アリスと魅了のブレスレット
きゃーっ
信じられない!
アリスは、湧き上がる喜びに、胸の前でぎゅっと手を組んだ。
少し爪先立ちになって背中を反らせた反動で、左手首にはめた柘榴色の石の金の腕輪がキラリと光る。
凛々しくも麗しい完全無敵の王太子アルフレッドは、ゆっくりとソファーから立ち上がりアリスとその背中を押すように入室してきた母のリリアに、穏やかな笑みを向けた。
「急に申し訳なかったね。非公式な訪問だから、楽にしてくれると嬉しい」
ああ、もう、楽にしろだなんて。
うふふ。優しくされちゃったっ
好きっ
アリスはすぐにでも飛び出して、美しく微笑みかけてくれている王子のそばに駆け寄りたいかった。
けれども、肩にかかった母の手にそれを制されて、可愛らしく首を竦めて、思いとどまった。
そうだったわ。
私はアル様のお妃様になるんだもの。
淑女らしく、しおらしく、愛らしくって、お母様に言われてたんだわ。
お父様にいただいた、魅力100倍ブレスレットもちゃんと左の手首に着けてきたし。
新しいドレスでお迎えできなかったのは、それは残念だけども。でもでも、すぐに来てくれたことを喜ぶべきよね!
浮き立つアリスの心は、妄想のお花畑を縦横無尽に駆け巡っていた。
母に促されて、殿下の前に座る。
母が座るのを待ってから、殿下もお座りになった。
なんて紳士なの。
本当に素敵。
大好きっ。
アリスは、正面にある神々しいまでに美しく整った王太子の麗しの
「他でもないんだが。この手袋を返したくてね。ついでだから、こちらにある寄木張りの案内を乞いたい。クリスティアナ嬢を呼んでもらえないだろうか?」
静かに笑んで乗馬服の内ポケットから群青色の長手袋を取り出し、『クリスティアナ』の名を口にしたアルフレッドに、有頂天山頂から天にも昇ろうかと舞い上がっていたアリスは急転直下の勢いで墜落し、愕然とした。
「はぁ!? アル様は、なんであんな子の名前をご存知なのですか!?」
思わず立ち上がり、正面から見下ろすようにして愛しの王子様の青い瞳をまじまじと見つめてしまう。
未来の旦那様の気の迷いを正すべく、ぐいっと身を乗り出して「あんな子よりっ」と自分をアピールしようとしたのだけど。
「アリス、黙って。きちんとお座りなさい」
母の手に止められてしまった。
しょうがないから、ぷぅと頬を膨らませて、可愛らしくむくれますよーだ、アピールに切り替えたのだけど。
アルフレッドは、そんな無邪気なアリスを見て少し不自然なほどゆっくりと目を瞬かせていた。
少しぼんやりして、徐に首を左右に振ると、はて、と首を傾げている。
「おほほほ、ごめん遊ばして。この子ったら、殿下のご訪問が嬉しくてしょうがないのですわ」
王太子の仕草を食い入るように観察しながら、リリアが言葉を紡ぎ出した。
「でも、おかしいですわねぇ。あの子は、気の病で長らく臥せっておりますのよ。昨夜の夜会には招待されておりませんでしたし、外出させてもおりませんのに。その手袋に何かございますの?」
「・・・そうか。ああ、いや、この手袋の主と話をしたくてね」
「あら、アリス。確かあなたの持ち物に、同じような色の長手袋があったわね?」
リリアは目に力を込めて娘に「頷け』と、テレパシーを送る。
「え? あんな色の? えっえええ、ええ、あったかも? ええ、ええ! そうでした! 私も同じ手袋を持ってますわっ」
母が突然かけてきた圧力に戸惑いながら、アリスはとりあえず頷いて、にっこりと愛らしく笑ってみた。
先ほどから王太子は、アリスの瞳を見て、長いまつ毛に覆われた美しい瞳を瞬かせている。
また少しぼんやりとして、はてな、と首を傾げた。
アルフレッドの常ならぬ様子に、背後に立っていた護衛騎士が眉を顰めたようだ。
「歓談中に失礼致します。・・・殿下? どうかなさいましたか? ご気分は?」
「・・・ああ、昨夜あまり眠れなかったからかな。大したことはない」
「まぁ、まぁまぁ、よくお眠りになられなかったのですの? それはいけませんわね・・・ その手袋のせいですのねぇ」
リリアの女の鋭い勘が働く。
きっとあの手袋の主を殿下はお気に召されたのだ、と。
それならば、あの手袋をアリスのものだと信じていただけばよいのよね。
不愉快な名を聞いた気がしたけれど、あんな子が王宮へ招かれるはずはないもの。手袋の持ち主の名をご存知なく、きっと当てずっぽうをおっしゃったに違いないわ。
アリスのブレスレットも効いてきたようだし。
きっとうまく誘導できるはずよ。
リリアは心の中でニンマリと笑った。
そうなると。
月の騎士は、とっても邪魔ね。
いい男だけど。
「アリスの手袋は、少し曰くつきのものなのですわ。お話しても構いませんが、できれば殿下にだけお伝えした方がよろしいかと。ねぇアリス。大切な思い出のある手袋だったわよね?」
アリスも母と同じく、アルフレッドの不眠の理由らしい手中の群青色の手袋に他の女の影を感じていた。
夜会の後で誰かとお話になったのかも?
もうっ 油断も隙もないわねっ
でも私には魅力100倍ブレスレットがあるもの!
大丈夫、きっと殿下は振り向いてくださるわっ
母の作戦を的確に察して前のめりに乗ってゆく。
「・・・とっても大切な思い出なんです。アルフレッド様お一人で聞いてください。お願いしますっ」
ウルウルと目を潤ませて少しだけ首を傾け、上目遣いで甘えるようにアルフレッドをじっと見つめた。
うっすらと涙に滲んだアリスの瞳に捉えられて。
アルフレッドはゆっくりと目を見開く。
何かを確かめるように自分の胸に手を当てて。
とうとう、じっとアリスの潤んだ瞳を熱にうかされたような青い瞳で見つめ返してきた。
「・・・・そうだ、ね。私も他の男に君の大切な思い出を聞かれたくない。レオナルド、外せ」
「・・・殿下、しかし」
「聞こえなかかったか? 私は外せと言ったのだが?」
アルフレッドは、微かに頬を上気させて、うっとりとアリスを見つめている。
いつもなら冴え渡り透き通っている冬の碧羅の空のような瞳には、ぼんやりと春の霞がかかっているようだ。
瞳孔も開き切っていたのだけれど。
背後に立つレオナルドには確認できない。
「殿下、本日のところはお暇した方がよろしいのでは?」
それでもわかる。明らかに様子のおかしい主に、レオナルドは帰還を勧めた。
「レオナルド、うるさいぞ。出ていけと言っているんだ。まさかお前もこちらの御令嬢に思いを寄せているのではあるまいな?」
「は?」
月の騎士が殿下の発言に深く眉間に皺を寄せる。
「まぁ、まぁまぁ、殿下ったら、情熱的な方でしたのね。私のアリスに思いを寄せてくださいましたのね」
リリアが胸の前で手を合わせ、嬉しそうに微笑んだ。
アリスは嫉妬を隠さないアルフレッドの発言に、胸を撃ち抜かれ絶句していた。
大きく見開いた空色の瞳に涙をいっぱいに溜め顔を真っ赤にして、両手で口をおおい感動に打ち震えている。
「ああ! そうか、あなたはアリスというのだね。なんて愛らしい名前だろう」
とうとうアルフレッドは立ち上がり、アリスの前に跪く。
群青色の手袋を手にしたまま、胸の前で組み合わされたアリスの手を己の手で包み込むようにして引き寄せた。
その行動に、月の騎士が驚愕し固まっている。
不意に。
アルフレッドの手とアリス手に挟まれる状態になったアラクネーの手袋が、柘榴の腕輪に触れてパチンっと火花を散らして跳ね上がった。
「きゃっ いたっ」
刺すような痛みに、アリスは思わず手を引っ込める。
入室前にアフルレッドが入念に拘束魔術陣を落としてがんじがらめにして動きを制御していたはずのアラクネーの手袋は、まんまと床に落ちると。
元気よく出入り口のドアに向かってぴょーんと飛んだ。
ドアの隙間をするりと潜り抜け。
やおら逃亡を開始した。
「あっ、こら、待て!」
アルフレッドが慌てて手袋を追いかける。
「殿下! お待ちください!」
手袋を追って躊躇なく部屋を飛び出したアルフレッドを、レオナルドが追いかけた。
「まぁ! アリス、早く殿下を追いかけて!またしっかり目を合わせておねだりするの!」
「はいっお母様、もちろんよ!」
母娘も後に続こうと応接室の出口に向かった。
が、王太子を出迎えるために念入りに着飾っていたし、そもそも淑女は走らない生き物である。
あっという間に置き去りにされてしまった。
そんな人間たちを尻目にして。
アラクネーの手袋はぴょんぴょんと元気に廊下を跳ねてゆく。
グリンガルド侯爵邸の新館の応接室から、進路を北向きにとって。
主人の気配のする旧館目指し。
ぴょんぴょんぴょんと飛んでゆく。
そして。
太陽の王太子と月の騎士を引き連れて、ロングギャラリーに飛び込んだ。
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