お家騒動、決着(下の上)

「アリスっ」


吹き飛ばされたアリスに、リリアがにじり寄る。

陣に弾かれた衝撃で意識を失った愛娘に手を伸ばし、その上体を抱き起こした。


「許さないわっ 許さないっ 見窄らしい女が意地汚く孕んだ薄汚い小娘が、わたしの美しい夫と娘に、なんてことを、なんてことをっ・・・」


リリアは、倒れ伏した夫と娘の姿を目にしたショックで立ち上がることもできぬままに、口惜しげに啜り泣き始めた。






 立ちこめた赤紫の靄が迫る危機の中でも己を見失わず、アルフレッドの腕から躙り出てた。機を見据えて逃さず、確実に呪具を処理したクリスティアナ。座り込み啜り泣き、うわ言のように怨嗟を吐き出すことしかできないリリア。二人の差は歴然としていた。



 アルフレッドは、「はぁ」と安堵と呆れを混ぜ込んだため息を漏らす。


 前のめりになって呪具を処理したクリスティアナを、体に負担の少ない体勢に戻そうと、上体を引き上げ背中を自分の胸に凭れかからせたら、思いの外すっぽりと腕の中におさまった。


混乱の中で腕に掻き込んだ時には気づかなかったけれど。

意外に華奢で、どきっとした。


呪具を破壊してしまって呆然としているとか。

もう、どこからどう見ても、可愛くてしょうがない。


なんだこの、やけに愛らしくて芳しい生き物は・・・


それで、つい思いのままに。

アルフレッドは、クリスティアナの首と肩の間に、すりっと頭を沈めてしまった。




「! で、殿下!?」


 襟ぐりの浅いお仕着せの、首と肩に僅かに除く素肌の部分に擦り寄ってきた、頭の重みとサラリとした金髪の感触、爽やかな香りに、クリスティアナはビクッと体を震わせた。



「まさか、靄の呪に当てられましたか!? 異常状態が!?」


 クリスティアナが、ドッキンっと跳ねて口から飛び出そうになった己の心臓に驚き、瞬時の瞬発力で思考を180度転倒させてアルフレッドの異常状態を危惧したのと。

 背後のグリンガルド家臣団からゴゴゴゴゴーっと凍てついた冷気が立ち上がったのと。

 レオナルドが主君の腕をぺりっと剥がしてクリスティアナを取り上げ、縦に抱え上げて自分の腕に座らせたのとが、ほぼ同時だった。




すんと冷気が収束した。




「アルフレッド様、彼女はグリンガルドの当主です。らしくもない。衝動的な行動はお控えください」


 静けさに沈む森の色ようなエメラルドの瞳でアルフレッドを見下ろした。温度のない声で耳に諫言を捩じ込むレオナルドの顔は、武術の弟子に向ける師匠のものだ。


 久しぶりにその表情を向けられたアルフレッドは、床に胡座をかいて悔しげに目線を斜めに落とし「・・・すまない」と小さな声で謝罪した。



 次に、レオナルドは、軽々と抱き上げられて目を瞬かせているクリスティアナを見ると、子供を叱るような顔になる。


「君は、王太子殿下を国の心臓部の替えのきかない部品か何かのように扱ってはいないか? だから、あんな殿下の破廉恥な行動を、異常状態と見誤って警戒するどころか危惧に走ってしまうのでは? アルフレッド様は血の通った人間だし、立派な成人男性だ。もっと警戒心を持ちなさい」


 そう指摘され、クリスティアナも気まずげな顔になった。


「・・・部品」

「家の皆が心配しているぞ。気をつけなさい」

「・・・はい」


 長身のレオナルドの左腕に抱え上げられて座らされているクリスティアナが、高い位置からモーリスと、その背後に控える5人の女性、さらに背後で職務についてるグリンガルド騎士団の面々を見る。と、全ての瞳がレオナルドの発言を肯定しているようだった。


 ちょっとだけ首を竦め小さな吐息と共にしゅんと肩を落とす、月色の髪の御令嬢はとっても聞き分けがよい子だ。


「魅了の呪具は、壊れていても問題ない」

レオナルドは、素直に反省し項垂れた父オーウェンの掌中の珠であった姪っ子の顔を下から覗き込んで、ほろ苦い笑みを口元に浮かべた。


「証拠も証言も十分揃っていると判断する。君は侯爵だし、私は王太子殿下の護衛隊長だ。何よりも、殿下ご自身に魅了にかけられた自覚がおありだからな」


 足元で、美貌のやさぐれ王太子が舌打ちをした。それをレオナルドは黙殺してクリスティアナの注意を、目線で前方へと導いた。


 啜り泣くリリアとその腕の中の意識のないアリス。そして、雁字搦めにした戒めの下で、モゾモゾと動きを活発にしている蠱毒の魔ムカデ内臓緋色の繭玉が、その目線の先にあった。


「母と私に向けられた蠱毒は2匹の魔蛾だったが・・・ アレは桁違いに強いようだ。拘束するよりも処分した方がよくはないか?」




 レオナルドの脳裏に、父オーウェンと対峙した2匹の美しい魔物がひらめく。


 母と14歳だった少年レオナルドに毒々しい鱗粉を振り撒きながら迫る魔物を、父が構築した呪詛対応魔術陣で捕らえ、父子2人の火炎魔法で焼き払った。

 呪詛は呪いの請願者であったシャロンに跳ね返り、その命を酷い方法で奪うことになったのだが。その死に様こそが、呪いが結実した時に母オリビアとレオナルドを襲うはずだった死の形であったはずだ。



 あの時の、2つの蠱毒の生きた呪いの力を合わせても、目前に捉えられている呪の宿主の禍々しさと強力さは桁違いであると、レオナルドは感じられるのだ。



「私に、君の叔父として、あれに関わる許可をくれないか? クリスティアナ」


 あの凶悪な呪を一度体に受け、吐き出した。その後、モーリスの手を借りながらも、凛と立ち王太子に対峙するその姿勢の見事さが。その細い肩にグリンガルドを背負う覚悟の潔さが。


 あの日からずっとレオナルドの胸に燻り続けている悔恨を、燃え立たせる息吹となった。


———あの時、逃げ出さなけれは。グリンガルドという家と婚姻をしたクロエごと後継者の地位を兄から奪う気概を持って、立ち上がっていれば。母だけでなくクロエも守れたかもしれない。そして、この娘も・・・




「そんなことをしたら、貴方はグリンガルドに囚われますよ?」


 しれっとした声音に、覚悟を固めようとしていた思考を遮られる。軽く眇められた冷たく怜悧な群青の瞳が、真っ直ぐにレオナルドを見下ろしていた。


 クロエの瞳にそっくりだと思った。体を重ね温めあった、その熱も冷めやらぬうちに、レオナルドをグリンガルドの外へと押しやった、あの時の。



 ・・・14まで生きながらえることができたのは、父さんの庇護があったからだ。自分が母を守るのだと息巻いて飛び出したが。結局、グリンガルドを支える父や一柱としての役割を果たしたクロエに、守られていたのではなかったか。

 

そして今は、この凛として美しい細い背中に庇われているような気がする。



 クロエの一人娘の容姿を、レオナルドは昨夜まで知らなかった。次期当主である兄も、初夜はともかく、結局は優秀なクロエを受け入れざるおえなかったはずで。当然クリスティアナは兄の子であると思っていた。


 昨夜、殿下の魔術に囚われテラスに拘束されていた、クロエと同じ瞳の色と、自分と同じ髪の色をした令嬢を見た時の衝撃たるや。



・・・覚悟を決めれば、もう逡巡することもない。


認めよう。


この群青の瞳に月色の髪を持つ娘は。

クリスティアナは、クロエと俺の子だ。


モーリスやラウルのように、支えてやりたい。

誰よりも自分が、傍にいて守ってやりたい。


レオナルドは自分の中にその願いが熱く息づいたのを覚って、笑んだ。



「ああ、構わない。私も当主である君を支える柱の一つにしてくれ」


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