第22話

 互いの負傷を処置し合って少し休み、遅いランチと支度を終えて屋敷を出る頃には暗くなっていた。


「ギデオンが待ちくたびれてるわね」

「どうでしょう。お嬢様の渡したリストをこなすので精一杯だったのではないかと」


 来た時と同じように後部座席で揺られながら、サイの肩に凭れて長い息を吐く。

 父が言ったとおり、ギデオンは密かに生き延びている。朝の食卓で私が渡したものは薬と菓子、そして死を偽装するための指示と「死後」にして欲しいことを書き連ねたリストだった。


 ギデオンは指示に従って私とダンスをする前に医務室へ向かい、冷蔵室から父の自己血のパックを盗んだ。そしてパックを上着の内側に仕込み、私とダンスを踊った。私にうまく刺されたあとは死んだふりをして棺に収まり、私の合図があるまで私の部屋で待機していた。


「まあちょっと、こきつかった自覚はあるわね」

 私がイアンと父の相手をしている間に決して少なくないリストを消化して、この先で待っているはずだ。


***


 船着き場へ到着すると、運転手のオートマタは荷物を提げて先に一隻の客船へと向かう。それに続いて車から降り、まっすぐ船へと乗り込んだ。豪奢な光を散らす船はほどなく岸を離れ、暗い海を裂くようにして進んで行く。そして二キロほど離れたところで、閃光と轟音に飲まれた。


「どうせ、こんなことだろうと思ってたわ」

 オペラグラスを下ろし、肩で大きく息をする。岬の潮風に冷やされた腕をさすり、サイとギデオンの待つ木陰へと戻った。


「間に合って良かったよ。あのオートマタを二体盗むの、父さんと鉢合わせしそうで大変だったんだぞ」

 ギデオンには前もって例の男性型と女性型のオートマタを一体ずつ盗み、私とサイの服を着せて車に隠しておいてもらった。男性型はアイオダインヨードチンキで肌を染めておいてもらったし、私より二インチ背が高い女性型にはヒールを履かせつばの広い帽子を被せてごまかしてもらった。イアンは屋敷からスコープで見ていたのだろうが、船がちゃんと遠くで爆発したところを見るに、無事出し抜けたらしい。


「鉢合わせしなくても、ばれてたわよ。お父様はギデオンが生きているのを分かってたもの。私を殺してから始末しようと思ってたみたい。イアンもね」

 対決のあと訓練ホールの外側を確かめたら、ちょうどあの窓の下辺りに地下室用らしき採光窓が嵌っていた。幅二十インチ弱の、イアンの体格ならなんとか滑り込めそうなサイズの窓だ。ガラスは嵌っていなかったが、爆風で吹き飛んだと信じるほど私は楽観的ではない。イアンが「予め逃げ道を準備していた」事実に胸は空く一方、私の指示は杞憂でないことを確信した。やはりイアンは、あの場で殺せるような相手ではなかった。用意周到で、ずる賢い。


「ギデオン、守備は万端ね?」

「ああ。やっぱり胸は痛んだけどね。でもこれで、こんな残酷なゲームも終わりだろ?」


 月明かりに照らされたギデオンが、疲れたように笑む。

 ギデオンがあの日私に手渡した万年筆の中には、私が頼んだことへの報告メモが入っていた。イアンらしい習慣は『必ずビートルズを聴く』『よく水を飲む』『一日二回シャワーを浴びる』の三つで、ギデオンはどれも決め手に欠けると思って無理をしたらしい。でも、十分だった。


 『・イアンの部屋にある水差しの水を、全て希硫酸に変えて』


 希硫酸が実験室にあるのは、既に確認済みだった。今頃は祝杯の一杯に喉を焼かれてのたうち回っていることだろう。万が一軽症だったとしても、医務室にあった鎮痛剤や抗生剤は全部捨ててきた。最早、ほかの痛みと合わせて限界まで苦しんで死ぬしかないのだ。これで、ようやく私の復讐が終わる。


「ええ、これで終わり。もううんざりよ」

 血を分けた兄妹が、金と復讐のために騙し合い殺し合った。今更だが正気の沙汰ではない。全ては父にそれを命じた悪魔の仕業だが、そんなものにつけこまれた父が悪いのだろうか。父を変えてしまったのは戦争か、それとも神か。


 不意に木々の揺れる音がして、すぐさまサイが私を下げて立ちはだかる。しかし茂みから姿を現したのは、ハンナだった。


「……ハンナ!」

 痩せてはいたが、月明かりに照らされる姿は確かにハンナだ。サイの陰から飛び出して、久しぶりの姉を強く抱き締める。ハンナも応えて、優しい腕に力を込めた。


「大丈夫だったのね! 会いたかったわ、ハンナ」

「私もよ。あの時、やっぱりあなたを連れて行きたくて、途中で降ろしてもらったの。でも少しして起きた爆発で、森の中に吹き飛ばされて……屋敷へ行くのは危ないと思って、森の中にあった小屋に隠れてたの。ラジーヴが気づいてくれて、食べるものや水を運んでもらってた」


 ああ、そうか。父はラジーヴに聞いて、ハンナのことも分かっていたのだろう。戦意のないハンナなんて、すぐに殺せてしまう。


「もう大丈夫よ、ハンナ。全て終わったの。一緒に本土へ帰りましょ」

 最後に起きた奇跡の再会に体を起こすと、ハンナも笑みで頷く。でも次にはその笑みがひどく歪み、粘りつくような視線が私を捉える。覚えのある視線だ。あの日、バラの茂みから私を捉えていた、あの。

 気づいた瞬間、腹に妙な感触が走った。

 ゆっくりと視線を落とした先で、ハンナの手がナイフを引き抜く。


「ずっと、あなたが嫌いだったの。あなたは悪魔よ」


 囁く声に、痛みより早く感じたのは困惑だった。どうして、と掠れた私の問いには答えることなく、ハンナは私を突き飛ばして走って行く。


「サイ、あなたを救うために戻って来たの! 私と一緒に本土へ帰りましょ!」

 ゆっくりと崩れ落ちながら、サイに駆け寄るハンナを見た。


――ハンナは……まあ、やめといてやるか。


 ……ああ、そうか。イアンのあの言葉は私ではなく、サイに……好き、だったのか。


「ジョスリン!」

 ギデオンの悲痛な声がして、駆け寄る姿までやけに遅く映る。その背後で、罵る声と共にハンナの頭がどこかへ跳ね跳ぶのが見えた。


 「地獄へ落ちろ」、か。サイの母国語だ。でもこんな言葉も荒れた声も、初めて聞くものだった。


――母国の言葉で、私の名前は。


「お嬢様!」

 駆け寄ったサイは、ギデオンから私を引き取って抱き起こす。痛みはあったが、既にそれほどでもない。ハンナのことだから、ナイフに植物の毒でも塗っていたのかもしれない。目が霞んで、体が痺れていく。


「……あなたも、怒ることが……あるのね。最期に、知れて」

「だめです、そんなことは、お願いです!」

「残ったのが、ギデオンで良かっ……た」


 頬に触れる熱が、震えていた。だめです、と涙声が答える。


「ギデ、オン……サイ、を」

 よろしくと続け掛けた口が、こみ上げる何かに塞がれてしまう。溢れ出たものは血か、ゆっくりと何かが閉じていくのが分かる。痛みは、もう消えていた。


 父を殺し兄達も殺したくせに、随分と恵まれた死ではないだろうか。まだ罪状が、神に届いていないのかもしれない。笑ってみたがもう、何も見えない。


 ジョスリン、と初めて呼ぶ声を最後に、意識が消えた。

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