第13話
「こんな時にまで条件か? こいつは小さな子を喰い物にするクソだぞ!」
「それは誰よりも知ってるわ、もちろん殺すわよ。ただ『今じゃない』って言ってるの」
肩で大きく息をして、気まずげに視線を落とすアンドリューを眺める。最後には殺されると、分かっているはずだ。自分の重ね続けた罪は軽くないことも。
「……組む気か?」
「イアンは、適当にナイフを投げても殺せるほかの連中とは違うの。秘密は握っておくべきよ」
アンドリューを許すわけではない。ただ、執行猶予を与えるだけの話だ。
「じゃあ、俺とはここまでだな」
「ギデオン。お願いだから、感情的にならないで」
「ナタリーには、『苦しくて打ち明けたけど代わりに復讐なんてしないで』と言われてる。俺が復讐すれば余計胸に刻まれて、二度と忘れられなくなるからって。だから耐えてた。でも……分かるだろう? もう無理だ」
苦しげに打ち明けるギデオンの言葉が、胸に堪える。握り締めた拳の中で、手のひらに爪が食い込んだ。
「俺かアンドリューか、どちらか選んでくれ。アンドリューを選ぶのなら、今から俺達は敵同士だ」
普段のギデオンには似つかわしくない、きつい言葉だ。ただ、激しさを持たない間抜けではないと知っている。
「自分よりナタリーが傷つけられたことが許せない人だものね。そのことは、純粋に素晴らしいことだと思ってる。……だから、残念だわ」
「俺もだよ。こんな終わり方になるなんてね」
ギデオンもやりきれないように返して、私をじっと見下ろす。ナタリーの話を聞いたのも初めてだが、私の話をしたのも初めてだ。こんな風に打ち明けることになるとは、思っていなかった。長い息を吐き、榛色の瞳から視線を外す。
「俺より殺したがってる奴がいるから、気をつけろよ」
ギデオンはぼそりと言い残して、部屋を出て行く。もちろん、分かっている。背後から発せられる研ぎ澄まされた殺気に、気づかないほど鈍くはない。
「サイ、抑えなさい。組むと決めたんだから、今はだめよ」
滲む疲労に溜め息をつき、再びソファへ腰を落とす。
「アンドリュー、座りなさい。相応の秘密じゃなければ、この場で殺すわよ」
サイは私のグラスにぶどうジュースを注ぎ、後ろへ控える。アンドリューが背後に視線をやると、一体のオートマタが給仕に動いた。
アンドリューは注がれたばかりのワインを呷るように飲んだあと、だらしない口元を拭う。荒い息を吐いたあと、上着のポケットから皺のついた封筒を取り出した。
「お前らの母親、ロージーからの手紙だ」
日に焼けた封筒の表面には『愛しいウィリアムへ』とある。取り出した手紙を開くと、乾いた紙の匂いがした。
『愛しいウィリアム
今、私の心は喜びとそれ以上の不安で揺れています。あなたの優しい心と深い愛情には感謝しかないけれど、本当にいいのかしら? お腹の赤ちゃんは、お父様の子なのに。もしあなたが私だけでなく、この子をあなたの子供達と「同じように」愛すとお約束してくださるのなら、今すぐにでもその腕の中に飛び込めるのに……。
どうか私の心に春の日差しと優しい雨を与えてくださいますように。
あなたのために咲く日を楽しみに ロージーより』
母は、祖父との間にできた我が子が、兄妹達と同じように扱われることを望んだ。それが保障されるのなら妾になっても構わないと、要は取り引きを求める手紙だ。
「ロージーは、元は祖父さんの妾だからな。でも当時から、父さんと『通じてる』って噂はあった」
「知ってるわ。お茶会に来る女達が、影で『恥知らず』だって嘲笑ってたもの」
まあ、図々しく逞しい女であるのは間違いない。父も祖父も、同じく悪女に寛容な人達だった。
「確かに、大きな秘密ね」
「そうだろう、これで」
「でも、あなたのそのお腹と同じくらい使いどころがないわ」
ソファのアームに肘を突いて、溜め息をつく。うんざりしながら、グラスを口へ運ぶ。今はぶどうジュースの香り豊かな甘みが慰めだ。
「一瞬でいいから、その脂肪にまみれた腐りそうな脳みそを正しい方向へと回転させてみて。お父様が、遺言書に『私の子供達』ではなく『AtoJ』って書き残したのはどうしてかしら?」
「……イアンを含めるから?」
「偉いわ、よく辿り着けたわね。ニュートンがあなたのお友達よ」
グラスを置いて、緩い拍手をした私をアンドリューは睨む。わざとらしく肩を竦める仕草をして、緩く編んだ三つ編みの先を弄ぶ。昨日の夜、少し伸びた部分をサイに切ってもらったばかりだ。
「血は繋がってなくても、イアンはお父様がお認めになっているの。ラジーヴにもきっと根回しはしてあるでしょうね。私達が認めないと反対したところで、文句があるならゲームから下りろと言われるだけよ。そのあと、C達みたいにラジーヴに始末される。それでもいい?」
尋ねて視線を滑らせると、アンドリューの視線が私の膝から逸れたのが分かった。……こいつ。
胸に湧いた嫌悪感をぶどうジュースで静めたあと、腰を上げる。一瞬、手をナイフへやりそうになってしまった。もちろん今殺したって綺麗に殺せば何も問題はないが、それはあまりに優しい死に方だ。
「あなたと組むと言った以上、最低限の礼儀として殺すのは最後にするわ。でもうろつかれたら守りきれないから、部屋に引きこもっててちょうだい。食事はサイに運ばせるから」
「ああ、ジョスリン。お前は本当にかわいらしいお姫様だ」
粘りつくような笑みを浮かべて、アンドリューはソファを軋ませながら重い体を持ち上げる。
「つんけんしていても、やっぱり俺のことが好きなんだな」
「は?」
思わず凄んだ私に応えたサイが、即座にアンドリューの首を絞め上げこめかみにナイフを突きつける。こめかみは頭蓋骨の中で一番薄い急所だ。サイなら難なくその内側までナイフを刺し通せるだろう。
「サイ、さっきの言葉が聞こえなかったの? 今はだめよ。私も殺したいけど我慢してるの。離しなさい」
少しだけ差し込まれた先端に、血の筋が醜い肉を伝い落ちていく。サイ、ともう一度呼ぶとようやく離れた。こんなに言うことを聞かないのも珍しいが……まあ、仕方ない。
アンドリューは荒い息を吐きながらこめかみを拭い、そそくさと自分のオートマタ達を連れて部屋を出て行った。
「ほんっと、最悪ね!」
苛立ちを吐き出してソファへ腰を落とし、ぶどうジュースを一息に空ける。大人ならきっと、ワインをボトルごと開けているだろう。
「サイ、許すわ。座って飲みなさい」
「一杯だけ、いただきます」
私が見ている場では決して飲食しないサイも、今回ばかりは受け入れて新しいグラスに自分のための一杯を注ぐ。ソファに座ると早速、グラスを傾けた。美しい所作で褐色の喉に吸い込まれていく流れを見守る。
「なぜ、話してくださらなかったのですか」
「五歳か六歳の頃だったから、その時は分からなかったの。木陰のベンチに呼ばれて膝に載せられて、乗馬の真似だって跳ね上げるように腰を振られた。あれが卑劣で下衆な行為だって気づいたのは、二年くらい前よ。もちろん腹が立ったけど、もう殺そうと思えば殺せるほどには強くなってたから」
「それでも、私は」
言い淀んで視線を落とすサイに、苦笑する。まだ従者ではなかった頃の話だ。守れなかった責任は、誰にもない。
「私はこの性格だから恨むのも恨まれるのも仕方ないけど、あなたにはあまり共有して欲しくないの。……この『ゲーム』が終わったあとに、いつまでまともでいられるか自信がない。私がただの化け物になったら、私を殺して止められる立場でいて」
「いえ、お嬢様が化け物になられるのなら私もなります。地獄へ向かわれるのなら、私も共に参ります。お嬢様を、決してお一人にはいたしません」
サイは言い切って、じっと私を見据える。一緒に地獄、か。それならもう道は決まってしまった。直接手を下していないとは言え、ディーンを殺す指示を出したのは私だ。
「頑固ね」
「父親譲りです」
サイは微笑で答え、グラスを傾ける。ああ、そうか。ラジーヴも、父と共に地獄へ落ちる道を選んだのか。
――私の全てを捧げて、あなたにお仕えいたします。
あの言葉に魂まで含まれているなんて、あの頃の私は知らなかった。ただ知っていたとしても、差し出された手に応えたのではないだろうか。
説得は諦めて、グラスを空ける。
「じゃあ、復讐に取り掛かりましょうか。優雅に、乗馬の真似をしてもらうのよ」
グラスを置いて腰を上げた私に、サイも続く。ギデオンに脳を入れさせたオートマタ達を迎えに、父の部屋へ向かった。
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