第15話
熱を出したのは、昼過ぎだった。
サイとオートマタが位置を変えたベッドへ横になり、オートマタがカーテンの向こうで窓の穴を補修するのを見ていた。何か粘土のようなものを詰めて塞ぎ、半透明のテープを貼る。全てがそんな風に埋められて、何もなかったことになればいいのに。父もこんな殺し合いなんて考えずに、平等に、分ければ。
――お前は神を信じるか、ジョスリン。
今日は朝から、父の声がよく響く。目を閉じて熱っぽい息を吐くと、目の奥が鈍く痛んだ。
私が物心ついた頃には、父は教会へ行かなくなっていた。
――私が兵士として戦争に行ったのは、二十歳の頃だった。当時は医学生でね。志願したんだ。私だけじゃなく周りも、愛国心と男らしさを発揮する場だと信じていた。誇り高く戦えると。でも実際は、地獄だった。あそこに神などいない。神がいるというのなら、残酷すぎる遊戯をしていたのだろう。だから私は、オートマタを作ることにしたんだ。次に、神が遊戯を行う時に備えて。
その結果は、家庭教師から教えられた。第二次世界大戦と朝鮮戦争に「出兵」を果たした父のオートマタ達は味方の盾となって多くの命を救い、勝利をもたらした。家庭教師はそれを「誇らしいことだ」と称えた。周囲も英雄だと言った。でも父は決して、自分の心を語らなかった。分かっているのは、勲章を辞退したことだけだ。
――お父様は、神を冒涜しているのよ。
兄妹の中で一番父とオートマタを嫌っていたのは、間違いなくエレインだろう。敬虔なエレインは父の仕事が神の領域に踏み込んでいると主張し、何度となく父にも研究を辞めるようにと訴えてきた。全ての元凶は父が教会から離れたことにあると信じていたエレインは、何度となく牧師を伴って現れ、父に悔い改めを求めた。
エレインは私にとって母より母親に近い存在だったが、信仰を押しつけてくる点においては、母よりも苦手だった。私も決して信心深い方ではないから、聖書を読んでも思うことと言えば「神はものすごく殺してるな」くらいなものだったし、牧師の説教は眠くてつまらなかった。結局エレインの要求は受け入れず、父と神との間に横たわる溝は一層深く刻まれた。
――イアンの罪は、神様にお任せすればいいのよ。
私と一番相性がいいのはハンナだったが、ハンナと一番相性が良かったのは私ではなくエレインだろう。ハンナは十歳差の姉に憧れて育ったらしい。二人共おっとりとして争いを嫌う慎ましい姉達だったが、あまり好きではない部分も似ていた。ただハンナにはエレインにない平等意識があって、そこが私とハンナを強く結びつけていた。
バーバラとエレインはフランスか移民への文句でお茶を飲むのが大好きだったが、ハンナはそこに加わらなかった。子供の頃にサイと共に学んでいたせいもあるのだろう。私がサイと共に会いに行くと、必ずサイの分もお茶を入れてくれる姉だった。
でも皆、死んでしまった。皆、死んでしまう。私が殺してしまうから。
不意に誰かが後ろから肩を掴み、耳元へ顔を寄せる。
――その調子で殺してくれよ、助かってるんだ。
すぐ傍で聞こえたイアンの声に胸がどくりと音を立てて、目を開けた。途端に噴き出したのは冷や汗か、全身が湿っていく。仄暗い部屋に、夜の気配を察した。
聞こえた声に手をもたげると、すぐに触れる手がある。サイは暗がりから現れ、サイドテーブルのランプを点けて私の額に手を置いた。
「熱が落ち着きましたね。果物でも召し上がりますか」
「そうね。でも先に、着替えたいわ」
手を借りて起こした体に、ネグリジェが張り付く。汗のおかげで体はすっきりしたが、まだ頭は少しぼんやりする。頬にも髪が張りついて不快だ。
「湯をお持ちします」
サイは私の手を置いて着替えを取りに向かう。熱っぽさの残る息を吐いて髪をまとめたあと、もぞもぞと湿ったネグリジェを脱いだ。空気がひやりと肌に触れて、小さく震える。粟立った肌を撫でていると、湯を持ったサイが現れた。
サイはサイドテーブルに湯を置き、浸したタオルを絞って私へ差し出す。
「着替えを持ってまいります」
「拭いてくれないの?」
視線で訴えた私に、サイは苦笑する。
「お顔だけですよ」
畳んだタオルを手に、ベッドへ腰を下ろした。目を閉じると、心地よい温かさが頬を撫で始める。ふう、と長い息を吐いた。
「いやな夢を見たの。最後に、イアンが出てきた」
「申し訳ありません。私がついていながら」
「そうじゃないの」
言い返して、ぱっと目を開く。サイのせいではない。
「……お父様は昔、イアンに良心の呵責はないと言ったの。詫びを求めても意味はないって」
罪悪感で潰れることを望んでも、それは決して得られないものだと言われた。だから自ら罰せるほど強くなれと。父は、天罰など信じていなかった。
「誰よりも罪悪感なく殺せる奴が、まだ一人も殺してない。最初から、私に殺させるつもりだったのよ。もちろん殺すと決めたのは自分だから、悔いはないけど」
ディーンもアンドリューも、娯楽のために殺したのではない。財産を得るためでも。
溜め息をつき、また目を閉じる。湯の滴る音がしてしばらく、温かいタオルがそっと左のまぶたを拭いた。
義眼のストックは五つほど、一日つけたあとは煮沸して保存している。何も入れない時間を作るのは良くないらしく、眠る時もつけたままだ。今はほかのことを考えながらでも付け外しできるようになったが、慣れるまでは苦労した。
「イアンは、私を十分に弱らせてから仕留めるつもりでしょうね。今日の一発は威嚇よ。ギデオンから情報を引き出したことを知らせるために」
長い息を吐き、サイの肩に額を預ける。
「背中も拭いて」
甘えた私に小さく笑い、サイは私の背を拭いていく。
「急に幼くなられましたね」
「いいじゃない、どうせ肌を見せる相手なんてあなた以外にできないわ」
拭われているのに撫でられているようで、心地よい。長い息を吐いて、ぼんやりと目を開く。薄明かりの中で、午前中とは配置を変えた部屋を眺めた。
「ご結婚は、なさらないおつもりですか?」
「この目と性格じゃ無理よ。もし物好きが出てきたとしても、子供を産まないと言えば諦めるでしょ」
「子供嫌いだったとは知りませんでした」
「今日から嫌いになることにしたの。子供に、『人を殺してはいけません』とすら教えられない親になるから」
腰の辺りを拭っていた手が、ふと止まった。溜め息をつき、甘えるようにサイの首元へ頭を寄せる。こんなことができる相手も現れないし、それでいい。
「だから、あなただけは傍にいて」
願う私に、サイが頷いたのが分かる。手は再び動き始めて、私の背を清めた。
***
――ジョスリン。
誰かに呼ばれた気がして目を覚ますと、真夜中だった。
「サイ?」
小さく呼んでみたが、答える声はない。サイドテーブルのランプを灯して耳を澄ますと、水の音がした。シャワーを浴びているのだろう。吐いた息はまだ熱っぽく、触れた頬も熱い。体を起こしてサイドテーブルの水差しに手を伸ばした時、部屋のドアが開く音がした。
すぐに枕の下からナイフを引き抜き、ベッド際に転がり下りる。私が体調を崩しているのは皆知っているはずだ。殺しに来てもおかしくはない。
絨毯を這うように移動し、ベッドの端から壁際へ移る。張りつきながら窺った仄暗い部屋の入口は、廊下の灯りが帯のように滑り込んでいた。
……おかしい。イアンならこんな分かりやすいやり方はしない。フレデリックならありうるが、あれは忍び込んだ勢いでまっすぐ刺しに来る馬鹿だ。とっくにこのナイフが刺さっている。じゃあ、誰だ。
ジョスリン、と今度ははっきり、幼い子供の声が聞こえた。
確かめるようにもう一度部屋の入口を窺うと、灯りが影を抜き取っている。あの大きさは、子供だ。でも、子供なんて……ふと脳裏を子供型のオートマタが掠める。
確かめるしかないだろう。
ナイフを構えたまま、入り口へと向かう。招くように開かれていたドアをくぐり、廊下へ出る。静まり返った廊下は昼間のように明るいせいで、逆に不気味だ。あちこちに掲げられた絵の人物と目が合いそうで、見ないように一階へ向かう。「もし本当に」オートマタが呼んでいるのなら、あの地下だろう。
ひんやりとした階段を裸足で確かめるように下り、無人のホールを確かめる。シャンデリアは煌々と照って、いつでも客人を迎え入れられそうなのに、ラジーヴどころか一体のオートマタもいない。大ぶりの花瓶にたっぷりと活けられたバラへ視線をやった時、耳がかすかな旋律を拾う。父の部屋ではなく、北側にある大広間の方だ。
汗ばむ手でナイフを握り直し、熱っぽい息を吐きながら大広間を目指す。近づくほど鮮明になる音に交じり、女性の笑い声が聞こえる気がした。
辿り着いた大広間のドアに張りつき、しゃがみこんで耳を当てる。少しこもってはいるが、中で響いているのはワルツだ。そして女性達の笑い声。でも今、この島にいる女は私だけだ。人間でなければ、もう少し増えるだろうが。
荒くなる息と早鐘を打つ胸は、熱のせいだけではないだろう。予想はできるのに、確かめるのが恐ろしい。ナイフを持つ手が小さく震えて、唾を飲む。こめかみを伝う汗を拭い、ドアノブに手を掛ける。音が鳴らないよう少しずつ力を込めて、ドアを開く。盗み見た光景に、短く吸った息が詰まる。
……ありえない。
中ではドレスを身に着けた女性型のオートマタが二体、踊っていた。でも相手は、男性型ではない。ぐらぐらと頭を揺らしながら踊らされているのはディーンと、多分クラレンスの「死体」だった。
揺れる度にがくんがくんと揺れるディーンの頬には確かにバーバラが傷つけた痕があるし、クラレンスに至っては……繋ぎ合わせた肉塊に無理やり義眼をねじ込んでいるようにしか見えない。燕尾服は上着だけだし、ターンの度に両袖が揺らめいている。つぎはぎの頭が、今にも体からちぎれ落ちそうだ。その不格好なダンスを、周りの女性型達が笑っていた。
「どうして、こんな」
「だって、ジョスリンが全員連れて行っちゃうんだもの」
背後から聞こえた声に、慌てて振り向く。まるで気配を察せなかった。そこにいたのは、幼い女の子だ。質の良さそうな白いワンピースを来てお下げを垂らしているが、もちろん人間ではない。シャンデリアの灯りを集めて、瞳のアメジストが光る。固められた表情に動きはないが、清くは見えない。ぞわりと冷たいものが背を這い上がるのが分かった。
父は一体、「何」を作ったのだ。
「でもみんな、この方が楽しいみたい。だからジョスリン、あと四人よ」
女の子は、小さな手で四を作る。A、F、G、Iと一本ずつ指を折って見せた。
「早く、殺してちょうだい。早く」
少し籠もった声が、笑いを含みながら私に次の贄を要求する。全身から、汗が滲むように湧いた。伸ばされた手が額に触れる。熱のない、ぞっとするほど冷たい手だ。
何かを吸い取られるかのように、視野が暗くなり意識が少しずつ遠のいていく。
「早くね、ジョスリン」
消えゆく意識の中で、無邪気に笑う声がした。
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