第20話

「ラジーヴ、美徳を発揮してちょうだい。私に黙っていたことがあるわね?」

「どのようなことでございましょう」


 ラジーヴは眉一つ動かさず尋ね返す。答えないところが、既に認めたようなものだ。


「お父様が梅毒で死んだっていうのは嘘ね。梅毒と言えば、私達は近づかない。近づくとしたら、医者であるクラレンスだけ。でも私達と一緒に本土から似たような背格好の梅毒患者の死体を運んでくれば、十分にごまかせるわ。五年も会っていない上に、梅毒で顔が崩れているんだもの。『島に招いた売春婦にうつされた』なら、お父様らしい理由だしね」


 到着した夜、屋敷へ向かう私達の車とすれ違った一台があった。本土からの物資を引き取りに向かう車だと思っていたが、その中には死体も含まれていたのではないだろうか。

 窺う私に頷き、ラジーヴは穏やかに笑む。


「旦那様は、最後に残るのはジョスリン様だと仰いました。決して油断せず『殺せ』と」


 ラジーヴが物騒な言葉を口にした途端、ふわりと体が浮いて後ろへ放り投げられる。猫のように回って下り立ち、前に立つサイの背を見た。


「サイ!」

「ここは私にお任せください。主人を殺すと言われて、引き下がる従者はいません」

「でも」

「『主の命は血縁に勝る』と教えたのは父です。もちろん、その言葉に見合う主人に仕えることができた場合のみですが」


 サイは振り向いて笑み、向き直る。ラジーヴがその先で、満足そうに笑むのが見えた。

「私に、あなたより大切なものはない」

 いつの間にか携えていたステッキで床を打ち、ラジーヴへ飛び掛かる。

 私は急いで近くにあるコンテナの陰に滑り込み、その角から趨勢すうせいを見守ることにした。


 ラジーヴは体を引いてサイの攻撃を避け、懐から銃を取り出す。しかしサイはすぐその銃にステッキの持ち手を引っ掛け、向きを変えた。天井を撃つ銃弾がシャンデリアを揺らす。


 大きく揺れる灯りの下で、二人が戦う姿を眺める。幼い頃に何度か見たことはあるが、あれは訓練だ。あの頃には、こんな日が来るとは思いもしなかった。


 ラジーヴがステッキを掴んで捻ると、サイは逆らわず舞うように回る。背の低い私が回るのに比べ、背が高い分ダイナミックで見栄えがいい。思わず見惚れる耳にまた銃声が響いて、我に返った。

 サイはラジーヴと互角くらいだと言っていたが、確かにどちらが優勢ということもない。ラジーヴは若いサイより体力で劣っているとしても、それを補うだけの技がある。父の技はどれほどか……私に、父を殺せるのか。ふと胸を圧す思いに、重い息を吐いた。


 向こうでは相変わらず、ひりつくような攻防が続いている。一瞬の隙が命取りになるようなやり取りだ。見守るしかできないのが歯がゆいが、私が加わったところで邪魔になるだろう。


 サイはステッキの先でラジーヴを突いたあとくるりと持ち替え、ラジーヴの背後でぶらさがる窓枠に持ち手を引っ掛ける。外した窓枠を勢いよくラジーヴに叩きつけ、ガラスの雨を散らした。そしてすかさずステッキの柄を引き抜き、仕込んでいたレイピアで突きを繰り出す。しかしラジーヴは体を落としながらサイの懐へ入り込んで、腹を蹴り飛ばした。サイの体が吹っ飛ぶように床へ落ち、砕けたガラスの上を勢いよく滑る。私の隠れるコンテナに激突して、鈍い音を立てた。


「サイ!」

「大丈夫です、剣を」


 サイの声に立ち上がって背後の棚を開け、剣を選ぶ。手渡すと、口元に滲んだ血を拭って戻って行く。上着を脱いで床に投げ、乱れた髪を掻き上げた。


「私の若い頃を見るようだな。瑞々しく美しく、己が使命に燃えている」

 ラジーヴも上着を脱ぎ捨て、黒ネクタイの襟元を緩める。シャツに隠されていても、五十近くには見えない筋肉の流れが見て取れた。


「終わりを悟ったのなら、大人しくその時を待てばいい。見苦しく足掻くべきじゃない」

「主人が、最後の炎を見たいと望んでもか?」

「それなら仕方ないな」


 サイはあっさりと認めて剣を構える。

「サイ。どのような結果になっても悔やむな。地獄までも付き従いたいほどの主人に出会えたのは、互いに僥倖だったのだ」

 ラジーヴは満たされた笑みを浮かべてスピアを構えると、今度は自分から仕掛けた。


 さっきとは比べ物にならない速さの突きと防ぐ剣さばきは、目で追うのがやっとだ。火花の散りそうな金属のぶつかりと鋭い音を追いながら、固唾を飲んで見守る。不意に、サイの足がガラスの破片で滑った。


 ぐらりとバランスを崩したサイの隙を、ラジーヴが見過ごすわけがない。

「サイ!」

 すかさず繰り出された突きに、思わず悲痛な声を上げた。


 サイは体を崩しながら落ちていた上着を剣先に引っ掛け、ラジーヴへ投げる。その上着を貫くように、剣を突き出した。

 それまで一瞬も止むことなく続いていた動きが、ぴたりと止まる。しん、と空気が静まり、タンゴが急にうるさく聴こえた。


 サイの剣はラジーヴの胸に刺さり、白いシャツを赤く染めていく。でも、スピアの先からも血が滴り始めていた。

 二人はゆっくりと離れ、ラジーヴは血をごぼりと吐いて仰向けに倒れる。駆け寄って確かめたサイも、スピアに左腕を貫かれていた。ここで引き抜くわけにはいかない。


「医務室に行くわよ」

「いえ、今は無理です」


 サイは荒い息を収めながら、背後へ視線をやる。その先で、もったいぶるようにドアが開く。現れたのは、あのオートマタ達を引き連れた父だった。男性型は燕尾服、女性型とあの子供型は華やかなドレスを身に着けている。


「素晴らしい戦いだった」

 同じく燕尾服を身に着けた父は彼らを戸口に並べ、緩く手を打ちながら歩いてくる。ラジーヴの傍らに腰を落とすと剣を抜き、開いたまぶたをそっと閉じて髪を撫でた。


「我が最良の友よ、安らかに」

 大人しい声で告げ、四隅で待機していた「機械的なオートマタ」達に視線をやる。彼らはそれで全てを察したように、近くの担架を手に集まった。


 手際よく乗せられていくラジーヴの遺体を横目に、サイの首元からネクタイを引き抜く。左腕の付け根に縛りつけ、ひとまずの応急処置をした。

 父は落とされていた上着を拾い上げて丁寧に払ったあと、担架へ移されたラジーヴの遺体に掛ける。


「丁重に葬りなさい」

 指示を出し、まるで船出を眺めるかのように出て行く様子を見守った。


「あれは、『何で』動いてるの? まさかまだ電気信号なんて言わないわよね」

 父はドアが閉まるのを待って向き直り、サイを支える私を見下ろした。五年ぶりか、整えられた髪に白は増えたのだろうが、元の色と大して変わりがない。五年前にはなかった口髭が、貫禄を与えていた。年相応に肌が弛む一方で、アクアマリンの瞳はまだ若々しく澄んでいる。一見しては、かつての美貌が窺える「美しい老人」だ。


「美しく育ったな、J。あのヘレネーでさえ、お前ほどではなかっただろう」

「そうね。私を攫えるほど強いテセウスやパリスが現れないのは残念だけど」


 肩を竦めるようにして答え、サイの前に立ち上がる。これ以上、サイを傷つけさせるわけにはいかない。


「それで?」

 答えを要求した私に、父はにこりと笑った。

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