45、エンディング
「精霊たちの世界を、少しだけ覗いてみましょうか?」
アシルが手を差し出すので、ディリートは好奇心で胸をときめかせて自分の手を彼の手に重ねた。
ゆっくりと
(眼がまわってしまいそう……)
思わず目を閉じると、ふわふわとしたあたたかな風が優しく頬を撫でて、控えめな花の香りが鼻腔をくすぐる。
そっと世界をみてみると、そこは一面の花景色だった。
「わ、あ……」
ディリートやアシルの背丈よりも大きな花が、たくさん咲いている。
カラフルな花は、いずれも個性的で、人間たちの世界では見たことのない種類に思えた。
空は爽やかな水色で、画家がたのしく筆をすいすい遊ばせたみたいな真っ白の雲がふわふわ浮いて、風にゆっくりゆったり流れていく。
七色の虹の橋がクッキリと見えて、近くにいったら登れそう。
白い十字架みたいなものをくるくる回す不思議な風車があって、青色の輪郭を魅せる山や高い塔やお城が遠くにある。
綿毛が舞うみたいに、全身が淡く光るちいさな妖精たちが舞っている。
羽の色や纏う光は、赤い光が多い。
「
アシルはそう言って、大きな白い花の近くに寄った。
「精霊獣がいますよ」
そっとささやく声に視線を向けると、白ウサギの精霊獣がいた。
「素敵な世界ですね……夢のよう」
ディリートがうっとりと呟くと、アシルは「精霊はイタズラ好きで、危険もあるのです」と語る。
ふわふわと妖精たちが寄ってくる。明るい真昼に光の粉が舞っているみたいな控えめで小さな光の群れは、幻想的だ。
妖精をよく見ると手のひらに収まりそうな大きさで、可愛らしい。
「世の中って、不思議なこと、知らないことがいっぱいあるのですね」
ディリートは母の指輪が起こした奇跡を思い出しながら呟いた。
「お母様の指輪も、……」
「やり直しの指輪?」
「ええ……あれも、不思議ですよね」
ディリートがぼんやりと奇跡に想いを
「えっ、あ、あなた? いかがなさいました……?」
この夫にそんな姿勢を取られて自分が立っているのは、恐れ多い!
ディリートは狼狽えて、少し迷ってから視線を同じ高さにするようにドレスの裾を持ち上げて、しゃがんでみた。
幸い、周囲には人間はいないし――不思議な草地も、とても綺麗で、土が付いたりして汚れる様子もない。
「『一度目の』私は、不甲斐ない夫でしたね、ディリート」
「……!」
夫は、気にしているのだ。
ディリートは息を呑み、慌てて首を振った。
「あ、あ、あなたではない……」
「私でしょう。私は私だと思うので、それは私でしょう」
夫がすごく複雑なことを言っている。
ディリートは「私はあなたではないと思うので、あなたではないのです」と似たような言葉を反論にした。
「私、下品でしたの。マナーもなっていなくて、精霊獣のあなたに怯えたりもして、拒絶して、毒も持ち込んだりしましたし……」
「それくらい、なんです? そなたを受け入れる努力をしなかった。そなたに好かれる努力を怠った。そなたに優しくする間男に、心の隙を突かせてしまった。……そんな『一度目の』私を、私は情けないと思うのです」
大きな花が頭上でふわふわと可憐な色を揺らしている。
この花の香りは、そういえば時折アシルから香る匂いに似ている――ディリートはそんな事実に気付いた。
「アシルは、一度目の私の不徳を妻に詫びましょう。二度目のアシルは、生涯の愛を誓いましょう」
まるで、結婚式のやり直しだ。
以前の結婚式のときと違って、目の前の青年は頬を初々しく染めていて、表情はちょっと一生懸命な感じで、感情を隠そうとしないのだ。
完璧で理想の自分を装ったりはしていないのだ。
ただ、ありのままの声を響かせてくれるのだ。
「この胸の想いは、身分や肩書きによるものではなく、政略のためではなく、ひとりの男子としてそなたの魅力に惹かれて燃え盛るのです」
「そなたは、私の感性からみると、純真で、優しく、他者への思いやりにみちています。誰かのために一生懸命になれて、人が傷つくことをおそれ、その手が及ばぬ場所まで懸命に手を伸ばして、守ろうと背伸びするのです。けれど、私が褒めると否定して、少し卑屈なことを言う……」
そんなところが、可愛い。
アシルはそう言って、ディリートの手を取った。
私が本当に優しく純真なら、苦しむ家族に土地を返しただろうに。重い罪を背負い絶望の人生を生きる生家の人々を憐れんだだろうに。だから、そんな言葉は似合わないのに。
その指に光る特別な指輪を大切そうに撫でて、顔を寄せた。
「そなたは、他の男にとても執着されていて……よりによって皇族に。皇族二人に気に入られて……」
「他の男のことばかり考えたり、他の男の名ばかり呼んだり、他の男と手紙を交わしたり、会いに行ったりする……そなたは、私をあまり見てくれなくて、私のことも利用しようと考えていて、かと思えば途中からは、私に誠実でいようとしてくれましたね……そんなところが、ずるいと思うのです……」
呟く声は、少し拗ねた調子だった。
「責めているわけではありません。ありませんが……私の情緒が毎日かき乱されてしまって、私は恋の苦しみを知りました」
「……」
――利用しようと考えていたのも、お見通しだったのですね。
ディリートは焦った。
「す……」
「すみません」
ディリートが謝ろうとすると、アシルは言わせないとばかりに声をかぶせた。
そして、「危ない危ない」と吐息をつむいで微笑んだ。そして、指輪へと慈しむようにキスをした。
「あ、あ、アシル様……っ」
――ず、ず、ずるいのは、そちらなのでは?
ディリートは真っ赤になりながら、心を言葉にのせた。
夫がそうするのだから、これはきっとそういう夫婦の儀式なのだから。
なら、自分だって言ってあげるのだ。
「あ、あなたは、私が何をしても許してくださるようで……紋章入りのハンカチだって、問い詰めたりしなくて。奇妙なフォローをなさって……」
そうだ。あれは、夫が「あなたは浮気をしていませんね、落ちていたハンカチを拾っただけですね」ということにしてくれたのだ。
「襲撃を知っていて、ハンカチを持っていた私はあやしかったでしょうに、優しくしてくださって……」
言葉に詰まってしまう。
想いがあふれて、涙がこぼれてしまいそう。
――この夫への想いを、どう伝えたらいいのかしら。
「束縛しないって仰って。でも、盗人は嫌いって意思表示はなさって。密会現場にいらして、謝ったら負けとか仰って。……あなたみたいに、優しい人は、いませんわ」
なのに、自分が怖い生き物だと、そう思われてしまうのが怖い、と怯えていたのだ。
「あなたが、愛しいのです……っ、きゃっ!」
想いを吐いた瞬間、抱き寄せられていた。
膝をついた姿勢で顔が近づけられて、鼻先がこすれて、吐息を感じて。
――綺麗な夕日色のまつげが近い。
そう思ったときには、唇が触れていた。
やわらかに優しく愛しさを伝える体温は控えめで、神聖な何かに触れてしまったというようにすぐに離れるのが、夫らしい。
「いとしい」
喜びをきらきらと
「いとしい。いとしい。……なんて綺麗な言葉でしょう。なんて嬉しい響きでしょう。妻はいつも、私の心を揺らして、私に人間らしい感情を感じさせてくれるのです」
その声が愛を伝える言葉を甘やかにつむいで、その手が髪を撫でて、大切な宝物を誰にも渡したくないのだというように必死に抱きしめる。
神聖な儀式のように愛を表現する言葉をさがして、二人で共有するように繰り返す。
喜びを分かち合うように笑いあって、むつみ合う。
愛しさを伝えたくて夫に触れれば、相手もまた同じ想いを伝えるように妻に触れて、幸せな感情がふわふわと溢れて、止まらない。
「お慕いしています」
「愛しています」
「好きなのです」
「……だいすき」
身分も肩書も、派閥も政治も関係のない秘密の聖域の奥で、ただの女の男として。
夫婦は再び、結ばれたのだった。
――HAPPY END!
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