでも、カティは全力で釣り竿をにぎりつづける。『もう離して楽になってしまおう』などとは考えもしない。
「あ、た、し、は……」
一時も休むもなく海水を浴びながら、カティは一語いちご区切りながら言う。
「チーズで世界を幸せにするんです!」
カティの執念が勝ったのだろうか。そのときついに――。
リヴァイアサンの巨体が海の上へと引きずりあげられた。
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