番外編「第一皇子の健康によい話・後編」(SIDE:エミュール)
前回のあらすじ「なんと臣下が運命の出会いをするはずが、私が出会ってしまった!」
臣下の運命の出会いを横取りした私は、ちょっとした罪悪感を胸にその後を見守った。
すると、ディリートは迎えに行った騎士に並々ならぬ好意を抱いていると語る。
彼女、アシルの美形フェイスに一目惚れどころか、『顔より人柄』と語るではないか。その心は先に騎士に奪われている――!?
可哀想だな、アシル?
私は臣下に同情した。
しかし、ちょっとだけ胸がスッとした感じもある。
この感情はなんだろう――人妻に惹かれるなんて、私に限ってそんな不道徳な感情を覚えるはずはないのだが。でも好きになるのって理屈じゃないよね。
これがまた「これから人のものになるけど、まだなってない」という中途半端な段階で。
そして相手が臣下というのもいい。権力に物を言わせたら手に入れられそうなのがたまらない……いや、まて。私は何を考えているのだ。いけないぞ!?
「顔より中身作戦だ。アシル。もう遅いかもしれないが、中身で仲良くなるとよい。あとさっきの最後、『恋人ではないのですか』ってなんだい」
「殿下がロメオとジュリエットになぞらえろと仰ったのでロメオの気持ちになりました」
「ロメオになりきれとは言ってない」
不倫も浮気も珍しくない貴族社会だ。
仮面夫婦がごろごろしている世の中だ。
(アシル。そなたの妻はそなたを好まないかもしれないが、それもよい。むしろそっちのほうがいい。口には出さないが、私だってそなたの妻がちょっとイイナと思っているんだ。正式な妻として日々を共にできるだけでもアシルは幸せなのだよ。うらやましいな、口には出さないが。口には決して出さないが)
そして、月日は流れたのである。
* * *
私が「イゼキウスがディリートを拉致して国外逃亡しようとしているだって? よーしこれはチャンスだ。イゼキウスを捕まえちゃうぞー」と皇都のランヴェール公爵邸に兵を置いて父にイゼキウスを奪われた数日後――皇都中の民が張り紙を見て「どう思いますか、だって」「ランヴェール公爵が皇族に怒ってるぞ」「反乱でも起こすのか」とザワザワしている。
文面を見て私は
せっかく支持を取り付けたのに、撤回されたら大変だ。
それどころか、下手したら「皇族にはもう帝国を任せられません。今日からランヴェールが皇族です」と城を攻めてきそうじゃないか。
奴らなら有り得る。下剋上される。麗しの皇都が炎上しちゃう。怖い。
「こ、これは引き篭もっている場合じゃないぞぉ。たぶん」
そんなわけで、私は皇都にあるランヴェール公爵の別荘を訪ねたのだった。
「ごめんなさいもうしません?」
エントランスホールで正座して反省の意を唱えると、家令が「お、皇子殿下が正座を」と驚いている。
階段をゆったりと降りてきた家の主、アシルは冷ややかな眼差しだったが、どことなく機嫌が良いようにも思われた。
アシルは誓約書を広げて「では二度としないというサインを」と求めてきた。破ったら違約金だ。
「私は二度と臣下の妻を囮にしません。エミュール」
涙目で誓約書にサインをすると、噂の「臣下の妻」が階段を降りてきた。
相変わらず美しい。初めて会ったときよりも健康的になっていて、いっそう大人びていて、色気が増している。この美貌は目から入って腸まで届く健康の良さ……! 寿命が伸びる。
「エミュール殿下、私は気にしてませんわ……」
優しい声で言って、ディリートはチラリと夫を見た。その視線には、以前はなかった何かがある。このとき、私はビビッと感じた。
「……」
花のくちびるが音もなく何かを発しかける。名前だ。これ、「名前を呼んじゃおうかな」って感じなのだ。親密になっている。思っていたより仲が良い。
そして、思いとどまったように視線がそらされて、頬がふわふわと薔薇色に染まる。見ているこっちがもどかしくて、じれったい。私は何を見せられているんだ。「無理しなくていいよ」って頭を撫でてやりたくなるのだが。
「……公爵様」
迷った挙句に呼ぶ声には照れがあって、それを見守る「公爵様」は無表情をキープしつつも、つい手が伸びてしまうといった様子で妻の手を取っている。
そして、手を繋いでいる。見せつけるように手の甲にキスとかしている。二人の世界だ。イチャイチャしている。
「け……健康によい」
私はニコニコとそう言った。
ランヴェール公爵も高位貴族の当主として内心を表に出さぬ教育を受けているだろうが、それは第一皇子である私も同じなのだ。
こう見えてニコニコスマイルをつくるスキルは高いのである。
「夫婦の仲がよいようで、私は安心した。健康によい……今後も仲良くするように」
「ランヴェールは殿下の忠実な臣下なので、ご安心ください。妻の好みです」
ランヴェール公爵は機嫌がよくなったようで、私を許してくれた。ところで妻の好みとは?
「それで、皇甥殿下は罪に問えそうですか」
ランヴェール公爵が状況を尋ねる。妻以外にも関心があるらしい。よかった。
「イゼキウスの身柄は父皇帝におさえられてしまっているが、私の優位は変わらない。たぶん。それより、敵国だ」
私は懸念事項を共有した。
「レイクランド卿が河を越えて北上し、今まさに北方ナバーラ国の王都に迫ろうというとき、敵方は休戦と講和を提案したらしいのだ。敗北宣言ではなく、『ちょっと待ったぁ』の中止。父皇帝からもストップがされて、勝利目前の寸止めがされちゃったのだ」
「まあ。ひとまず、戦いは終わって平和になるということですわよね?」
「たぶん」
ディリートは血なまぐさい話も嫌がらずに興味を示して、理解している様子で会話に混ざってくる。そこがいい――私の婚約者マリーであれば、こんなとき「
婚約者には妃になるための教育はされているが、進捗は芳しくないのだという。そこが可愛い、という声もあるが、私が皇太子になるための足を引っ張っているという声もある。「エミュールはただでさえ身体的に不利なのだから、サポートできる妃が望ましい。可愛いだけの伴侶ではいけないだろう」というのだ。
「一時的だろうとも思う。過去にも同様の事例があった。レイクランド卿が亡くなるまでの時間稼ぎとも取れるのだ。私の見込んだレイクランド卿は稀代の用兵家であり、一騎当千の天才である。たぶん。……とはいえ。天才も人間なので、寿命はある。彼の没後に帝国に彼と同じ程度の天才がいるとは限らない」
しかし、婚約は父が決めたのであり、破棄はできない。それは、父の決定に文句があると言って逆らう行為なのである。
なにより……マリーは可愛い。ちょっと私を子供扱いするし、こちらも燃え上がるような恋情を抱いたりはしていないが、可愛いのである。何を言われても「しょうがないなぁ」と返してしまいたくなるのである。
「敵国には現在レイクランド卿に対抗できる才能の持ち主はいないが、次世代では天才が現れるかもしれない」
表では真面目な話をしつつ、心の中は婚約者のことを考えている。
我ながら器用である。これも教育の
「ピンチな期間を休戦講和でしのいで、戦えるようになったら再開する――という小狡い作戦を、ナバーラ国は過去にも採用しているのだ……私も婚約者と仲良くしたい」
「殿下?」
帰ったら身長をはかってみよう。
背が伸びているかもしれない――現実から目を逸らすようにして私は城に帰ったのだった。
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