31、夕日色のスープ、家族
夕暮れ時を過ぎて、伯爵家の食卓に家族が揃っています。
おばあさまは夕日色のスープをゆったり、上品にスプーンで味わって。
家族には事情を打ち明けても良いのでは、と思ったわたくしは、口を開きました。
「実は……」
白ネコのレティシアさんのことや、おばあさまが呪いからご自分の記憶を守ろうとなさったことを言えば、カーテイルお兄様とお父様は「そうだったのか」とおばあさまを見つめました。
おばあさまは家族の視線にほんわかと微笑み、「コロッケが美味しいわね」と柔らかに言います。
「わたくしの聖女の力がもっと強かったらよかったですわ。そうしたら、もっと何かできることがあったんじゃないかしら」
家族だけの空間という安心感のせいか、ぽろりとそんなことを呟いてしまったわたくしに、おばあさまはちょっと心配するようなお顔で、眉を寄せました。
「メモリア」
「は、はい。おばあさま」
家族の視線が、おばあさまとわたくしの間を行き来しています。
「あなたは、おばあさまの大切な孫娘ですよ」
「は……はい?」
何を仰るのかしら。わたくしが首をかしげると、言葉はゆったりと続きました。
「聖女というのは、ただの称号にすぎません。聖女を決めるとき、たまたま力が一番強い適齢期の娘が選ばれるだけ」
「……はい」
おばあさまの瞳は、真剣でした。
それに気付いて、わたくしはドキリとして居住まいを正しました。
「メモリア、こうして家族と一緒にいるだけで、おばあさまは幸せよ。メモリアとお話できるだけで、嬉しいわ」
おばあさまの笑顔は優しくて、わたくしは胸があったかくなりました。
「リヒャルトが幼いときにも、もっとこんな話をしてあげられたらよかったわ」
「……!」
お父様がハッとした顔をして、息を呑むのがわかりました。
「私の子だったのと、嫡子だったのもあって、あの子は小さな時から周囲に多くを求められすぎていたわ。後継ぎ争いもあったし、同じ世代の貴族の令息たちの間で一番優秀でいないといけないような無言の圧力もあって。あの子もプレッシャーを感じているのがわかっていて、どんなに『がんばらなくていいわ、どんなあなたでもお母様の宝物なのよ』と言いたくなったかしら……」
「……」
お父様は、スープ皿に視線を落としてじっとしています。お耳が赤いです。
「けれど、甘やかしたら将来リヒャルトが苦労するんじゃないかしら。貴族社会で辛い思いをするのは、本人じゃないかしら。そう思って……なんて言ってあげたらいいのかわからなくなってしまったわ」
「覚えているよ、お母様」
お父様がそっと声を返す中、カーテイルお兄様がサクッとコロッケを召し上がっています。
わたくしなどは食事の手が止まっているのですが、よくこの真剣な空気の中で……わたくしがチラチラ気にしていると、ぱちりとカーテイルお兄様と目があいました。
「メモリア、ある程度は神経が図太くないと貴族社会では苦労するぞ」
「えっ、あっ、はい」
「食事会ではいつどなたとどなたが修羅場な会話を始めたり、嫌味の応酬をするかわからないが、平常心で食事をするんだ。家庭でその訓練ができてよかった。我が家は平和すぎると常々思っていたから」
……カーテイルお兄様ったら。
甘々のお父様に育てられて、なぜこんなお兄様に育ったのでしょう。ある意味、貴族らしい感性といえるのでしょう。嫡男としての責任感とか、プレッシャーとか、やっぱりあるのかしら。あるのでしょうね。
……それに比べてわたくしって、思えば本当に恵まれていますわね。
聖女に選ばれていたら、きっと今よりも窮屈だったり、大変だったりしたのでしょうし。
婚約者のオヴリオ様もわたくしにとても良くしてくださるし。
わたくしはしみじみと自分の境遇の良さを思いつつ、スープを頂きました。
澄んだ夕日色のスープはさらりとした舌触りで、優しい味わいです。
後味もすっきりしていて、なんとなく懐かしいような、そんな素朴な風味が胸のあたりをぽかぽかさせてくれるのです。
「お母様が心配してくれてたのは、ちゃんと感じていたよ。愛情を注いでくれていたのも、わかってた」
「リヒャルト」
「異世界出身者のリックが教えてくれたんだけど 異世界では『競争』という言葉に、色々な意味があるらしいんだ。その中には、『共に求める』という意味があるらしくて」
それは、知りませんでした。
わたくしはリックの顔を思い出し。
「異世界って、いつも新鮮」
と思うのでした。
異世界からやってきた方々は、いつもこの世界にはない価値観や、文化や、技術を広めてくれます。
それでこの世界の人たちの生活は安全になったり、衛生的になったり、豊かになったり……異世界って、凄いなと思うのです。
「同じ目的を持った人が集まって、互いを磨き合い、育み、全体を成長させている……共に己を磨き合ったり、全体を進化させていったり。私はお母様の子供として生まれたおかげで、厳しい環境で成長することもできたし、その過程で思えば良き友とも絆を深められたし、貴族社会でも胸を張っていられますから。……逆に、子供たちを甘やかしすぎではないか、良い父親はもっと将来のために厳しくするべきなのではないか、と反省することもあるのです」
お父様とおばあさまが、しんみりと話を続けています。
カーテイルお兄様は気にする様子もなく、スープの湯気で眼鏡を曇らせていました。ふう、ふうと冷ますように息を吹きかけていて、いつまでも口に入れないのが気になります。猫舌ではなかったと思うのですが。
「……平和な家庭は、安心できる居場所ですから。この家は好きですよ。自分は恵まれている、と思っています」
小さく小さくカーテイルお兄様が呟いた声が、胸にしみわたるようでした。
カーテイルお兄様の曇っていた眼鏡の下にちょっと赤くなった目が見えて、わたくしはぎこちなく視線を逸らしました。
「わたくしも、この家に生まれてよかったですわ。……甘々のお父様も、ミーハーなカーテイルお兄様も、優しいおばあさまも、大好きです」
「ミーハー?」
カーテイルお兄様がちょっとだけ不満そうにしています。
「ああ、思い出しましたわ。カーテイルお兄様の婚約者の方にも、お手紙でいろいろと教えてさしあげますからね、カーテイルお兄様のこと」
「メモリアっ?」
ふふん。カーテイルお兄様が、情が深くて良い方だ、って教えますのよ。
心の中にそんな言葉を仕舞いこみ、わたくしはスープを美味しく全ていただいたのでした。
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